前号で「このところ肌寒い雨の日が続いている。スカッとした青空が欲しいところだ。」と嘆いたばかりだが、特に昨日(14日)は日中の気温が12~13度しか上がらず、都心では46年ぶりの低温記録だと新聞にあった。
そんな冷たい雨の中、吉祥寺でほぼ毎年会っている大学同期の3人が集った。目的の一つである井の頭公園の散策は諦めて店探しに雨の中を歩いたが、こんな天気にも拘わらず吉祥寺の人出は多い。取りあえず入ったポピュラーな洋食店とその後友人が選んだ老舗の喫茶店で、話題は各自の近況から政治・経済にまで及んで談笑した。
その折、私のブログを知っている友人から話が出て、もう一人にそのサイトを教えた。会社リタイア後しばらく中国での日本語教師生活を送り、帰国後にボケ防止に何かせねばと思っていたところに市報で「ブログ入門講座」の字が目に止まって応募したのがブログの始まり。それから6年半が発ち延べ950回ほど更新を重ねた。しかしブログは日記みたいなものだし、近頃流行りのユーチューバ―みたいに閲覧数を競う気はないので、これまでブログのサイトを教えたのはわずか3人だけにとどめていたのだが・・。
今朝の購読紙(朝日)一面トップは『星の合体 重力波で観測』『発生源からの光も確認』という記事であった。見出しからは一般人にはどれほどの凄いことなのかは分からないし、本文を読んでみたところでますますチンプンカンプンの天文学の記事である。私が天文学に疎すぎるのか、とにかく感覚が掴めない。地球上に起こっている現象からは想像もつかないのだ。大体光の速度それすら感覚が掴めないのに、1光年ってどんな距離なのか見当がつかないし、まして今日の記事では数億光年離れた天体現象を観測するという話だから、始めから記事を理解することを放棄してしまう。だから一面トップに活字が躍っていても「はあ~ん」と流し見するだけであった。天文学愛好家には興味深々なのだろうな。
同じ一面の連載コラム「折々のことば」を取り上げたことはこれまでなかった気がするが、ドッキリしたり、頷いたりすることが多い。
今日はオーストリアの思想家の言葉が載っていた。『学校制度はチャンスを平等にしたのではなく、チャンスの配分を独占してしまった』というものだが、「学校は出生に関係なく全ての人に開かれたもののはずだが、人を能力という単一の物差しで選別する装置に化している」という指摘は今の学校だけでなく日本の社会の問題として投影される。確かに学校では試験の成績だけでほぼ生徒の価値が決められる。人としての性格や技能などの価値は何も反映されない選別マシーンになっているという言葉がズシーンと胸に来た。