経貿学院でのもう一人の日本人教師であるモリキさんはすでに何回も登場しているが、おさらいすると彼は広島の出身で大学は東京のM大。アメリカにホームステイして語学留学したり、東京にある日中学院という所で中国語を学び、またスポーツも得意なマルチ人間である。学校全体で2人しかいない日本人の相棒として、いつも一緒に食事を摂っていた。初年度の前期はモリキさんが1年生、私が2年生を担当し、後期はその逆になった。
新たに登場するヤマザキさんは茨城の生まれで東京のW大を中退して会社に入り、そこを退職して中国に渡った変り種。当時、濰坊市の「有声日語学院」という私設の日本語学校に勤めていて、会社時代の同僚で仲良しだったモリキさんに声をかけ濰坊に呼んだというのである。モリキさんとの親交が復活し、私とも妙に気が合った。 大変な博識家で4年生の時に有名大学を中退した理由がよくは分からなかった。
始めモリキさんが宿舎に呼んだ時に紹介を受け、その後「有声日本語学校」に出入りしてオウ校長とも親しくさせてもらった。写真①は向かって左からオウ校長、私、女子生徒のダンさん(ヤマザキさんんと同居中)、ヤマザキさん、モリキさん。
そしてその縁で一緒に食事をしたり、濰坊にある工場見学などをさせてもらった。写真②はシーツ工場の見学の時のもの。工場は従業員500人くらいの規模で、日本にも輸出をしているほか、日本の有名な寝具メーカーN社のOEM生産(下請け生産)もしていた。 写真③はタオル製品の会社見学後ご馳走になった時のもので、帰りにそこのタオル地のバスローブを買ってみたが、安かったし(日本の3分の1くら?)部屋のくつろぎ着として重宝した。

① ② ③