国慶節休暇の後半はひとり歩きによる観光と部屋の大掃除や買い物などをして過ごした。そして北京に来て早くも5週間が経った。ここで実験学校での日常生活を紹介してみたい。
寮の私の部屋は6階建の3階。生徒3~4人部屋の一室だ。同じフロアーは教師が住んでいて静かな環境だった。平日は概ね7時半頃起床する。会社リタイア後は7時に起きて床の中で新聞を読み始めるのだが、ここでは新聞はない。やっと繋がったテレビも画面がザラザラだし言葉が分からないので、結局滞在中にテレビはほとんど見なかった。8時頃に教師用食堂で朝食を摂る。一旦寮の部屋に戻ってから教室の隣の教師事務室に入る。リュウ先生と分担しての授業は段々と私の方の比重が大きくなった。昼休みは2時間もあるので、部屋の掃除や洗濯はこの時に済ますことが多かった。寮の中庭が洗濯物干し場になっていて、そこに架ける。布団干しをする時は授業前に干して、昼休みに取り込む。スーパーの買い物や銀行などはリュウ先生の授業の間に外出させてもらった。夕食時には食堂でこっそりと晩酌をする。食堂は3食ともカフェテリア式だが最初に二十歳前後の女性職員が主菜だけよそってくれる。彼女らは私が日本人と知って、愛想よくしてくれた。時々日本語の挨拶などを教えたりした。食堂ではほとんどは一人での食事だが、数か月前まで実験学校にいたハンさんの紹介で数人の先生とは挨拶(英語で)するくらいにはなった。ハンさんと初めての観光の日、呼び出して一緒に夕食をしたフー先生はその後も3人で麻辣湯(日本のおでんのような串差しの鍋物)を食べに行くなどのこともあった。
夜(と昼休み)は日本の家族や知人との通信に充てた。知人や所属会のメンバーなどおよそ20人くらいと頻繁にメールで連絡していたので、毎日のようにパソコンに向かっていたが、逆に夕食後はそれくらいしかやることがなかった。部屋に生徒を招くスペースもないし、テレビも見られないような状態だったから。その点学生たちが取っ換え引っ換え部屋に来て遊んだ1年後の大学の時とは全く違うのだが、こちらは北京の観光が満喫できるのだから、それはよしとせねばなるまい。
学校にプールがあれば泳がせてもらうのだが、日本では学校にプールは当たり前なのに中国ではプールのある学校はほとんどないようだ。実験学校は小・中・高一貫のマンモス校で立派な体育館やグランド、テニスコートを備えていたが、プールはなかった。そこで、生活もある程度慣れてきたところで、運動にもなるインラインスケート(4つのローラーが縦に並んだスケート)を買ってみた。それまで経験はなかったのだが、アイススケートはやったことがあるので割とスムーズに滑れるようになった。夕食前の時間などに学校の構内で滑って遊んだが、結構これはいい思い付きではあった。
【下の写真】
①私が滞在した学校の寮。全6階建て4棟である ②教室に行く時に通る吹き抜けのエントランス。巨大な「考える人」の像の前のにて ③ハンさん(中)、フー先生(右)と麻辣湯(中国式おでん)の鍋を囲む ④滑って遊んだインラインスケート ⑤スケートで遊んだ後、構内は秋の夕暮れ

① ② ③
④ ⑤