前号の「3人娘」がやって来て、すぐ福岡での1ケ月の集中教育に入った。パソコンや携帯は日本に持ち込みが禁止されているので、この間は全く外界と隔絶され音信が遮断される。やっと日本に来てくれたもののしばらくはお互いに連絡は取れないのだ。
そのことは予め分かっていたので、3人には中国を発つ前に私の住所と電話番号を教え、日本に着いたら手紙か公衆電話で連絡を寄こすように伝えておいた。そして最初の手紙が来た。彼女らは青島-下関航路で日本に入ったのだが、「遠くに日本の陸地が見えた時には、これが日本だ、先生のいる国だと感激した」とあった。嬉しい便りだ。
その内に電話があり肉声も聞けた。教育中は手紙も禁じられているようなのだが、ダメもとで80円切手やテレホンカードを送ったところ彼女らのもとに届けられたという。こうして約6週間の間に何通かの手紙と電話のやり取りができた。日本の景色や食事が好きになった様子も伝わって来て安心した。そして6月上旬、ケイ・ショウロとトウ・セイの2人が栃木県佐野市に、ヨウ・ハイジエが1人で静岡市清水に赴任をした。
清水の寮にて 佐野の寮にて

ヨウ・ハイジエ(中)と同僚たち/ケイ・ショウロ(中)およびトウ・セイ(右)と