「今年もお伊勢さんにお参りしました。みんな参道でおしゃべり。拝殿でウンと頷いて、はい終わり。これでは遠くからノンアポで本社ビルに来て、受付嬢に名刺も渡さず帰ったようなもの。社長には何にも通ってないのでは?準備して感謝して新たなミッション貰いにきてね。」
ーーーーーーー
こんにちは。モリシゲです。年単位のお休み明けのブログ再開ですので、長いブランクでかつてのように皆さまにご覧になってはいただけていませんが、おかげさまで再開後ゆっくりといいねいただける回数が増えてきました。前回のいいね回数の20を超えるところまでのんびりと待ってブログ更新していく事と、ブログネタは、X旧Twitterでの140字のポストの再掲とその背景の説明という方針でいくことにしています。画像は投稿をお休み中に習得したAIイラストによって生成したオリジナルなものです。
------
今回紹介しますxのポストは、暮れに家族全員で行ったお伊勢参りの時の事を書いたものになります。
ちょうどコロナ禍もピークの最中でしたのでいつもの暮れの超混雑とは異なり高速道路もガラガラ。伊勢市街もガラガラでしたが、それでも内宮駐車場で30分待ちに見舞われるなど大変ではありました。
うちの家族のお参りは毎年の参拝コースが決まっていて、
(1)まず二見興玉神社(夫婦岩)で禊払いをし
(2)猿田彦神社で仕事や勉学での願望成就を願い
(3)外宮と月夜見宮
(4)内宮で人のために生きる誓いを立てる
と言った構成で午前10:30ごろに二見ヶ浦に到着してから16:30ごろに内宮の鳥居を後にするまでずーっとお祈りのツアーだけを家族で行い、最後に閉店間際のおかげ通りでお買い物して普通の家族の団欒に戻ります。
その間に参拝するお宮は二見興玉神社、猿田彦、さるめ神社、外宮本宮、多賀宮、風宮、土宮、月夜見宮、内宮本宮、荒祭宮、風日祈宮、瀧祭神、子安神社、大山祇神社
になります。時間が余っていればここにさらに月読宮の4社、月読命、月読荒御魂命、伊弉諾伊奘冉命のお社のお詣りが入ります。(1人で行く時はお土産買い物スキップでさらにここに倭姫宮や神宮徴古館、神宮美術館などを入れて行って超過密スケジュールにします)
ーーーーーー
この長いお祈りを家族で行う際に、家族にあらかじめこの祈りツアーでの注意点を言っておきます。うちの家族も普通に学校教育を受けた普通の人々なので、一般的な日本人の家族としてお伊勢参りは、もし何も言わなければ下記に示す「普通の行動」になってしまいます。するとわざわざ家族が遠くから集結して共に祈る意味は激減してしまいます。上述のポストはその要約みたいなものになります。
ここからそのことについて、背景を含めて少し詳しく述べてまいります。
お伊勢参りは日本人の家族が1年に一度暮れに集まって、お伊勢さんでともに祈り願いを込める。とても素晴らしい事です。
『神様なんかいない。この世には人しかいない。もちろん人には他人の考えを読む能力はない。
だから、バレない嘘ならつき放題、バレる嘘をつくものは愚か、バレない嘘をつく者は気高く美しい。だから巧妙な嘘を世渡りの方便と自分を誤魔化し人と衝突せず、うまく自分に利益を誘導して生きる。それは巧妙に人を騙すことなのだがそこも私は世渡り上手なのよと自分も騙してこの世を渡る。自分と周りだけが金銭的に豊かになって人を見下す。見下すと言うと語弊があるから言わない。人並み以上の金銭的に恵まれ地位のある余裕の人生を送る。
これこそが素晴らしい人生ゲームだ。これを絶対真理と信じて、今だけ、我だけ、金だけに生きる。そして死んで灰になったら、自分はもとより、つきとおしてきた嘘も何にも残らない。私の銅像とこの偉大な名前だけは残してみせるが。これが今だけ、我だけ金だけの最高に優美な人生ゲームだ。何か文句あるのか?論破しようか?』
こんな人々が主流のこの世において、1年に一度わざわざ遠いところからこの伊勢の地に集結し、ひとときを皆で神に祈ろうとする。こんなに素晴らしいご家族を神様は放置はなさらないとは思います。
しかし、しかしです。何度もお伊勢参りに来て、私はこんな立派なご家族にも、もったいないなあ、せっかくの皆の幸せが爆増できる大切な時間なのに、と思うわけです。
お伊勢参りは長く続いた日本人の大切な大切な風習です。昔は地域で一家族だけが徒歩でお参り。もう何十日もかかってたどり着くわけですから、地域の人は総出でお見送り、お賽銭もたくさん託されて地域の代表として皆の願いを背負ってお祈りに行くわけです。地域代表ですし、旅の道中で賽銭目当ての強盗に遭ったり熊に襲われたり命の危険もある道中を終えやっとの思いででたどり着くお伊勢、そしてついに会える天照大神さま、そして皆の想いを背負っての参拝。もう気合がすごいわけです。
今もそれを維持されているのがイスラム教の信者です。地域の祈りを背負って遠いところからキブラの方向を目指して砂漠の道を旅し、遂に遂にとうとうメッカにたどり着く。もうその時は涙涙の感動なわけです。日本人もずーっとそれに匹敵する事を2000年以上やってきた。
日本人はその精神をすっかり忘れてしまった。大切な事を忘れてしまった。他の国々の人々が今も大切にしていて私たち日本人も大切にしていたものを、今日本人だけが私たちだけが忘れてしまったようです。
少し脱線させてください。脱線は恒例になってますけれど。この本論の根幹である大切な事を忘れさせられた歴史を述べておかないといけないと思ったのです。なぜ2000年の神々と共に生きる精神を我々は忘れてしまったのでしょうか。
少しづつこの変化は起こってきたようですが、大きくはやはり戦争に負けて、他民族の支配を受けたことに起因すると思います。今から80年近く前、日本はハワイからさらに西へ西へと侵略を続けるアメリカにターゲットにされ1945年遂に原爆まで落とされて占領されてしまいました。
(アメリカはその後さらにベトナムアフガニスタンリビアと西へ西へと侵略を続けついにヨーロッパ近くまで来てここから先侵略で白人が殺せなくてこの侵略ツアーがついに破綻しています。今でも気に入らない世界の人物はその国の法律なんか無視してどんどん殺します。CIAが議会でいくらでも証言していますよ。あれも気に入らないから殺したこれも悪いやつだから殺したっって)
さて占領時の連合国司令本部 GHQ(GeneralHead Quarter)はもう2度と歯向かわせないように日本人をどうやったら腑抜けみたいな情けない人間の集団にできるか、よくよく考えて、神道を日本人から奪い去った。そしておかしな多数のカルト宗教を闇で支援し、マスコミで国民を洗脳し、宗教は怪しいものという、色々なストーリーを作って、神と言ったら犯罪傾向のあるなんだか得体の知れない怪しいもので、口に出すのも恥ずかしくなるような社会を巧妙に構築した。
日本だけでしょうよ。皆の前で神様と一言でも言ったら、場が一挙に白け、誰かが必ず「お前なんか怪しい奴だな」と口を開き、もう共感の輪からは一挙に外される。それは言ってはいけないタブーだと皆が認識していて、神様と聞いた瞬間みんなが慌てふためくような国は。
おいおい日本だけだなんて日本に住んでるだけのくせに偉そうにいうなあ、知ってるんですか?と思うかもしれない。でも私はアメリカに住んだ経験があり、若い頃からたくさんの外国人と交わり、家族も日常的に多くの外国人と交わるような生活をしています。うちの子供なんか外国人とずーっと一緒にいるしお嫁ちゃんは今日もイギリス人とお出かけだし。私は仕事関係で特に東南アジアにはたくさんいき、イスラムの結婚式にも出席したりイスラム教の礼拝も各国のマスジッドで数多くこなした経験を持っています。そんなことで神さまを毛嫌いする日本社会の人工的な異常さをよく認識しています。インドネシア、シンガポール、マレーシア、ベトナム、バングラデシュ、ミャンマーなどの国に多数の知り合いは皆神様あるいは仏様への祈りがあってやっとこさ生きています。アメリカの友人もこれは立派と思える奴らは皆神さまを信じて頑張っています。
その点日本は、神様はタブーで、もう自分と身の周りだけ主義で人心が荒廃して皆の心もメチャクチャになってしまっています。例えばアメリカはお札にも神を信じるアメリカみたいなことがデカデカと書いてあって、大統領が神に誓う国、一方日本は「日本は神の国」と政治家がたったそれだけいっただけで大問題になって更迭される国。まあこれもDSにハメられたとは思うけれどね。少し自分たちの今がアメリカに奪われたという史実をしっかりと認識して自らの生き様を再構築する必要はあると思います。
ここの読者の皆さまのうち、唯物論を疑問視されている方はどうか「神さま」と言うアメリカ紙幣(確かUnited States of America in God we trust だったかな)にも書いてあるワードぐらい勇気を持って躊躇なく使ってください!!神様がいる前提で生きておられるのに、まだどうしても神さまと口に出して言えない方がもしいらっしゃるならば、どうぞ勇気を持って口に出して見てください。波動の大切さを感じておられる方。どうか「神さま」と口から出してその波動を高めてください。世界のみんなは平気で言ってますよ。このガラパゴスだけ人工的におかしくさせられてしまっているだけです。主たる洗脳装置のテレビを消してしまえば世界の阿頼耶識の応援が一挙に来ると思います。
ーー
脱線状態から復帰です。
さてそんなふうに神様を信じていると口に出して言えなくなった日本、言えば周りからスピスピ怪しい怪しい。そのうち壺売りつけてくるぞとか言われて異端視されそっと友人から離れられてしまうと言う日本ですが、それでも魂の疼きがある方から、たまらずお伊勢に集まってきます。素晴らしいことですが、皆さん神様に会いに来ると顕在意識にまで上げて、巡礼に来たんですとは口が裂けても言わないわけです。
それを口に出して言ってしまうのは怖い。社会からの報復が怖い。友達を失い異端者として弾圧されるわけにはいかない。だから魂の疼きは聞かないことにして蓋をして、つまり顕在意識と超意識、阿頼耶識の間を遮断して、脳内を書き換えて以下のような意識で伊勢神宮にやってきたことにします。
『わたしは伊勢観光に来たんです。
もちろん拝殿でお願いはしますよ。
誰にお願いって?うーん強いて言えば自分かなあ?
手を合わせて自分の心を清くするんです。禅寺と同じことですよ。
「神さまにお願いじゃあないのか?」だって?
いやそう言う人聞きの悪いことを大きな声で言わないでくださいよ。誰かが聞いていたら明日から生きていけないじゃないですか。そんなことは全く考えたこともないから。
だって神様いるとか言い切る人ってオウム真理教とか怪しいじゃないですか?だからそう言うことは自分からは決して言わないですね。』
皆このレベルから決して出ようとしません。こう言う所にくる人と言うのは、前世からしっかりと祈りを続けている方なので、霊格は高い人が多く、もう神の存在は魂レベルではよくわかっているんです。だから何故か伊勢海老鮑のグルメツアーのチラシを見てしまいディズニーシーでも良かったのに伊勢志摩観光に気が向いて、そしてなぜか観光の時間が空いて、そうだここまで来たんだからもったいない。ついでに伊勢神宮も行っておけと思い立ち、何だかんだと理由をつけて、遂にお伊勢の鳥居をくぐるのです。でも口で話す顕在意識レベルでは上のような話になってしまう。
ーーーーー
だから参道を歩く間中、超意識領域で魂はここに来れたことを死ぬほど喜んでいるのに、顕在意識はそれに強く蓋をしてぺちゃくちゃとおしゃべりです。
いや待てよ。そんな人は少数で実は日本神道の歴史と変遷とかここでお祀りされている神様について皆で勉強したことを最後の確認で話し合いをしているのかも知れないと思い直して、少し聞き耳立ててみると、やっぱりそう言う人はほぼいない。今日の朝ごはんが日本食でどうのこうの、スーパーで納豆98円だったからどうの、昨日うちの子がこけて洗濯物がどうの、いわゆる今ここでここまできて、神様視点で見れば、あなたの魂にとって遂にここまでたどり着いたオリンピック出場にも匹敵する重大な人生のポイントで、魂のオリンピックの晴れ舞台で、敢えてわざわざ言う必要の全くない駄弁に夢中です。あっちでもこっちでも駄弁駄弁です。
はあ〜、もううるさいなー、この最後の神様へのアプローチの大切な時間に集中できないなー参道でぺちゃくちゃ、ガヤガヤ、、うるさいうるさい。
さて、うちの家族は、参拝に行く前から、鳥居をくぐったら駄弁禁止を言ってあるから皆黙っている。今日は観光じゃないぞ。巡礼だと最初から言って遠くから集結してここにきているから他のグループとは雰囲気が違います。わざわざ巡礼に来たんだからこの参道でじっくり精神統一して神の前で最後の禊祓いです。汚い心を落として神様の前に立つ。その気合いで正宮に近づいていく。
玉砂利を踏み締めて一歩また一歩と神様に近づく。
じゃりっ じゃりっ
じゃりっ じゃりっ
踏みしめる音を聞きながら前へ前へ進むうちに心の中の汚れ切った蔦のようなものがざああーっと剥ぎ取られていく。
明日やらないといけないこと、残ってる仕事のプレッシャー、上司に言われたイヤーなこと、今に見てろの復讐心、あいつだけなんでいい目をするの嫉妬心、さっきの煽り運転の爺さんへの怒りetc etc
心に絡んでいた静電気のバチバチ放電がいつのまにか消える。すーっと心が落ち着いて安心の気に満たされていく。自分でなんとかしたんじゃない。自分のマインドコントロールではこんなに落ち着けない。
じゃりっ じゃりっ
歩くのも足先に集中して心を込めて歩を進めないと前に進めない。昔からの日本の知恵。どんどんと集中が進みます。
おお。不思議です。あれほどどうでもいい駄弁に心血注いで心ここきあらずでおしゃべりしていた周りの方々が、いつのまにか口数が少なくなっている。ここまできてまだ、ポイント3倍特売はあさって10:00からよとかあのキャバ嬢の出勤は次金曜日だとか、そう言う生きていくのには必要かも知れない世俗の事柄はもう口から出てこない。
ここは本当に清らかな空間です。無意識に駄弁が止まるのです。
長い参道はずーっと森の中。突然正宮の入り口が左手に現れる。うわあ。最後の感動。本当に不思議な作りになっている。もう天照大神は、すぐそこにいらっしゃる。
ついにきた。ついにきた。この半年(いつも夏冬2回参拝します)毎日お祈りしてきました。ついに今やってきました。家族とやってくることができました。ありがとうございます。拝殿の階段を登る前から私はもう天照大神さまに通信を開始しています。
拝殿前は皆でごった返していました。真ん中辺には、近づかないようにします。何故かと言うと
真ん中は、ほとんどの方が、
私に100万円お願いします。
私に合格させてください
私に恋人ができますように
私とヨリを戻すますように
私に、私に、私に
今すぐ、今、今
ちょうだい、ちょうだい、ちょうだい
早くしろよ、早くしろよ
お願いお願いお願い
カネカネカネ
優しくして優しくして優しくして
いいこといいこといいこと
もっともっともっと
こんな我だけ今だけ金だけの気が充満していて気持ち悪くなるんです。
一方、霊的に高い方は、その気を避けてできるだけ端の方でお祈りされる方が多いです。
ここに来れました。
ありがとうございました。
神様のお望みの私に高めてください
神様とお近づきさせてください。
お顔が見たいです。
そのために努力させてもらえてありがとうございました。
これからも人に優しく温かく熱く慈しみ深く生きさせてください。自分の望みはあります。でもそれは全部神様がお喜びにつながりますよう。そして最後は神様にお任せいたします。
神様のお喜びになることをさせていただいた喜びと感謝をお伝えする。願望はあるけれど決して自分に帰結しない願望。神道では「かむながらたまちはえませ」キリスト的には「限りなく汝のものなればなり。」共通の神への通信。きっと1万人いや10万人に1人の祈りだと思います。
この祈りは、届いています。はっきりと神さまに。ここまで準備してきたんですから。
まるでアポをとって社長室に通していただき社長とお話しさせていただいたように。
準備もせず、あすごい天損ジャパン本社社屋じゃあないか。せっかくだからちょっと寄ってみようか。社屋に入って大はしゃぎ受付に行ってご用はと受付嬢に言われ、いやちょっと来ただけです。でもすごいですね。私にも天損カードちょうだいねと言って受付嬢にうふっと微笑まれて記念撮影で受付嬢と写真撮って良かった良かったと帰ってきた。後でインスタにアップ、いいねが100付いたぞ。行って良かった!オレは幸運だ。儲かった!
社長にはあなたのその軽い我だけ今だけの気持ちが少しでも届くことがあるのでしょうか?
最後は少し辛口でごめんなさい。
ではまた




