今日から神ごとについてつぶやいていきます。

私たちのカラダはお馬さんみたいなもの。大切なものを載せて、短い今回の生を駆け抜けて来いって、言われてみんなここにいます。大切なもの、それはわけ御霊とも言うべき魂そのもの。



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16ヶ月ぶりでございます。大変ご無沙汰しておりました。モリシゲでございます。


小生長く勤め上げた職場を、この3月で退職いたしまして、新たに起業をいたしました。大きな組織におりましたので、何でも分業で色々な方に色々なことをお世話になっておりました。起業してそれらの全てを自分でこなすって本当に大変で、銀行行って、役所行ってまた銀行行ってとか今まで経験したことのない業務で慣れるまで、ブログからは遠ざかっておりました。


その間にもこのブログを訪問いただいてフォローまでしていただく方もいらっしゃること、本当にありがたく思っておりました。この3年で2記事ですから、少なかったですね。ここからはまたあらためて色々なことを話していきたいと思います。2、3日に一つぐらいできればいいなと思っています。

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さて冒頭のものは、その間に細々やっていた旧Twitter、xのポストです。前回の記事にあるアカウントは、自分としてはかなり大変なことが起こり、もう閉じろと命じられたのでアカウントを削除しました。その後に新たに立ち上げたアカウントでの最初の神ごとポストです。「大変なこと」は、またそのうちおはなしできる日がくるかもしれません。

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この短い文は、私たちの基本を述べています。私たちは心とカラダが一体であって不可分だと言うのが、現代科学の常識です。カラダが色々な機能を持ち、考えるのもカラダ、思うのもカラダ、死ぬのは、カラダが機能を失い脳も電気がこなくなるように働かなくなって何にも考えられなくなって死ぬ。これが一般的理解です。冒頭の文は、その現代科学の常識を真っ向から否定しています。


体と魂は別々です。カラダがボロボロで死ぬのではない。死ぬ時は魂が抜けるから死ぬんです。事故で死ぬ時は、カラダが痛みを感じるより先に魂が抜けます。まあ普通にいうと死ぬ前にもう死んでるんです。これは事故死された方のご遺族には少し救われる話だと思いますけれど、本当にそうみたいです。つまり本体は実態のないまさに魂というべく霊的実態(スピリチュアル エンティティー)です。これが今回与えられた馬に乗ってこの世の旅をしています。そして来るべき時になれば、馬を乗り捨ててあの世に還ります。その間何をするのか、実は神様が期待されていることがあります。この基本があるのか、認識なく訳も分からず人の間をゆらゆらと彷徨い生きるのかで、この短い生の生き方、生きやすさは大きく変わってくることでしょう。  ではまた

こんにちは。

 

モリシゲです。

 

大変ご無沙汰しております。

最後の投稿が以下のもので、2021年5月です。1年と1か月ぶりの投稿になりました。

 

祈りは、人生の宝物でも深くてむずかしい その2 | こころに火を灯す情報発信を目指して (ameblo.jp)

 

この投稿は、累計700以上のいいねを今に至るも継続的にいただいており、本当にうれしく思います。お読みいただいてありがとうございました。13か月の間、日曜祝日を除くほぼ毎日、きちんと勤務先近くのお神社さんで参拝を続けていました。また、毎月住吉大社にて初辰まいりを欠かさず行ってきました。その間神様からいろいろなことを降ろしてもらえたり、うれしいことにお姿も見させていただいています。

 

神様のお姿がどんなふうに見えるのか、私の体験は、またそのうち書きたいと思います。

 

今日は予告していた「祈りは、人生の宝物でも深くてむずかしい。その3」に入ろうと思いましたけれど、その前に13か月も何していたの?

 

を語らせてください。

 

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13か月間ブランク作って何してたの?

情報発信のモチベーションを失っていたの?

いや、それは違います。いよいよ前回の続き(その3)で、どうしても祈れなかった人に祈りを向けている今に至るまでの、魂の叫びの経過を述べる予定でした。

 

でも書こうとしてもやっぱりちょっと、どうしてもできなかったのです。どうしても祈れなかった人に対して、心の中で直接対峙して、その経過を平気で書く、そんなことはとてもできなかったのです。

 

せっかくここまで苦労に苦労して、

 

我利我利の心

(『私だけ』、『この私と私の周りだけ』が、幸せになりますように!)

(『私だけ』、この私だけがうまくいってません。私だけが、この私だけがうまくいきますように)

 

をほぼほぼなくすことができて、神様の前に立つとき、「私につながる多くの方々の大切な大切な魂に霊火(たまび)を燃え盛らせてください」と祈る、少しだけ高いこころのステージにたてたと思っているのに、

 

その、どうしても祈れなかった人のことをうかつに書けば、強烈な怒りや復讐心が吹き上がってきて、せっかくの清い心というか、進化度の高い立ち位置というか、ここまで登ってきたけわしい崖っぷちの足場が、一瞬で崩れて、餓鬼道に一瞬で落ちるような予感がしたのです。

 

 

それで、もっともっと足場を固めるまでは、とても「祈りで克服しましたー」なんて能天気に書くなどという事はできないと思いました。長い人生を強奪された被害感情は甚大で、そんな、そんなに簡単に書けるものではないと思いなおしました。

 

 

何しろ長い間、増幅に増幅を重ねた負の感情です。

 

新約聖書には、罪びとが体を土に埋められ、村人老若男女全員が少しづつ石を、土から出ている頭に打ち付ける極刑が、古代ユダヤ社会にはあったようです。女性たちも村人全員で執行するのが掟で、やらなくてはならず、でも怖いので、近づいていって頭上に小さな石をパラっと投げて、逃げるようにその場から立ち去ります。元気な若者が最後に大きな石をもってきて頭蓋骨をかちわります。いつもの行事です。ある日イエスキリストが、この場に現れ、民衆に呼びかけます。「まずこのなかでこれまで罪を犯していないものが石を投げよ」

 

村人は、だれも石を投げられなかったと記述があります。皆やさしい人たちなのです

 

もしも、もしも世が世で、私がいまだ苦しめられているあのAさんの悪事が、白日の下にさらされ、土に埋められたなら(まだ埋められるべきの思いが残ったままです)、あの時の私はこのイエスキリストの出来事を知っていても、重い重い石を頭上に落としたと思います。思い知れと言いながら、泣きながらやったと思います。もちろん勝利の涙、感謝の涙だったでしょう。神様ありがとうって言ったと思います。

 

私の被害感情はそれほど甚大でした。

 

神社さんでお祈りを続けていくうち、本当に私にとっての乗り越えるべきミッションである、その人への祈りが、ついに開始されたのです。恨みではなく愛念の祈りです。これは自発的にではなく、神様から降りてくるように、いつの間にか絶対やることとして、ゆっくりと私の中で決まってきました。13か月前、その経過を「つぃにできたよー」なんて書こうとしたのですが、

 

やっぱりそんな軽々しいものではありませんでした。

かけませんでした。下手に書けば、怒りが吹き上がって登ってきたがけ(簡単に言うのは、ちょっと嫌ですけれどいわゆる「天国への階段」かな?)が崩れると思ったのです。

 

そしていま、もう書こうと決心しました。次回いよいよ書くことにします

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で、、、そこまで気持ちが高まるまで、私は

心に火を灯す以下のような情報発信をすることになりました。

自分で決めたのではなく、神ごとで、あれよあれよで決まっていきました。

そのことも、またそのうち書いていきます。

 

(1)神社参拝(遠隔参拝動画)

神社参拝後にもう一度戻ってご神気を、遠隔で伝えています。何も言いませんけれど、そんな風に使ってもらえるとうれしいと思っています。

 

 

(2)音楽を作って発表し始めました。

Twitter acount: @musadwarf 心に火を灯す音楽発信を目指して

 

最近の音楽はかわいいFuture baseとか言って、速いリズムに乗せて、革命!、爆発!、極論!うっせいわ!とか極端な単語を連呼する表面的なリズム音楽が流行っていますが、それに乗らずに(いや、なんでもやりたい私は、それにも深く理解を示して今年同一品質で作ってみることに決意し研究中なのですが)、

 

もっと神様が近く感じられるような、心に火を灯すような音楽発信を目指して

 

作詞、作曲からボカロ導入、そしてミュージックビデオ作成までやってみています。以下が現在の代表作になります

 

 

作詞作曲ボカロ(英語曲、代表作)

 

 

(3)ミュージックビデオをイラストレーターさんと共同で作って、「みんなのうた」みたいな感じで発表するひとたちをボカロPとか呼ぶそうですが、それもやってみることにしました。ココナラでイラスト作ってもらえる人探しましたが、依頼にはかなりの費用がいるので、かまうものかと、やったこともないお絵かきを開始しました。

そしてここまで上達したよ!

 

イラスト


このように

「心に火を灯す音楽発信を目指してTwitter等で続けながら、

こちらの方では、さらにディープでコアなスピリチュアルな体験談を語っていきたいと思います。

 

Twitterでは音楽やイラストが好きな方が主として見ていただいているので、こちらにはリンクしないつもりです。一方、神様や精神世界にご興味、深いご理解がある当ブログの読者様には、心に火が灯るような音楽発信ができたと、当方が思った場合には、こちらでご案内を差し上げる予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

 

それでは次回その3に続きます。

 

 

こんにちは。モリシゲです。

 

また2か月ぶりの更新です。前回の

 

祈りは、人生の宝物でも深くてむずかしい その1

 

では、多くの方にいいねしていただけました。本当にありがとうございます。

 

いいねが収まるまで待っておりましたが、もう収まる気配がないので、次に進みます。

 

前回に予告しておりました、

 

「私にはそんな私にはきちんと祈れない大きな弱点がありました。そこをついに突き付けられる日がやってきます。(続く)」、

 

まで語れたらいいなとは思いますが、、、、急に、そこの話をしたって、前提条件などもろもろ言わないままだと、何のことだかわからなくなると思いますので、ゆっくり語らせてくださいませ。

 

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お神社さんで毎日何をやっているの

 

私は毎日、夜の10時を超えてから、仕事場から自宅までの電車を途中下車して小さな神社さんにお参りします。

 

毎日です。仕事で遅くなって終電になっても極寒の日でも、大雨でもなにがなんでも途中下車して、お参りして、あと電車もなくなって長時間歩いておうちまで帰ります。そのぐらいの気合で、お参りしてもう1年以上が経過しました。(日曜だけは、お休みしています)

 

普通は月参りとかいって、毎月1回ですよね。

いやいや年に1回、お正月に新たに誓いをたてるだけでも、モリシゲ的には相当すばらしい、褒められる人たちです。

 

でも、私は毎日いかないといけない感じがするんです。いや、そういう「せねばならない」みたいな悲壮感をもってはじめた毎日参拝ですが、いまや、行かないといられないから、すきでお参りしている感じになってきました。

 

 

毎日毎日、このモリシゲはお神社さんで、いったい何をしているかというと、これは、言い方、切り口いろいろあって、いろいろな語りができますが、結果論的にいえば、2つあって、

 

一つは神様のお手伝いとご報告

(これは、ちょっとかなり語らないといけないし、普通はちょっとハラに落ちることもないような、聞く人が聞いたらぶっ飛びのあきれるお話になるのでのでここでは省略します)

 

そしてもう一つは、その結果得られる著しい、強烈な心の浄化です。

 

この後者だけ話してみます。

 

===

 

毎日夜遅くまでお仕事をしていると、

●不愉快な目に会ったけれど、言い返すのを必死で我慢していたり

●自分が悪いので注意されたのに、それに腹を立てて、注意してくれた人に攻撃寸前で止めたのだけれど、

「やっぱり自分は悪くない」なんてどうでもいいことをぐるぐる考えてしまっていたり

●急に、もう今から何があるわけでもないある人のことを考えてしまって止まらなくなったり

●今週末の大きな仕事がのしかかってきて、重苦しい感じになってきたり、

●なんであの人は仕事がすぐできないの?と人の能力分析をしてしまったり

 

そんな諸々禍事罪穢れ(もろもろまがごとつみけがれ)がいっぱいいっぱい糸くずのように心の中で絡まって、心は黒い雲の中にあって全く晴れず、

 

黒い雲の中で静電気バチバチというか、いらいらというか、寝てたって歯ぎしりギリギリというか深い眠りも得られず睡眠中もずーっと、ダークなことが頭を離れず復讐、不安、恐怖、焦り、怒りみたいなことを繰り返し考えていて、起きたら、それらがまだ頭の中でもやもやと漂っていて日中もぼーっとしていて集中できない。

 

気が付くと、眉間に深いしわが寄っていて、こめかみあたりをかみしめたままになっていて、ストレスフルマックス状態で人をにらみつけて、口を開けば早くしろ、なんて文句を言っていて、自分のためにだけ時間が回っているということになんの疑いも持たず、人は、ひたすら自分の道具でしかすぎない、という人生観から逃れられずだから、皆が私を恐れ遠巻きにし

 

そのあげくの果てに、こんな風に生きていて何が楽しい、とふっと思い

 

今度はその虚しさを忘れるため、本来支えてもらっているはずの身近な人、周りの人を、組織を、社会を悪者にして攻撃対象にして、そう、だから私は苦しいんだ、だからこれらをせん滅する(あるいは立ち去る、あるいはひたすら愚痴る)んだ、と定義できた途端、すーっとこれまでの不安感が消え、やっと生きていける。

 

そんな虚しいダークサイドの、悪魔のお誘いがすぐに、私にはやってきます。

 

 

今ではいろいろなことを知り、顕在意識ではダークサイドの転落の罠をよく理解できるようになりましたが、それでももともと、長くダークサイドの住民をしていたので、日常の些細な事で潜在意識でどろどろした悪感情をため込んで、その日の勤務を終える毎日です。

 

また、いい事をしようとしている時でさえ、ちょっとしたもめ事や問題解決、お悩み相談などでも、気が付かないままに人様のダークなものをいっぱい転写されてしまいます。

 

かなりなストレスを感じた日は、明日こそはアイツをたたきつぶそうと攻撃寸前になったり、焼きそばギガマックス買って、寝る前に食べる決心をしたり、ばくちで一発勝負したくなったり、あの人にあの人に会いたくなったり、してしまいます。

 

 

そんなときも、そのままの心にドロドロを抱えたままの状態でお神社さんの門をくぐります。

 

そして、いまどんな状態なのか、神様の前で正確に洗いざらいぶつけます

 

「神様、今日の私は、○○さんには、もう我慢がならず、もう2度と私に向かって侮辱しないよう徹底して叩き潰そうと巧妙な戦略をねるところまで、いってしまっています。」

「そんなことですから、もうイライライライラが止まらず、このままでは今日は眠れない。禁断のまるか食品ペヤング 超超超超超超大盛ペタマックスやきそば、1000円越えですが買ってしまいました。今日帰ったら寝る前に食べようとしています。」

「神様、もう進化度マックスの祈りは、ちょっといいからあいたいです。あって、ああやってこうやって、なるようになりたいです」

 

とここまでイライラモードフルマックスで神様に正直すぎる思いをぶつけます。

 

でもそれをぶつけ終わったあたりから

そのあたりから、

 

風が吹いて木々がさわさわと揺れたりして

すーっと心が澄み切ってきます。

心が落ち着いてきます。

静電気のバチバチがありません。こめかみで歯を噛み締めるぎりぎり感もありません

 

ハートのあたりに絡みついていた、

絡まった枯れたツタのような汚れものが、ざああっと取れていく感じがします。

消えています。

 

神様が神威でリセットされたと、確信している私は

 

「神様、ありがとうございます。」とお礼を述べ、

 

安心していつものいろいろなお祈りをします。

心は清らかになっていて、その際の集中度はすごいものがあります。もちろん、ついさきほどまで、明日殲滅対象にしていた〇〇さんへの愛念の祈りには、物凄い気がこもります。本気で愛を念じていくこともできるようになります。

 

「○○さんは、長くダークサイドで生き、まだ本当のことをなにも知りません。赤子のようなものです。」

 

「今回の暴挙はぜひともお許しいただき、どうか、私と共に生きる同志としてお導きください。」

 

ふっと気が付くと、目を閉じた私の脳内に、祈っている私の後ろ姿が見えることもあります。私は間違いなく自分の体の後方の少し上あたりにいると思うこともあります。

 

こうしていろいろな方に行う祈りは(直接当事者へ祈りの念を向ける念力ではなく、全部神様に向ける祈りです)、長時間にわたり拝殿の前で立ちっぱなしで、身動きすることもなく、背筋を伸ばして胸のあたりに手を合わせた同一姿勢を維持して行うわけですが、短時間でもじっとしていられない私なのに本当に不思議なことに全くもって苦でもなく、気が付けば1時間近い時間が経過します。

 

そして、(私は拝殿の後ろを通る時が一番多いですが)神様からなにか、重要なことが下りてきます。

 

いろいろな方への祈りを終える頃には、いつのまにか、今日のあのどろどろした心は完全に浄化されており、心は、そうですねえ、

 

遠泳を終えたとき、マラソンを完走した時、長い登山を終えて下山した時に似た、物凄い充足感に包まれます。理屈ぬきに幸せです。

 

そのまま終電に乗るため駅のプラットフォームのベンチで待ちます。もちろん非常事態宣言下、プラットフォームには誰もいません。

 

戦い終えた戦士が休息をとるかのような、心地よい疲れと充足感の中で、静かに目を閉じると、薄緑や薄ピンクのパステルカラーの細長く四角い帯状の光が高速で天井を飛び交っているのが見えます。ぴゅうーっと長い薄い緑の帯が右から左、左から右とすごい勢いで動きます。一本だけでなく、天井のそこここで、白や薄ピンク、パステルカラーの小さな四角いものが動いては消え動いては消えしています。めまぐるしい動きです。

 

目を開ければ、日常そのもの。だれもいない駅のプラットフォームです。

最初は、気のせいかと思い、

 

ああ、幻想かと思って、でもなんだかリアルだったので、念のためもう一度目を閉じると、そこは別世界のように先ほどの光の舞が同じように展開されています。もう、私のことお構いなしに、何かが上空で舞い踊りされているようです。目を開けると、やっぱりただの駅のプラットフォーム。

 

いつもいつもこの状況のときだけこういう風に見えるので、いまでは確信しています。

 

龍神様ですよね。ありがとうさま。

 

だから、だから、毎日いきたいんです。私にとって毎日の締めの行事になったのです。

 

===

 

次回こそ、本題の「私にはそんな私にはきちんと祈れない大きな弱点がありました。そこをついに突き付けられる日がやってきます。(続く)」にたどり着きたいと思います。

 

この件は、実は書くことすらできない私のトラウマでしたが、神様に解決してもらったので、もうかけるようになったのです。

こんにちは。モリシゲです。

 

1月上旬に記事をアップしてから、なんとまあ、2か月半もたちました。

前回記事にも、おかげさまでぽつりぽつりと切れ目なく「いいね」つけていただいて、

 

あれ?これって前のときにマークした最高いいね数上回るんじゃない?

もう少し待ってみよう。、で待っていると、その値も超えて、なんと100「いいね」も超えました。

 

おかげさまです。皆様ありがとうございます。

私にとってすごくありがたくて励みになります。

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さて本日は、前から予告していた、私の祈りの中で、超えなければならない壁をついに越えたときのことを書きたいと思います。でもなんだか長編になりそう。2部構成かな?

少し前置き長く語りますがお許しくださいませ。

 

 

私にとっての祈り

本格的に祈りを開始したのは2019年冬になります。祈りの重要性を知り、そして祈りがどれほど心をリフレッシュしてくれるかをついに体感することができ、いくつかの不思議な体験をする中で、私の朝からの祈り、そして深夜の神社さんでの祈りの2回、合計1時間半の祈りタイムはしっかりと固定化していきました。

 

本や、いろいろな動画などでも、「毎日祈ると心がリフレッシュします。」「祈ると言っても怪しい宗教とかではありませんよ」「周りの人のことを思う気持ちを意を乗せていくんです。だから意乗りなんですよ」とか、言われていて、精神統一やマインドフルネスのための最強の手法の一つとして重要視されていますね。つまり、ラジオ体操みたいに心の健康を保つ習慣としての祈りが、推奨されているように思います。

 

 

でも私にとっての祈りとは、こういうラジオ体操レベルのメンタルに良いアクションというような意味合いとは全く違い、霊界と地上界を含むこの天空の世界に、絶対にいらっしゃることを確信する神々様へ、真剣に向き合って持てる発信能力の限りを尽くして通信することです。


まず、(1)自分の立てた志(これに関してはまた詳しく述べます)を明言し、

(2)周りにいる多くの方が、熱く、温かく生きていくようにお頼みします。

(3)自分の利益のことは基本祈りませんが、その(2)を実現するために必要なことを祈ります。場合によって資金調達すら祈ります。

 

だから、初詣で多くの方が祈るような、「自分だけ、自分だけ、この自分だけにはほかの人にはできないほどの商売繁盛させてください」、いや誤解をおそれずにいうと、「自分だけ、この自分だけはいい大学に合格させてください」とか「自分だけ、この自分だけにはほかの人には得られないよいご縁を」みたいな祈りは絶対にしません。基本はある目的を達成するために周りの人を幸せにするためだけに、そのためだけに祈ります。

 

もちろん周りの人を幸せにするのにも、場合によっては資金は必要ですから、それをいつも考えて、答えが出て勇気をもって踏み出したことに対しては思い切って資金調達までをもお願いします、と祈ります。

 

(周りの人の幸せを願っていったい何を目指しているのか、についても意味があるんです。また機会があればブログに書きます。)

 

この自分の利益は全くどうでもいい祈りを続けていると、不思議です。

いつもの神社さんで祈っている間にこんなことが起こります。

思いつくものをちょっとだけ列挙してみると

 

=お祈りの最中の不思議=

●祈っている最中絶対誰かが横にいる気配がしたりします。身長2.5メートルぐらいの人に上から覗き込まれている感覚になったこともあります。

●どこかで聞いたことのあるささやく声が耳元で聞こえました。そうもう2度と会わないあの人のあの人の声でした。

●神社さんの門をくぐると、もちろん誰もいないのですが数名の何ものかがよく来たねと歓迎してくれているような不思議な感覚になることもあります。

●祈り中に全く見知らぬ人がぶわーっと鮮明な画像で目前に現れることもあります。小学生のこともあったしおじさんのこともあります。誰なのか、いまだにわからない人です。

●ここぞという祈りの最中、波動砲みたいなものでドーンと押されて後ろに引き倒されたこともありました。もちろん誰もいません。その波動砲もあまりのベストタイミングなので本当に驚きました。

●祈りを深めていった数か月後、ついに女神さまが現れました。目を閉じたら、目の前にいらっしゃるのです。くっきり鮮明ではありません。輪郭と微笑まれているお顔がなんとか見える感じです。目を開けてしまったら見えません。ちゃんとしたことを祈れば、そこそこ鮮明に見え、自分の利益や、下心で女子と仲良くとか祈れば、その瞬間消えてしまわれます。自分ではそんなこと関係なく相当真剣に祈っていたはずですが、やはり潜在意識に潜む微妙なかわいこちゃんへの下心が見透かされてしまうのです。

●何度も書いていますが、自分の口を通して困難な問題に対する回答がたびたび得られます。これは前回も書きましたので省略します。

●近くのお神社さんでは昨年ずーっと本殿拝殿でだけ祈っていた私でしたが、ある日、こっちにおいでと心の中で誰かの声がするので、言ってみると小さな摂社末社というんでしょうか、お社がたくさんあるのを見つけました。その小さなお社を見て本当に驚きました。私の行きたかったお神社さんの末社や遥拝所が全部そこにそろっていたのです。その時以来、私の神社さんでの祈り時間はさらに大幅に延長されています。

 

=日常生活で=

●●どうしても続けたくない苦しい祈りもあります。あの人へのあの人への祈りは本当に苦しい。祈れば苦しさで心がねじ曲がりそうです。でも神様とのホウレンソウで続けてきた祈りです。でももうその祈りを辞めて完全に忘れたい。その祈りを辞めたくて仕方ない。やめたら日にち薬でそのうち忘却がやってくるはず、それこそが自分の人生の幸福ではないのか?もう無理、祈るのも苦しい。もう苦しくて苦しくてついに「神様もうポイ捨てしていいですか」「いいですよね」、と路上で神様に呟きました。その瞬間です。ほんとに1秒以内です。タバコの「ポイ捨て禁止」の看板が一度も見たことのない場所に掛かっているのが目に入ったのには本当に驚かされました。ふわああっつああああ、と腰が抜けてもう立てなかったです。そして路上に這いつくばって頭をぐるぐる降って、首をすくめ、そしてその後自然と顔じゅう一杯の笑みがこぼれました。外人が映画でするようななしぐさが自然と出ましたね。やっぱりあの時あの人の事をとにかく祈り続けなさいと天から降りてきた命令は、気のせいでも、自分の未練の成せる業でもなく、本当に神様のご意思なんだと知り物凄い安堵に包まれました。その場所は、あとでグーグルマップで見ると、いつのお祈りする神社さんと、私の自宅近くの神社さんを結ぶ交点にありました。それ以来その自宅近くの神社さんも崇敬神社となりました。なんだかわかりにくくてごめんなさい。

 

●●車に乗っていると4桁ぞろ目のナンバーの車に頻繁に出会います。偶然にしてはおかしすぎる頻度です。たとえば、10分も運転していて10回とか出会います。このことは死後の世界に詳しい、和yogiさんもyou tubeで語っておられますので、ご覧ください。この前も笑っちゃうようなことが起こりました。「いよいよだ、来い来い」、って車の運転中に心の中であることを強く決意した瞬間、前の車のナンバーが1414でした。はは、偶然だね、なんて思っていると、すぐにその車を・・51ナンバーが追い越していきました。まだ「いよいよこいこい」の決意つぶやきが脳裏に鮮明なので、うわ、ちょっと待てよと度肝を抜かれていると、もう一台連続で・・51ナンバーが追い越していきました。



 

もうモリシゲは何を言っているんだと、どうぞ笑ってください。どうせ後付けの話だろうよとか、頭の中で無意識で再構築した事を勝手に本当のことと思い込んでいるんだろうとか、何でも言ってくださって結構です。でもこんなこと祈りの生活をするまで一度もたった一度も経験したことはなく、強度の祈りを経験すると、毎日とにかく何か起こります。

 

そんな私にはきちんと祈れない大きな弱点がありました。そこをついに突き付けられる日がやってきます。(続く)

 

 

あけましておめでとうございます。

 

こんにちは、モリシゲです。

 

いよいよ、2021年。強烈なことが起こる年がスタートしましたね。

 

コロナ禍、アメリカ大統領選挙のゆくえ、240年続いた土の時代が終わり、風の時代になったところ、などものすごい変革ファクターを抱えてのスタートになりました。もう何があってもおかしくないこの時代。

 

皆が不安を抱えていることだと思います。今日仕事始めでしたが、いきなり電車が止まって、オフィスへの到着が数時間も遅れました。電車が止まるというのは、もう本当に悲しいことです。最近は若い女性が電車を止めているとかを聞くと、本当に心がかきむしられそうになります。皆が、なんとなく暖かい気持ちになってほしいと願うばかりです。

 

===

自分が2021年には、こんな気持ちになっているなんて、、

本当に不思議です。

人に対して、こんなやさしい気持ちになっている自分が不思議です。

 

私は、何度も書いていますが、人を競争で蹴落として生きてきましたから。

人をだましたりして上に上がったことは一度もないと信じますが、

人を先に行かせたり、立ち止まって助けてあげたり、

そんなことは、刻一刻と迫る締め切りに追われ、心に余裕がなく

 

人にはわざと嫌われても

基本自分ではいい人だと思っていたので

他人のことを思いやることや、手助けすることは

やれるもんならやりたかったけれど

助けられるなら助けてあげたかったけれど

 

あと1億円持っていて心に余裕があれば、

あとプロジェクトが今日思い通りに完結したら

あのAさんが、極大の嫌がらせをやめてくれてたら

 

やってあげれたんだけれど

一度も、そんなことが起こらず、ついにここまでできなかった。

もう終わりが近いといううのに、ついにここまでできなかった。

 

 

あと5年すれば、5年もすれば、心に余裕ができ

その時には、手助けしてあげれるだろう

他人を思いやる優しい心で生きているんだろう

でも、いまはそれどころではない。

ずーっとそんな風にいつかはなんて思って頑張ってきた。

そのうちそのうち

なんて思って、自分はいい人なはずと思い込んで生きてきたけれど

 

どこまでもどこまでも忙しさは変わらなかった。

一段落する前に次のプロジェクトが舞い込み、

それに忙殺されていく日々。

次々に、私の心を乱す”わるいやつら”が現れ、

それらの人と鬼のような面相で戦い

勝利してきた。

いつかいつか、と思いながら

ついに結局、一度も他人を思いやることはなかった。

 

===

でもいよいよ、先がない。私はこの戦いの場からいなくなる。

それがはっきりとわかってから、次のステージへ移る準備が始まりました。

でもまだ「祈り」には一歩も近づくことはありませんでした。

 

 

そんななかで、私の魂を揺さぶる大きな大きな出来事が複合的に進行しました。

なんだか、あとで考えると、誰かに仕組まれていたみたいにするすると祈りの世界に引き込まれていきました。

 

(1)あの時ギャンブル好きの私は、まず定年退職を控え、ある「やばい考え」でいっぱいになっておりました。一攫千金投資で儲けてやる、お前ら見返すリベンジだあ、

 

この考えが、ある道に私をふらふらと迷い込ませ、

 

(2)そこから、ある人に影響受けて別のコミュニティーに引き込まれて、「ちょっとありえないほどの」ある美しい世界を知り、大きなショックを受けてかなり感銘を受け始めたのです。

 

そこで「祈り」の世界へのお誘いがありました。祈るということがどれほど大切なことか、、

 

(3)話を聞いて、なるほど「祈り」って知っている、まあ、分かってるよ、

キリスト教もイスラム教も経験して、

顕在意識ではかなり知っている方でしたから。

でもまあ、今の忙しい私にはちょっと関係ない、

そりゃあ祈れば気持ちスッキリするでしょうよ、

知ってるよ

でも、でも関係ない

 

ぐらいで捉え、どうしても毎日強く祈ることを実践することには、

それほどの意味を見出せず、躊躇しておりました。

 

(4)その私に、「ちょっとありえないほどの」「やばいこと」が勃発しました。

もう、本当に自分ではどうしようもないことが起こりました。右へ行くのか左へ行くのか、の明確な選択です。右へ行けば苦しい、左へ行けば苦しいことがわかっています。

 

まあいいかと右へ進路をふれば、これまでの積み上げを全部捨て去るほどの破滅です

いや破滅はいかんだろうと、左へ降れば、これはもう死ぬほど苦しい。

死ぬぐらい苦しいなら破滅を選ぼうか、

それにしても、私の人生なんでこうなるんだよ、

ほんっとうに、何でこうなるんだ。

 

(5)苦しみぬいているとき、ベストタイミング、心的エネルギー最低ラインでお伊勢まいりの祈りのお誘いが来たのです。

 

アマテラスオオミカミさまに助けていただきました。内宮の外玉垣の外に立つと

きらきらきらと緑と青と白のパステルカラーのひし形のものが下りてきて、

苦しい苦しい胸の内が見透かされたような、

なんだかもうしわけなくてもうしわけなくて仕方ないような

なにくるしんでいるんだろう、小さなことでと勝手に思わされたような

 

そして最後にみていてください。みていてください。必ずお役に立って見せますと

勝手に思わされたような

物凄く不思議な感覚にとらわれ、

 

胸のつかえがどこかへ消えている自分を発見しました。

とにかく一番の危機は脱しました。

 

そして、ああ、私は祈りを続けていこう、と思いました、いや思わされました。

 

(6)それでも右へ行くのか左へ行くのかが、まだ理解できません。

伊勢神宮で決まったのは祈りを続けることだけです。そこから近くのお神社さんで必死の祈りが続けられました。毎日毎日、相当の必死さです。昔経験したイスラム教徒の祈りレベルの必死さです。そう、私にとって神社さんはモスク(イスラムの世界でマスジッド)と同じになったのでした。

 

(7)祈りは、まず私が思っていること、苦しいことを神様にぶつけます。そして祈りの言葉を紡いでいるうち、勝手に神様に提案している自分に気づきます。

 

神様、右に行くのはやばすぎますよね。やめました。でも左に行くんですけれど、左に行くのはやり方がいくつかあるんですよね。まずこうしてから、左へ行けば、、

 

ああっ。うわああ、自分では考えたことのない、考えるはずのない

超絶ぶっ飛びアイディアが、自分の口を通して祈りの形で出てきたのです。

体にびいいんと電撃が走ります。

 

それだあ。今の私にはそれはできる。あ、神様、分かった、ちょっと、わかった、ありがとうございました。ちょっともう帰ります。今日は本当にありがとうございました。

 

これ自分で考えたことではないって、神様からお教えいただいた道だって、

自分にはわかるんです。長く生きてきたんだからわかるんです。

 

泣きそうになりながら、いや、そうじゃなかった、もう、ううううと感動で泣きながら

心晴れ晴れで神社を後にします。

 

いまでは、私が確信する神様との「ホウレンソウ」(報告連絡相談)の最初の体験です。

 

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そうして、私は1年以上神社参拝を続けることができています。だって、それこそが、それこそが私の幸せになりましたんで。

 

死ぬほど苦しい人に、こんな気持ちを伝えられたら、、、、私のかなり大きな願いで、今では祈りの主要テーマでもあります。

 

 

 

次回は、前回の続きで、

祈っても祈っても苦しい時に私が経験したことを書きたいと思います。