学生の方も3年生が卒業モードになって来たし、私の契約任期も終わりが近づいて来たが、私の務めである「日本の伝統・文化」の講義と会話練習は粛々と進めた。
この時期で最も記憶に残るのは手作りの「福笑い」が大受けだったことであろうか。出来上がった顔の造作が面白く文字通り笑いが湧きあがる「福笑い」は日本から用意したものがなかったので自分で作った。要らないカレンダーの裏に顔の輪郭を描き、別途目や鼻、耳などを作った。あとは所定の遊び方である。初め授業でやったら受けて、我が宿舎でも遊んでもらった。
名残りを惜しむ”儀式”も続いた。外国人教師の会で送別会を催してくれた。共通の事務室になっている私の向かいの部屋に各自が手作り料理を持ち寄った。米国人の料理、韓国料理はそれぞれ珍しかった。 広島出身のモリキさんは「お好み焼き」、私は「スキヤキ」と言いたいところだが一度に全部を煮込んで出したので「牛鍋」と言った方が近い。 英語を共通語にして和気あいあいの会になった。
日本人会の方も開いてくれた。この時、山東科技学院のフカマチ先生とカワサキ女史とは私が日本から持って来た遊び道具を継承する話になり、後日私の宿舎を訪ねてくれた。因みにマンガやフィギュアなどは希望する学生に与えた。
金江労務社からは食事に招かれ、日本に帰国後は中国人研修生の受け入れ企業開拓でパートナーシップを結ぶことになった。立派な肩書の名刺まで作ってくれたのだが、日本に帰って調べる内、私のような素人が手に出せるものではないことが分かり、この件は立ち消えになってしまった。
宿舎来訪の学生たちも次々にやって来て名残を惜しみ、土産の品などを持って来た。宿舎への来訪最常連のケイ・ショウロとヨウ・ハイジエの2人はケーキを買って来て、ささやかな送別をしてくれた。ただ彼女たちとは日本で再会することはほぼ確実になっており、再会を楽しみにしていた。
こうして残りの日々が過ぎ去って行った。

残り少なくなった宿舎に最後まで訪ねてくれた学生達