前号では私の相棒のモリキさんの親友であるヤマザキさんらとの出会いを書いたが、その後当地での日本語関係者との交流に輪が広がって行った。 元々、濰坊市には日本人会があった。毎月1回、土曜の晩に「一休」という市内の日本料理店に集まって交流していた。濰坊周辺に事業所を持つ日本企業の人や我々のような日本語の教師がそのメンバーとなっていた。大手鉄鋼会社やタイヤメーカー、製紙会社、食品加工会社などの現地会社に赴任している企業人が多く、日本語教師たちを加えて会員は30名ほど、いつも20人近くが出席していた。会費は一律200元(当時のレートで約2500円)。料理は刺身や天ぷら、煮物、揚げ物の大衆的な日本料理。アルコール類も日本から取り寄せたものばかりで飲み放題であった。日本で考えればメチャ安いが、当地では結構高い値段である。
濰坊に着任した日に青島空港に迎えに出たサトウ氏からこの日本人会の話を聞かされ、早速その一週間後の土曜にあった定例会に出席した。サトウ氏は自らこの会の主のように振舞い、初めて出席した私を日本から引っ張ってきたかのように紹介をしていた。その後この会で知り合った中には、私が会社時代の主力製品のユーザーさんであったり、かつて勤務した工場が隣り同士であったりという奇縁もあった。
ヤマザキさんはこの会には入っておらず、モリキさんはサトウ氏に嫌気がして(サトウ氏を敬遠する人は多かったが)1回出席しただけで辞めてしまった。その内にこの2人を中心にして日本語教師を主体にした集まりができた。肩書きの多いサトウ氏も一応日本語教師なのだが、同氏を外すことが主眼であった。また日本人だけに限定せず市内の日本語学校の校長や日本などに研修生を送り出す会社の幹部らの中国人にも声を掛けて濰坊市での日中親睦の趣きとなった。 当地の”日本人界”の盟主を自認していたサトウ氏は後にこの集まりを知りヤッキになる一幕があった。
写真左は勢揃いした日本語関係者の親睦会。経貿学院の私とモリキさん、濰坊学院のツチヤさん(私の知人)とクドウさん(北海道出身の女性)、山東科技学院のイケダさん(自由人的な好青年)、フカマチさん(山口生まれの会社定年組)、カワサキさん(ジャイカから派遣の京女)、有声日本語学校のヤマザキさん、七翼日韓語学校のリン校長、華日言語学社のシャ社長、金江労務社(研修生派遣会社)のリュウ社長ら・・・今でも懐かしい面々である。
写真右は私の家内と長男(右の2人)が遊びに来た時の歓迎会の模様
