人間国宝の落語家柳家小三治師匠が亡くなった。私が好きだった落語家の一人であった。これまで人間国宝になった落語家は小三治師匠の他に柳家小さん師と桂米朝師の3人だけ、いずれも鬼籍に入られた。私は関西落語の桂米朝師も上手いと思うし好きだったが、柳家小さん師を名人とは思わなかった。
私が落語を好きになったのは小学校5年か6年の頃からだった。当時叔父(母の弟)が我が家に同居して会社に通っていたが、私と相部屋だった叔父が夜、テレビの無かった当時よくラジオで聞いていたのが寄席番組であった。落語、漫才、浪曲などで、浪曲は陰々滅々として好きではなかったが、漫才と落語は楽しかった。漫才は当時花菱アチャコ・浪花千栄子やリーガル千太・万吉などのコンビの時代、落語は柳家金語楼、古今亭志ん生、三遊亭金馬、古今亭今助、柳亭痴楽などの高座(放送)をよく覚えている。
金語楼は本名の山下敬太郎を軍隊で「山下ケッタロー!」と号令した話をよく使っていたが、喜劇役者としても活躍していた。志ん生は当時から名人上手との名声が高かったが私はその語り口は好きではなく、後に出てくる息子の志ん朝や三遊亭円生の方が名人だと思っている。金馬(三代目)は高座が明るくなるような、よく通る声であった。今輔はお婆ちゃん落語で笑わせた。「痴楽綴り方教室」の枕で人気を取った痴楽は独特のネタを喋った。
話を元に戻して、この度の小三治、先ほど挙げた古今亭志ん朝、立川談志、三遊亭円楽(先代)・・・と一世を風靡した噺家がこの世を去った。時代が変われば文化風習や娯楽の好みも変って普通だが、落語界では古典や大ネタを演じる後進の噺家に期待をしたい。