私の子育ての目標は、子どもを社会に還すことです。

どんな形であれ、社会の一員として生きていってほしい。

なので、社会で生きていける最低限の力(学力、生活力、体力、精神力など)は、家庭で身に付けなければならないと思っています。


最近、長男が話を聞かないことが増えてきました。

正確には、長男自身に思うところがあったり、他に意識が向いてしまったりして、言われたことにすぐに取りかからないのです。

成長なのでしょうが、朝食を食べ始めるまでに20分くらいかかったり、言われたことをするまでにあちこち寄り道(おもちゃの誘惑)したり、ちょっと怒られるとすねたり泣いたりと、時間に追われている朝は困ります。

私は、なにも言わずに見守り、一度くらい大きな失敗経験をさせてもいいと思うのですが、夫が途中で怒ります。

そんなこんなで、長男は、いつもどうにか朝の支度を間に合わせています。


もっと、いい方法はないかな。

いや、そのうち成長してなんとかなるか。

でも、夫から叱られ続けるのは良くないよな。

長男を見ていると、いろいろと考えてしまいます。


子育ては、選択の連続です。そして、日々、反省の繰り返し。
「あれは言いすぎたな」とか「あの対応は違うよなぁ」とか「あぁしてあげればよかった」とか、自分で振り返ってモヤモヤしてしまうことも多い。
もっとおおらかに育てていい。
おおらかに育てた方が、結果的に子どもは伸びる。
でも、どうしたって悩んでしまうのは、自分が、子どもの責任を一番に負う保護者だからです。
「毒親」「親ガチャ」という言葉があるように、子どもにとって、親の存在はとても大きい。
不用意な言動で、一生の傷ができるかもしれない。
親と過ごす日々の積み重ねで、人格形成が歪むかもしれない。
それでも結局は子どもの人生、運命、と言ったら、それまでなのですが、なるべくなら心の傷は少ない方がいいじゃないですか。
心の傷は、治らないので。
むしろ、消えないまま大きくなることもあるので。

そして、子育ては後戻りして修正がきかないのです。
失敗した、と思っても、これまで積み重ねなので、軌道修正は難しい。
私がいちいち判断に迷う理由です。

育児書などには、上手に手を抜こう、とよく書かれています。
しかし、手を抜くとは、どれくらい手を抜いていいのですか?
子育ては、プライベート空間で、他の家庭の本音なんて全く見えてきません。自分は頑張っているのか、手を抜いているのか、分からない。
分からないから、これ以上手を抜くのはよくないかも、なんて、考えてしまいます。
手の抜き方が、子どもにとってよくない影響を積み重ねていたら…。

なんて、自分で書いていて、考えすぎだと思いました。
結局は、致命的な毒にならなきゃいいのですよね。
でも、やっぱり、子どもにとっての最善を模索してしまいます。親なので。