「今年もお伊勢さんにお参りしました。みんな参道でおしゃべり。拝殿でウンと頷いて、はい終わり。これでは遠くからノンアポで本社ビルに来て、受付嬢に名刺も渡さず帰ったようなもの。社長には何にも通ってないのでは?準備して感謝して新たなミッション貰いにきてね。」

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こんにちは。モリシゲです。年単位のお休み明けのブログ再開ですので、長いブランクでかつてのように皆さまにご覧になってはいただけていませんが、おかげさまで再開後ゆっくりといいねいただける回数が増えてきました。前回のいいね回数の20を超えるところまでのんびりと待ってブログ更新していく事と、ブログネタは、X旧Twitterでの140字のポストの再掲とその背景の説明という方針でいくことにしています。画像は投稿をお休み中に習得したAIイラストによって生成したオリジナルなものです。

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今回紹介しますxのポストは、暮れに家族全員で行ったお伊勢参りの時の事を書いたものになります。


ちょうどコロナ禍もピークの最中でしたのでいつもの暮れの超混雑とは異なり高速道路もガラガラ。伊勢市街もガラガラでしたが、それでも内宮駐車場で30分待ちに見舞われるなど大変ではありました。


うちの家族のお参りは毎年の参拝コースが決まっていて、

(1)まず二見興玉神社(夫婦岩)で禊払いをし

(2)猿田彦神社で仕事や勉学での願望成就を願い

(3)外宮と月夜見宮

(4)内宮で人のために生きる誓いを立てる


と言った構成で午前10:30ごろに二見ヶ浦に到着してから16:30ごろに内宮の鳥居を後にするまでずーっとお祈りのツアーだけを家族で行い、最後に閉店間際のおかげ通りでお買い物して普通の家族の団欒に戻ります。


その間に参拝するお宮は二見興玉神社、猿田彦、さるめ神社、外宮本宮、多賀宮、風宮、土宮、月夜見宮、内宮本宮、荒祭宮、風日祈宮、瀧祭神、子安神社、大山祇神社


になります。時間が余っていればここにさらに月読宮の4社、月読命、月読荒御魂命、伊弉諾伊奘冉命のお社のお詣りが入ります。(1人で行く時はお土産買い物スキップでさらにここに倭姫宮や神宮徴古館、神宮美術館などを入れて行って超過密スケジュールにします)

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この長いお祈りを家族で行う際に、家族にあらかじめこの祈りツアーでの注意点を言っておきます。うちの家族も普通に学校教育を受けた普通の人々なので、一般的な日本人の家族としてお伊勢参りは、もし何も言わなければ下記に示す「普通の行動」になってしまいます。するとわざわざ家族が遠くから集結して共に祈る意味は激減してしまいます。上述のポストはその要約みたいなものになります。


ここからそのことについて、背景を含めて少し詳しく述べてまいります。



お伊勢参りは日本人の家族が1年に一度暮れに集まって、お伊勢さんでともに祈り願いを込める。とても素晴らしい事です。



『神様なんかいない。この世には人しかいない。もちろん人には他人の考えを読む能力はない。


だから、バレない嘘ならつき放題、バレる嘘をつくものは愚か、バレない嘘をつく者は気高く美しい。だから巧妙な嘘を世渡りの方便と自分を誤魔化し人と衝突せず、うまく自分に利益を誘導して生きる。それは巧妙に人を騙すことなのだがそこも私は世渡り上手なのよと自分も騙してこの世を渡る。自分と周りだけが金銭的に豊かになって人を見下す。見下すと言うと語弊があるから言わない。人並み以上の金銭的に恵まれ地位のある余裕の人生を送る。


これこそが素晴らしい人生ゲームだ。これを絶対真理と信じて、今だけ、我だけ、金だけに生きる。そして死んで灰になったら、自分はもとより、つきとおしてきた嘘も何にも残らない。私の銅像とこの偉大な名前だけは残してみせるが。これが今だけ、我だけ金だけの最高に優美な人生ゲームだ。何か文句あるのか?論破しようか?』


こんな人々が主流のこの世において、1年に一度わざわざ遠いところからこの伊勢の地に集結し、ひとときを皆で神に祈ろうとする。こんなに素晴らしいご家族を神様は放置はなさらないとは思います。


しかし、しかしです。何度もお伊勢参りに来て、私はこんな立派なご家族にも、もったいないなあ、せっかくの皆の幸せが爆増できる大切な時間なのに、と思うわけです。


お伊勢参りは長く続いた日本人の大切な大切な風習です。昔は地域で一家族だけが徒歩でお参り。もう何十日もかかってたどり着くわけですから、地域の人は総出でお見送り、お賽銭もたくさん託されて地域の代表として皆の願いを背負ってお祈りに行くわけです。地域代表ですし、旅の道中で賽銭目当ての強盗に遭ったり熊に襲われたり命の危険もある道中を終えやっとの思いででたどり着くお伊勢、そしてついに会える天照大神さま、そして皆の想いを背負っての参拝。もう気合がすごいわけです。


今もそれを維持されているのがイスラム教の信者です。地域の祈りを背負って遠いところからキブラの方向を目指して砂漠の道を旅し、遂に遂にとうとうメッカにたどり着く。もうその時は涙涙の感動なわけです。日本人もずーっとそれに匹敵する事を2000年以上やってきた。



日本人はその精神をすっかり忘れてしまった。大切な事を忘れてしまった。他の国々の人々が今も大切にしていて私たち日本人も大切にしていたものを、今日本人だけが私たちだけが忘れてしまったようです。



少し脱線させてください。脱線は恒例になってますけれど。この本論の根幹である大切な事を忘れさせられた歴史を述べておかないといけないと思ったのです。なぜ2000年の神々と共に生きる精神を我々は忘れてしまったのでしょうか。



少しづつこの変化は起こってきたようですが、大きくはやはり戦争に負けて、他民族の支配を受けたことに起因すると思います。今から80年近く前、日本はハワイからさらに西へ西へと侵略を続けるアメリカにターゲットにされ1945年遂に原爆まで落とされて占領されてしまいました。


(アメリカはその後さらにベトナムアフガニスタンリビアと西へ西へと侵略を続けついにヨーロッパ近くまで来てここから先侵略で白人が殺せなくてこの侵略ツアーがついに破綻しています。今でも気に入らない世界の人物はその国の法律なんか無視してどんどん殺します。CIAが議会でいくらでも証言していますよ。あれも気に入らないから殺したこれも悪いやつだから殺したっって)


さて占領時の連合国司令本部 GHQ(GeneralHead Quarter)はもう2度と歯向かわせないように日本人をどうやったら腑抜けみたいな情けない人間の集団にできるか、よくよく考えて、神道を日本人から奪い去った。そしておかしな多数のカルト宗教を闇で支援し、マスコミで国民を洗脳し、宗教は怪しいものという、色々なストーリーを作って、神と言ったら犯罪傾向のあるなんだか得体の知れない怪しいもので、口に出すのも恥ずかしくなるような社会を巧妙に構築した。


日本だけでしょうよ。皆の前で神様と一言でも言ったら、場が一挙に白け、誰かが必ず「お前なんか怪しい奴だな」と口を開き、もう共感の輪からは一挙に外される。それは言ってはいけないタブーだと皆が認識していて、神様と聞いた瞬間みんなが慌てふためくような国は。


おいおい日本だけだなんて日本に住んでるだけのくせに偉そうにいうなあ、知ってるんですか?と思うかもしれない。でも私はアメリカに住んだ経験があり、若い頃からたくさんの外国人と交わり、家族も日常的に多くの外国人と交わるような生活をしています。うちの子供なんか外国人とずーっと一緒にいるしお嫁ちゃんは今日もイギリス人とお出かけだし。私は仕事関係で特に東南アジアにはたくさんいき、イスラムの結婚式にも出席したりイスラム教の礼拝も各国のマスジッドで数多くこなした経験を持っています。そんなことで神さまを毛嫌いする日本社会の人工的な異常さをよく認識しています。インドネシア、シンガポール、マレーシア、ベトナム、バングラデシュ、ミャンマーなどの国に多数の知り合いは皆神様あるいは仏様への祈りがあってやっとこさ生きています。アメリカの友人もこれは立派と思える奴らは皆神さまを信じて頑張っています。


その点日本は、神様はタブーで、もう自分と身の周りだけ主義で人心が荒廃して皆の心もメチャクチャになってしまっています。例えばアメリカはお札にも神を信じるアメリカみたいなことがデカデカと書いてあって、大統領が神に誓う国、一方日本は「日本は神の国」と政治家がたったそれだけいっただけで大問題になって更迭される国。まあこれもDSにハメられたとは思うけれどね。少し自分たちの今がアメリカに奪われたという史実をしっかりと認識して自らの生き様を再構築する必要はあると思います。



ここの読者の皆さまのうち、唯物論を疑問視されている方はどうか「神さま」と言うアメリカ紙幣(確かUnited States of America in God we trust だったかな)にも書いてあるワードぐらい勇気を持って躊躇なく使ってください!!神様がいる前提で生きておられるのに、まだどうしても神さまと口に出して言えない方がもしいらっしゃるならば、どうぞ勇気を持って口に出して見てください。波動の大切さを感じておられる方。どうか「神さま」と口から出してその波動を高めてください。世界のみんなは平気で言ってますよ。このガラパゴスだけ人工的におかしくさせられてしまっているだけです。主たる洗脳装置のテレビを消してしまえば世界の阿頼耶識の応援が一挙に来ると思います。


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脱線状態から復帰です。



さてそんなふうに神様を信じていると口に出して言えなくなった日本、言えば周りからスピスピ怪しい怪しい。そのうち壺売りつけてくるぞとか言われて異端視されそっと友人から離れられてしまうと言う日本ですが、それでも魂の疼きがある方から、たまらずお伊勢に集まってきます。素晴らしいことですが、皆さん神様に会いに来ると顕在意識にまで上げて、巡礼に来たんですとは口が裂けても言わないわけです。


それを口に出して言ってしまうのは怖い。社会からの報復が怖い。友達を失い異端者として弾圧されるわけにはいかない。だから魂の疼きは聞かないことにして蓋をして、つまり顕在意識と超意識、阿頼耶識の間を遮断して、脳内を書き換えて以下のような意識で伊勢神宮にやってきたことにします。


『わたしは伊勢観光に来たんです。

もちろん拝殿でお願いはしますよ。

誰にお願いって?うーん強いて言えば自分かなあ?

手を合わせて自分の心を清くするんです。禅寺と同じことですよ。


「神さまにお願いじゃあないのか?」だって?

いやそう言う人聞きの悪いことを大きな声で言わないでくださいよ。誰かが聞いていたら明日から生きていけないじゃないですか。そんなことは全く考えたこともないから。


だって神様いるとか言い切る人ってオウム真理教とか怪しいじゃないですか?だからそう言うことは自分からは決して言わないですね。』



皆このレベルから決して出ようとしません。こう言う所にくる人と言うのは、前世からしっかりと祈りを続けている方なので、霊格は高い人が多く、もう神の存在は魂レベルではよくわかっているんです。だから何故か伊勢海老鮑のグルメツアーのチラシを見てしまいディズニーシーでも良かったのに伊勢志摩観光に気が向いて、そしてなぜか観光の時間が空いて、そうだここまで来たんだからもったいない。ついでに伊勢神宮も行っておけと思い立ち、何だかんだと理由をつけて、遂にお伊勢の鳥居をくぐるのです。でも口で話す顕在意識レベルでは上のような話になってしまう。


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だから参道を歩く間中、超意識領域で魂はここに来れたことを死ぬほど喜んでいるのに、顕在意識はそれに強く蓋をしてぺちゃくちゃとおしゃべりです。


いや待てよ。そんな人は少数で実は日本神道の歴史と変遷とかここでお祀りされている神様について皆で勉強したことを最後の確認で話し合いをしているのかも知れないと思い直して、少し聞き耳立ててみると、やっぱりそう言う人はほぼいない。今日の朝ごはんが日本食でどうのこうの、スーパーで納豆98円だったからどうの、昨日うちの子がこけて洗濯物がどうの、いわゆる今ここでここまできて、神様視点で見れば、あなたの魂にとって遂にここまでたどり着いたオリンピック出場にも匹敵する重大な人生のポイントで、魂のオリンピックの晴れ舞台で、敢えてわざわざ言う必要の全くない駄弁に夢中です。あっちでもこっちでも駄弁駄弁です。


はあ〜、もううるさいなー、この最後の神様へのアプローチの大切な時間に集中できないなー参道でぺちゃくちゃ、ガヤガヤ、、うるさいうるさい。



さて、うちの家族は、参拝に行く前から、鳥居をくぐったら駄弁禁止を言ってあるから皆黙っている。今日は観光じゃないぞ。巡礼だと最初から言って遠くから集結してここにきているから他のグループとは雰囲気が違います。わざわざ巡礼に来たんだからこの参道でじっくり精神統一して神の前で最後の禊祓いです。汚い心を落として神様の前に立つ。その気合いで正宮に近づいていく。


玉砂利を踏み締めて一歩また一歩と神様に近づく。


じゃりっ  じゃりっ

じゃりっ じゃりっ


踏みしめる音を聞きながら前へ前へ進むうちに心の中の汚れ切った蔦のようなものがざああーっと剥ぎ取られていく。


明日やらないといけないこと、残ってる仕事のプレッシャー、上司に言われたイヤーなこと、今に見てろの復讐心、あいつだけなんでいい目をするの嫉妬心、さっきの煽り運転の爺さんへの怒りetc etc


心に絡んでいた静電気のバチバチ放電がいつのまにか消える。すーっと心が落ち着いて安心の気に満たされていく。自分でなんとかしたんじゃない。自分のマインドコントロールではこんなに落ち着けない。


じゃりっ じゃりっ


歩くのも足先に集中して心を込めて歩を進めないと前に進めない。昔からの日本の知恵。どんどんと集中が進みます。


おお。不思議です。あれほどどうでもいい駄弁に心血注いで心ここきあらずでおしゃべりしていた周りの方々が、いつのまにか口数が少なくなっている。ここまできてまだ、ポイント3倍特売はあさって10:00からよとかあのキャバ嬢の出勤は次金曜日だとか、そう言う生きていくのには必要かも知れない世俗の事柄はもう口から出てこない。


ここは本当に清らかな空間です。無意識に駄弁が止まるのです。


長い参道はずーっと森の中。突然正宮の入り口が左手に現れる。うわあ。最後の感動。本当に不思議な作りになっている。もう天照大神は、すぐそこにいらっしゃる。


ついにきた。ついにきた。この半年(いつも夏冬2回参拝します)毎日お祈りしてきました。ついに今やってきました。家族とやってくることができました。ありがとうございます。拝殿の階段を登る前から私はもう天照大神さまに通信を開始しています。


拝殿前は皆でごった返していました。真ん中辺には、近づかないようにします。何故かと言うと


真ん中は、ほとんどの方が、

私に100万円お願いします。

私に合格させてください

私に恋人ができますように

私とヨリを戻すますように


私に、私に、私に

今すぐ、今、今

ちょうだい、ちょうだい、ちょうだい

早くしろよ、早くしろよ

お願いお願いお願い

カネカネカネ

優しくして優しくして優しくして

いいこといいこといいこと

もっともっともっと


こんな我だけ今だけ金だけの気が充満していて気持ち悪くなるんです。


一方、霊的に高い方は、その気を避けてできるだけ端の方でお祈りされる方が多いです。


ここに来れました。

ありがとうございました。

神様のお望みの私に高めてください

神様とお近づきさせてください。

お顔が見たいです。

そのために努力させてもらえてありがとうございました。

これからも人に優しく温かく熱く慈しみ深く生きさせてください。自分の望みはあります。でもそれは全部神様がお喜びにつながりますよう。そして最後は神様にお任せいたします。


神様のお喜びになることをさせていただいた喜びと感謝をお伝えする。願望はあるけれど決して自分に帰結しない願望。神道では「かむながらたまちはえませ」キリスト的には「限りなく汝のものなればなり。」共通の神への通信。きっと1万人いや10万人に1人の祈りだと思います。


この祈りは、届いています。はっきりと神さまに。ここまで準備してきたんですから。



まるでアポをとって社長室に通していただき社長とお話しさせていただいたように。


準備もせず、あすごい天損ジャパン本社社屋じゃあないか。せっかくだからちょっと寄ってみようか。社屋に入って大はしゃぎ受付に行ってご用はと受付嬢に言われ、いやちょっと来ただけです。でもすごいですね。私にも天損カードちょうだいねと言って受付嬢にうふっと微笑まれて記念撮影で受付嬢と写真撮って良かった良かったと帰ってきた。後でインスタにアップ、いいねが100付いたぞ。行って良かった!オレは幸運だ。儲かった!


社長にはあなたのその軽い我だけ今だけの気持ちが少しでも届くことがあるのでしょうか?

最後は少し辛口でごめんなさい。


ではまた



『人は魂レベルでは、みんな神の存在を知っています。ルーレットが止まる、競馬のゴール、合格発表、その直前みんな思わず手を合わせ大いなるものにお願い。その時顕在意識も潜在意識も飛び越えて阿頼耶識の海に手を差し伸べる。みんな最初から知っている。最初から。』



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こんにちは。モリシゲです。20いいねついたら、書くなんて大見えきったけれど、20いいねつくのに時間がかかりました。700を超えるいいねがついていた時は、自動選別で、お目に触れる機会が増えると言う相乗効果が出ていたようで、毎日たくさんのいいねがいただけていました。ここ最近は忙しかったのと、これ書いていいのかって言う混乱があったこともあり書けなくなってやめていました。一旦更新が止まったらみんな離れますので少なくなったら、なかなかそういうハイペースに見ていただくふうには戻れないんですね。


でもそれでいいんです。そう言う時は本当にお繋がりの深い方と繋がれる良い機会なのでしょう。たくさんいいねがつくことなんか追い求めたら、それこそ、私の忌み嫌う人生観「我だけ今だけ金だけ」  と同じですから。私は本当の事を書いてそれが理解していただける方と魂のつながりを求めているだけのようですので。


わざわざ見ていただいたり、ありがとうございました。お陰様で、20いいねつけていただきましたので、次を書かせていただきます。

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上のxツイートは、「人はみんな神様の存在を心の奥底で知っているんだよ。」と言うことを述べています。


ここではルーレットの事を例示したので、それを素材にしてこれでもかと言うぐらい書いてみます。ラスベガスにいる自分を想像してください。大金を賭けてうず高く丸いチップを一億円分積み上げ、さあ、ルーレットが回って玉が投げ入れられた。そしてルーレットの回転が止まろうとする。赤か黒か?赤だったら1億円の勝ち。黒だったら1億円の負け。


その時、この賭け主がもし唯物論一辺倒で生きる無神論者の方なら、こう考えていいはずです。「赤黒どちらかが出るのはもう決まっている。確率は50%。それ以上でもそれ以下でもない。だからもう終わったこと。もう見る必要もない。だってそうだろう。今から何らかの行動を起こすことはあり得ない。そんなことに自分の脳内の思考エネルギーを使うのは全くの人生の無駄。、ハイもう結論を見るのはいいから。後で答え知らせてくれたらいい、次行ってみようー。」


とまだルーレット回っているのにドリフの長さんみたいに冷静になるはずです。でもそんな人がいますかね?もしそんな人がいたらそれってロボットみたいな人。どこか精神がいっちゃってる人と認定しますよね。


普通はそうではなく、「お願いだ。お願いだから赤に玉が入っていてくれないか。お願いだから赤に入れてくれって」思いますよね。


赤に玉がいけってお願いしますよね。では誰にお願いですか。何かわからないけれど私に味方してくれる大いなるものにお願いですよね。運命を支配する大いなるものに、まあ言ってみれば天にお願いですよね。


神様なんかいるわけない。いるならここに出してみろや。神頼みは心の弱いもののする事。私は科学を信じて生きる正しい人、と信じて唯物論に生きる人ならこのルーレットが止まる前に確率50パーでもう終わった事なんですか。


でもどんな人でもこの瞬間はそうならない。お願いだ。お願いだ。と何かにお願いする。赤に入れてくれって無意識に誰かに頼んでいるんです。


もう無意識に手を合わせて、目を固くつむる。下を向く。


アレあなた、今何しているんです?その方に問いかけてみる。そう。今神に、天にお願いしておられるんですよね。


唯物論無神論者の人はそう言われると逃げの一手。違う。違う。ただ願望を集中させているだけだ。偶然を期待しているだけだと。


でもね、そのポーズはお願いのお祈りのポーズですよ。あなたのDNAに刷り込まれた太古の記憶が、今を生きるあなたとして今回ここに派遣されて来る前の記憶が、いざという時にあなたに無意識の領域がそのポーズをその行動を呼び起こすのですよ。私の創造主よ。父よ。今こそ今こそ助けてってね。


実はみんな無意識の領域では、知っているんです。みんな魂のレベルでは神様としっかり繋がっていることを知っているんです。


もっと言うなら

みんな魂は不滅で何度も生まれてくる事を。

いつでも見守る存在があり、その存在が自分を見てくれている事を。


ここからは、神の存在について、さらに深く論じてみます。

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最近では、SNS上で神の存在を前提にした上で人生の生き方を語られる方が増えてきたのは、とても嬉しい事ですね。


でもその中には「悪玉」が混じっています。そうです。実は神様を全く信じていないくせに、お金儲けになるから、色々なところから情報を仕入れて、自分があたかも神様と繋がっているようなフリをして、信者を集めて、それらしいことを口から出まかせで吐き出して、確固たる地位を確立していく。

それらしい恰好をしてそれらしい仕草で、脳膜散漫だ(すみません本当はサンスクリットです)とか言えば、もうよほど見える人でない限り騙されて、ああこの人は神の見える霊能者なのだと思ってしまいます。


有名なところではテレビに出ていた「おだむどう」さん。修行僧のような格好をして次々に霊視をしていく姿がテレビでも放映され、大人気でした。スポーツカーに乗って羽振りが良かったけれど、後年懺悔しておられます。アレ全部嘘っぱちでした。霊視は先に局のスタッフに下調べしておいてもらいましたとと自分でネタバラシされました。


また、私は若い頃キリスト教の教会に出入りして、さらに内部に入って役員までやっていた経験すらあります。本当に神様信じているのか、どうにも怪しい守銭奴のような指導者もこの目で見ました。あの指導者の先生、実はイエスキリストも何にも信じてなかったんではないかなあ。神道の中枢部にも怪しい人たちがいっぱいいますね。あまり言いたくないけれど色々な宗教で高い職位の穢れた人々が映像で映るたび、すぐにその悪い気が見えてしまって気持ち悪くなるので、すぐわかります。


そんな神様を利用するとんでもない輩が多いこの世ですが、それを見て、神はいない、宗教や霊能はことごとく全部インチキと論を張る方が多いのも無理もないことですね。


例えばパワーストーンは石ころ霊能者は全員インチキと断言される完全唯物論者で変な覆面の占いKK先生と言う方がYoutuぶでは人気です。またUFOなんて全部インチキと論陣を貼り続けるw大学のO教授が古くからテレビのUFO特番の枠を持っていてよく知られています。「うちの親父はイタコ芸のインチキ野郎」と親が総裁の教団を否定する総裁の長男のHさん。など神や心霊現象を頭から否定される方々が多くいらっしゃり、その人々の大きな論拠となっているのが、これらの神を信じていないくせにそれを有効に利用して金を儲けようとするいわゆるインチキ霊能者インチキ聖職者の確固たる存在です。


そうしたインチキ霊能者の存在に支えられ神を絶対的に否定される無神論者の方も、それはそれで生きる「よすが」、都合の良いビジネスモデルになってしまっているのが今の状況です。


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さてそうした神を否定する唯物論、無神論者の方々にとって、どうにも都合の悪い圧倒的な霊能者の存在があります。最後にこの話を短くしたいと思います。


もちろん釈迦、イエスキリスト、あるいは空海といった歴史的偉人がそれらの圧倒的霊能者の方々にあたるのですが、もう時の流れの中で、彼らの霊能の真偽がはっきりしなくなってしまっています。それでこうした唯物論者の方々はこうした偉人の霊能力も頭から嘘と決めつけ否定されています。


例えばイエスキリストが十字架にかかって殺された後、復活したと言う聖書にあるキリスト教の重要な教えがあります。これを頭から否定することは欧米ではタブーですが、日本だと平気みたいで、「そんなバカなこと信じているのか?これは何かの譬え話に決まっているだろう。そんな非科学的なことが説明できるわけもない。ありえない。嘘っぱちだ。」なんて自信を持って言い切ります。キリスト教ならまだしもイスラム教でそれやっちゃえば断言した翌日からこの日本ですら命の保証はありません。例えば筑波大学の助教授が、昔アラー否定の本を日本語訳して出版してしまったため、遠くから刺客を日本に送り込まれ、可哀想にその先生自分の職場の大学で刑に処されて池に浮かんでましたよね。本論の論拠とは直接関係しないけれど、そう言うこともあったと言う脱線です。



話を戻して「神の存在を否定できるのか」と言うテーマでまだ話します。


そんな唯物論者、無神論者の方々にとって、自分の論を押し通し切るのがどうにも都合の悪い圧倒的な霊能力者の存在があるのです。


「その人」の霊能は何人たりとも否定できない。その人の言ってきた未来の科学はことごとく的中し、その人の死後数十年経過した今もその人の霊視のとおり医学が進歩していることが確認でき、エジソンやテスラがその人の霊視のとおりに研究をやった結果多くの重要な発明をし、その人の言うとおりにしてFMラジオができた。その人の霊視の言うとおりに治療すると難病が快癒する。そんな現代の世界の進歩を牽引したようなものすごい霊能者がいたのです。唯物論と無神論で生計を立てる多くの批評家の方々が、自分の論がこの人1人の存在によって消し飛ぶため、あまりの都合の悪さのため、絶対にその人の名前だけは口に出さないと言う、


20世紀最大の霊能者、「エドガーケイシー」です。


この人は医学工学から株価まで何でも霊視できる、ものすごい霊能者でその霊能があまりにすごすぎるため、時の為政者は密かに経済や支配にケイシーの霊力を利用したけれど、一般大衆にはその存在を知られるのは大衆支配の点で都合が悪く、その存在は長くひた隠しに隠されてきました。


この方は、科学政治経済などあらゆる分野で圧倒的な霊視ができたのですが、中でもこの世界の理解のために極めて重要なのが「神の存在」に関する霊視です。


我々は神のもとに生まれ、そして神の元へ帰る。その帰る場所は魂によって異なり水星の場合もあれば天王星の場合もあるが惑星間のエネルギー溜まりである。その場所は天体と時間によって規定され占星術と天文学で説明できる、と突拍子もないようにも思えるけれど恐ろしく具体的です。この説明だけですと、何だか妄想みたいですが、ケイシーは今まさに医学上の発見を数十年前に詳しく予言するような人、エジソン、テスラの発明まで彼らに克明に教えた人ですから、その霊視内容には圧倒的信頼感があるのです。


彼の神と魂にまつわる霊視によって、魂の意味、我々はどこからきてどこへ帰るのか克明に述べられました。これに基づいてケイシーは神の探求と言う本を書いておられます。この方はもうお亡くなりですが、それ以外にも生前の証言者がケイシーの神と輪廻転生の霊視に基づき、これらの秘密を描かれておられます。


それらの著書に表された森羅万象の姿の説明は現在謎とされることも含めたあらゆる事象を包括して説明する圧倒的なものであり、まさに時空を超えたものです。

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私が神を信じたのは、ケイシーの著作によってではなく、自発的な葛藤格闘からですが、こうして神の存在を確信して祈りを深める中で、エドガーケイシーの存在を知ることができ、いやおそらく神様に教えてもらうことで、霊や魂に関する記述を読み、森羅万象への更なる理解を深めることができました。


これらの著書を読んで、嬉しかったのは、私の場合、この本を読む前に神様との双方向通信で、その内容をあらかじめ教えてもらっていたことです。

また詳しいことは今後述べていきます。


今回も少し長くなりました。

ではまた



『幼い頃は神さまを封印して生きたけれど、青年期に強烈な悪役が現れ長く苦しめられました。本当に悪いひとです。彼は、私からものすごく多くのものを強奪していきましたけれど、私はそのおかげで、ついに神と再会し色々なことを知ることができました。今ではその人にも祈りを捧げることができています。』




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こんにちは。モリシゲです。これまで長く勤めた組織を今年の3月末に退職し、新たに全く異なることにチャレンジして、早いもので半年が過ぎています。今日は仕事関連で九州に出張中で、仕事を終えてホテルで一息つきながらこれを書いています。

このブログでは過去最高でいいねが700を超えたりしていたのですが、延々と苦しい事が降って湧いてきて、平気でブログを書き進める心境ではなかったので、ほぼ休止状態になっていました。

起業して新たな生活を始めるにつれ、最近になって思い直してブログを再開しています。

やり方はx(旧Twitter)の過去のツイート投稿を引用して思い出しながら言葉を足していくと言う形式にしました。xは140字しか使えないので、お読みになられても何が何だかわからない人と、心に刺さっていただける方の2極分化するようでしたので、皆様にご理解いただきたくて、つらつらと背景から述べたりしています。

流石に1年以上更新を開けると誰も見にこなくなっていたので、これからは他力ペースで10ほど「いいね」がつくまで、ゆーっくり待ってのんびり更新していこうと思ってました。

でも再開したらおかげさまで、3日ぐらいで10いいねつけてもらえてそれはそれは嬉しいです。3日と言うのは長文派の私には流石にキツく、次は20いいねまで待つことにしようかな。なんて思っています。
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さて冒頭のxのツイートは、前回述べた神様を意識していた幼少期から、青年期に向けて私に起こった、人生の岐路について述べています。

幼少期に、神様や天国のことを口に出すと、みんながドン引きするのです。これは本当にショックでしたね。このままでは親も離れる、友達も離れると、子供心にも強い危機感を持ち、早くも小学校4年生ぐらいでは神さまの事は完全に封印して生きていきました。

いつしか神ごとは、自分の人生の中から消えていき、何も言わなくなりそして何も感じなくなって親や友人、先生から知らず知らずにいわゆるダークサイドの悪魔の価値観を植え付けられようとされていたように思います。

⭐️⭐️
ちょっといきなり脱線して、青年期に毒されそうになったこの『ダークサイドの悪魔の価値観』について述べることにします。

『自分だけうまくいくように生きろ。
自分だけと言うのが語弊あるなら周囲3メートル、家族と友達だけがうまくいくように生きろ。

他人を見てそれより一歩前に先んじて生きるようにしろ。

自分だけ、今だけで一生懸命生きろ、それこそ美しい生き方。

時には嘘をつけ。本当のことがいいなんて事はない、綺麗な嘘でみんな幸せなんだ、空気を読め。

時間、効率、策略、競争、勝利
こうした事に人生を賭けろ。努力は裏切らない。そのうち必ず「ドリーム」が手に入る。これこそが悔いることのない上級の人生だ。』

受験勉強、出世競争では、皆が基本的にあるいは無意識的にこの考え方で頑張ったように思います。さあ、その挙句に手に入ったものは何でしょうか。自分はトップランナーとしてこの道を突き進むような青年期を送りました。

その挙句に今言えることは、どこまでいっても自分の望むものは何にも手に入らなかった、です。ずーっと檻の中のハツカネズミの滑車みたいなものの上で、走らされて疲れ切っただけです。このままさらに突き進んでもいわゆるアメリカンドリームに代表される、ダークサイドの幻想に踊らされて無駄に人生を浪費するだけです。

ではダークサイドの幻想とは?これは誰も言わないけれど、この世を制御しようとする悪魔たちは皆知っている事です。もうわかりやすくズバリ言いますと

Money、Status、Sexです

お金さえあれば幸せ
地位があれば権力があれば幸せ
そしていい女(女性の場合は男かどうかはちょっと不明)がそばにいればもうこれ以上望むものはない。

この口に出したら小っ恥ずかしいことを心に秘めて頑張っている人が実に多いのです。高級官僚のトップ何ノーパンしゃぶしゃぶ、って聞いたことあると思いますけれど、あれ本当です。皆所詮はあれを目指して突っ走るのです。

何かを依頼する時に人はこれをフルセットで提示されたらほぼ全員、承諾するそうです。本当は誰もやりたがらない、捕まったら必ず死刑になるスパイでもこれを鼻先にぶら下げたら100%落ちてスパイをやり出すと言うのをCIAのエージェントと接触してアメリカのスパイ就任を持ちかけられた稀有の経験を持つスタンフォード大学フーバー研究所のN教授も有料セミナーで言ってました。

芸能界の例のジャニスキャンダル見てたらわかりますよね。もう欲しいものを手に入れるために何でもやる奴らによる我利我利亡者の世界です。みんな薄汚いその世界観で欲望を共有するため、都合の悪いことはひた隠しておし黙ったまま大衆に嘘の幻想を与えると言う、どこまでも嘘の世界。そして政治家もそう、学者もそうだと言われています。と言うか実は私は物凄くよく知っているんですけどここではこの程度で留めておきます。
⭐️⭐️

では脱線状態から本論に復帰します。
幼い頃の神ごと封印を決意して以来、私はこのダークサイドの世界でよく頑張って頭角を現わし、青年期に、ある上級国民の上司に注目してもらったのです。まあジャニー喜多川に注目された可愛い男の子をイメージしましょうね。ものすごく好かれた。

私はその人の付け人のような、鞄持ちのような立場になりました。その人は、私に後継者としてダークサイドにおける自分のスペシャルな生き方を教えようとするのです。吐き気がするほど汚くて穢い物の考え方に基づく姑息な処世術です。母親から言われていて絶対に聞かなかっとあの姑息な処世術を100倍ぐらい汚くした悪魔の生き方です。

オマエは見どころがあるから、ワシが1から教えてやると言って、上述のようなダークサイドの考えに基づく悪魔の価値観を教えようとするのです。まあ私にとったら、毒親そしてついにラスボスの超巨大最強の毒を持った人生最大の敵となる上司が出現したのです。20代前半のことです。

その上司とは、流石に磁石のN極とS極ぐらい異なる私です。その後きっちりと大変な状況になりました。そして、この大きな出来事をきっかけに私は再び神様の元に近づいていくことになります。この辺りのことは、これからゆっくり語ります。よければ前の記事も見てもらえれば、そこにも書いています。

今では、幼少期に神様から離れてダークサイドの中枢に入ったこと、そして超巨大な悪魔みたいな人間に注目されたこと、そしてそれが許せずにカウアンみたいに一大反発して、人生のどん底を迎えまた神様に近づいたこと、今にして思えば、全部大きな力によるシナリオだったような気がします。これが冒頭に出した140字のツイートの背景になります。詳細はまた後日。

ではまた

過去ツイート1

『小さい頃、母親に尋ねたことがある。「ママ。人は死んだらどうなるの。」もう知っていたけれど直接言ってもらって確かめたかったんです。母親は驚いて、こう言った「おかしなことを言う子だねえ。死んだら何にもなくなる。燃えて終わりや。」知らないんだ。情けなかったけれど何も言えなかった。』



過去ツイート2

『母親は、あの世を信じず、唯物で苦しんで最後に「残念」って言って死んだ。ママ。ご苦労様でした。しばらく私の肩に憑いてたみたいだけれど、龍神さんを呼んだらどこかに行っちゃった。今ごろちっちゃい子として敗者復活戦で現世に帰ってきてるかな?今回はきっとどこかで神様に気付いてくださいね。』



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こんにちは。モリシゲです。このブログでは昨年まで2年に一度更新してましたが、つい最近より心を入れ替えて、いいねが10個ついたら更新する方針に切り替えています。ありがたい事に、昨日に前回記事に10個以上のいいねをいただきましたので、今回は、上記にありますX、旧Twitterの過去の関連2ツイートを元に、思いつく事を話してみます。


今日は、かなり前に亡くなった両親特に母親の思い出です。一生懸命に私を育ててくれた母親ですので、感謝の気持ちで一杯ですが、生前神様を信じずに必死に生きたその生き様が少し可哀想だったので、今日はその観点で話します。


前記事でも書きましたように、私は死んだらどうなるか、小さい頃からもうなんとなくわかっているようなところがありました。それでまだ小学校1年か2年生の時に


「ねえママ。人は死んだらどうなるの?」


と聞いてみたことがあるのです。


すると母親は、驚いて、そしてすごく嫌な顔をしたんです。そしてこう言いました。もう何十年も前の事ですが今でも鮮明に覚えています。


「変な事を言う子だねえ。死んだら終わり。燃えて何もかもなくなる。それで終わり。」


これだけ言うと、母親は意識的に話題を変えました。もう2度と言うな。と言うものすごい圧力も感じました。私はまだ小さかったけれど、この答えには本当に失望しました。私はもっと違う答えをこの耳で母親から直接聞く事を用意していて、ワクワクしてこの質問を投げかけたのです。


例えばこんな答えです。

「すごいね、シゲちゃん。そうなのよ。天国に行けるんだよ。天国は明るくて、暖かくて、みんな優しいよ。」


期待に反して母親の答えはなんとも暗く冷たく、何にもないものであった事でしょう。地獄からの死者、悪魔の言葉です。


私は、情けなくて情けなくて仕方なかった。母親は何にも知らなかった。尊敬する母親が実は1+1が答えられない事を知った。知っちゃあいけないものを知ってしまった。見てはいけないものを見た。そんな大ショックでした。今でもよーく覚えています。


母親はかなり気が強い女性でしたので「目の見えないものよ、よく聞くが良い」とかイエスキリストのように諭せるわけもなく、黙って下を向きました。今思っても私はかなり可哀想だったですよ。


そうなんだこれはもう2度と言ったらいけないんだと思い、ここから母親が死ぬまでの半世紀本当にその通りにしました。まだ小学校低学年での、私の鮮明な思い出です。


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母親には継母がいましたが、自分の産みの母親のことを一言も私に言いませんでした。聞いても答えませんでした。親戚も決してこの件を私には言いませんでした。人に言えないこときっと恥ずべきことがあったのでしょう。


父親にも継母がいましたが、こちらも自分の産みの母親のことを一言も私には言いませんでした。こちらは父親に聞いたら答えてくれました。たった一言「ああ、死んだわ」。こちらも親戚に聞いても誰も事情は言いません。親戚の微妙な言い回しから、あとはどこからともなく入ってくる神降りで、何があったのかは、自分で勝手にわかってしまいました。


父親の母親(私の実の祖母)はどうも強度のうつ病で、父親は彼女にネグレクトされ、ほぼまともには育てられていなかったようです。そしてどうも父親がまだ小学生の頃自死しているようです。


そんな父母はどちらも母親の愛情を知らずに育ったいわゆるブロークンファミリーの出身。可哀想な同様境遇の若者が、戦後意気投合し生まれたのが私。2人は結婚後、自分たちは絶対幸せな家庭を作ろうと必死だったようですが、なにしろ2人ともまともに育てられていないので、生まれてきた私をどう育てたらいいのか全然わからない。父親はきっちり暴力を振るいますし、母親は、子供に歯磨きをさせると言うのすら知らないので、私は乳歯をほぼ虫歯で失い、その影響は永久歯にも及んで、今でも歯では苦労させられています。


そんな母親は、でも一生懸命自分1人で子供を育てようと頑張りました。父親は夜遅くまで飲み歩いていましたので役には立ちませんからね。自らは母親の愛情を知らずに育ち、自分の子供にはそのよく知らない愛とやらを想像で生み出して我が子に与える、大変な苦労だったと思います。微妙にトゲトゲした愛もどきみたいなものもいっぱい受けましたけれど、最後の時には、そんな事もわかっていて、よく頑張ったねありがとうって母親には感謝しました。私もいわゆる愛情いっぱいの家庭で育ちましたとまで行かず少しはDV受けたけれとも、変な劣等感は持たずに済んだし、自分はおそらく代々続いたであろうDVと全く無縁の家庭を作ることができましたから。DVや毒親の負の連鎖は私の代で完全に断ち切れましたから。


話を戻します。私の母親は、いわゆる「母の愛」を知らずに育っているからかどうかはわかりませんが、極端な唯物論者、無神論者で、神の愛みたいな事には異常なほどの拒否感を示し続け、自分の周りだけ良ければいい、見た目を重視して、嘘はついて生きるべき、それで幸せを掴む、というダークサイドの考えの持ち主で、それで私に見せかけの幸せを与えようと頑張りました。


私に対してもその価値観で押さえ込もうとし、ことあるごとに


見た目が大切、「らしく」しなさい

皆と同じにして目立ってはいけない

嘘も方便


みたいな処世術で姑息に生きる生き方みたいなものを私に与えようとします。


一方で、私は両親に対して、ちょっと傲慢かもしれないが、生まれながら少し違うものを持つ者という自覚が小さい頃からあって、


人と比較されながら生きてはならない

独自の生き方が必要

嘘は自分が知っているんだから天は知っている。だから実はみんな魂レベルで嘘つきを知っている


と言うのが非言語領域ではっきりわかっていたので、親の低レベルな処世術教育にいちいち反発していましたね。


母親は、ナルシシズム性向の強い夫との生活に苦しみ、最後まで神の存在を否定して、この世のうたかたの偽りの、一時的な、はかない幸せを求めて、この世を漂っていきたように思います。その後次々に降りかかる困難ーー主にナルシシズム気質に加えて認知症まで患う夫(私の父親)に起因するものですがーーの中で、ひたすら我慢と不平不満の人生でした。


挙げ句の果てはこども(私の弟)を交通事故で失い、いよいよ死にたい死にたいと言うだけの人生でした。私がいくら、アイツはもう天国で幸せそうだよ。もう大丈夫だと言えば、よくもまあそんな事を言うと怒り狂い、子供の死は受け入れず無かった事にしていました。無神論なら、そこしか逃げ道はないのもわかっていたので、可哀想すぎてそれ以上は何も言わなかった。


突然おとづれた末期癌の現実に、最後まで諦めきれず、最後に


「残念」


と言い残して死にました。神を信じず、物質だけ、金だけ今だけ我だけで生きれば、世の苦しみが倍加して襲いかかってくる。自分は最後に残念なんて言って死にたくない。ありがとうって言って死にたい。そう強く思いました。


その後母親は案の定成仏できず、私の肩に乗っかって彷徨っていました。霊能のある親戚が言ってくれました。私にもなんとなくわかっていました。


父母の死後しばらく経って、さらに神ごとに引き寄せられた私は、ある方のご縁で、芦ノ湖の九頭龍のお宮前で、強く祈る事で龍神さまを連れて帰る事に成功しました。新幹線の中で、はっきりと連れてきた事が意識されました。緑の線の入ったキラキラした龍神さまです。


忘れもしないその夜、両親の夢を見ました。父親が前、後ろに母親の構図で出てきました。そして龍神さまを見てすごく迷惑そうな顔で


「おい!これはなんだ」


と私に文句を言うのです。私は


「もう大丈夫だから光の方に行け」


と言いました。そして夢から覚めました。


それ以来もう親は夢には出てきません。肩に張り付いた母親のせいで非常に長く苦しんだ四十肩の症状も完全に消えました。


やっと成仏できたのでしょうね。成仏とは、魂が地球を離れ元の惑星間のエネルギーだまりに戻る事です。この件はまたそのうち。


ではまた








『小さい頃から、人はなぜ生きるの?って思っていました。小学生の時、みんな同じだろうと思って人はなぜ生きるんだろうって皆に聞いてみた事がある。女の子に、モリシゲ君てそんなこと考えているの?って訝しがられ、これ言ったらいけないんだな、って封印したよ。言えば友達失うんだって強く思った。』


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こんにちは。モリシゲです。X(旧Twitter)のツイートの補足をしながら、このブログを書き進めていくことにしました。いいねが10個ほどついたら投稿していこうかなと思っています。また画像はその時にAIで作成したオリジナルなものです。


上のツイートでは、幼少期の思い出について語っています。これは小学校4年生ぐらいの時の事だったと思います。小さい頃からずっと人はなぜ生きる?なぜ生きる?って思ってた。次のツイートにて詳しく話しますが、親にも聞いてみたことがあるんです。


父親は、祖父が熱心なクリスチャンであったため幼児洗礼を受けていて、自分は立派な考えの持ち主で、正しく生きる者と思い込んでいましたが、聖書を読むところは誰も見たことがなく、平気で嘘をついて暴力を振るうちょっととんでも無い部類の親でした。キリスト教は父親にとっていいカッコして生きるための方便でした。


母親は、そんな父親に愛想を尽かしていて愛とか神とか、そんな偽りの言葉を使う父親を偽善者呼ばわりしていました。そんなわけで両親にあの世の事や人が生きる使命を聞いたって、何にも答えてはくれないどころか、母親にはおかしなこと言うなと釘を刺されてしまったのです。きっと父親に洗脳されてはならないと危機感でいっぱいだったんでしょうね。今だからわかります。私は生まれた時何となく人には使命があるはずだとどこかで知っていたような感じなんです。だから両親のこの有り様はかなりショックでしたね。


そして神様とか人の使命とかの問いは、家で親に言ってはダメだというのを知り、かわいそうにも子供心に封印させられました。


それでもやはりこのことは生きていく上で必要だという確信があったのか、それから2年ぐらい後で友達にも聞いてみた、確か小学校4年生ぐらいの時。親はダメでも友達なら、そういうこと話せるかもしれないと思い、中にはわかってくれてお話しもできる子がいるかもしれないと思い、神様からの指令とかの深淵なことは言わずに、オブラートにくるんだ話し方で、「人って何を目指して何のために生きるんだろうか?」って聞いてみた。


でも、みんな、いわゆるドン引きの状態になっちゃった。そして1人の女の子がこう言いました。「モリシゲ君って、なんか不思議。普段からそんな事考えているの?」


大変なことを言ってしまったことがわかりました。小学校4年生ですからお友達をいっぱい作って色々学んで生きていかないといけない年齢です。これはまずいと思いました。もう人生から完全に封印しないといけないんだと思い、もう言わないようにどころか考えないようにしようと決意しました。そしてこのあたりから、いわゆるスピリチュアルからどんどんと離れていってしまいました。


これは、今思うと大変残念でしたね。ここで親が周りの人々が、私を変人あるいは狂人あるいは偽善者扱いしないでいてくれて天国いけるようにどうしたらいいと思う?とか言ってくれていたり、あるいは自分自身が強くて、いかに孤独でも大丈夫だと主イエスキリストのように「我が父よ、この人たちは自分が何をしているかわからないのです」と周りの人に祈れたりすれば、もっと美しい人生が歩めたのでしょうが、そこまでのものはなく、とても無理だった。お決まりのコースにハマってしまい神様から離れる遠い旅に出てしまいました。ここから次の記事以降で、私が如何に神様に再度引き寄せられるか、その視点で語っていこうかと思います。


ではまた