前に私は東京都民生委員及び児童委員の委嘱を受けていることを書いているが、この10日間ほどはほぼ毎日その任務に関する活動に携わった。 5月12日が「民生委員・児童委員の日」であり、その前後の1週間を「活動強化週間」としていろいろな啓発・広報活動の取り組みがあった。前の週に準備作成した啓蒙・PR用のパネルを市役所ロビーに展示して、当番で立ち合い説明に当ったり、昨日の日曜には都民連主催による啓発パレードに加わった。都内全域から集った1400人の民生・児童委員が新宿の目抜き通りをパレードしたのだ。パレード前日は地域の福祉活動を担うケアネットの会議に出て運営に関する意見を主張したり、今日は別の地域団体の日帰り研修に参加した。この間、ほかの事が余りできなかったが、お蔭で顔とお名前は存じているメンバーのこれまで知らなかった素晴らしい一面を知る機会にもなった。

   浅田真央ちゃんが現役続行を表明した。昨年5月に「(現役続行は)ハーフ・ハーフ」と宣言してその成り行きは国民の大きな関心事になっていたが、1年を経て今日の記者会見で晴れて「続行」を表明したのである。もう24歳になった浅田選手、真央ちゃんと呼ぶにはちょっとそぐわないかも知れないが、未だに国民的アイドルであることに変わりはなかろう。昨年2月のソチ五輪ではショートプログラムでまさかの失敗とその翌日のフリーの演技での感動的な演技。メダル獲得こそならなかったものの続く世界選手権では3度目の優勝を飾った後の「ハーフ・ハーフ」の休养宣言であった。私は引退への気持ちを整理する期間と考えていたが、まだまだ競技に対する情熱はたぎっていたようだ。周囲のいろいろなアドバイスや後押しもあったのであろう。師と仰ぐ佐藤信夫コーチも最終的には全力でバックアップするようだ。今や世界の第一級の選手になった男子の羽生結弦選手とともに華麗な演技を見せて欲しいものである。
(なおこのブログ初稿には大相撲夏場所の話題を取り上げていたのだが、浅田真央の記者会見のニュースを知って急遽書き変えた)

 

[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#54―引き留めのラブコール

   5月上旬に家族が来華した時の話の中で、日本語科教師との歓迎の食事会で『家内の隣りに座った主任教師のバオ先生がしきりに私を引き留めて契約の延長を望む話をしたようである』と書いた。バオ先生はかねてより私の学生からの評判を口にしておられたのだが、任期の残りが実質2か月しかない5月になると「残って欲しい」というニュアンスを含むようになった。その内同僚のチョウ先生からも「先生、帰るのですか?」と暗に引き留めのラブコールとも受け取れる質問をされるようになった。せっかくの有難いお気持ちではあったが、その時点では契約満了で帰国するつもりであった。
   というのも、妻子が一緒に濰坊へ遊びに来た時皆さんにはすごく円満な家庭に映ったと思うのだが、実は家にあって長男はいろいろ問題があって親には心痛の種であったのだ。そのため、私が長期に家を空けて北京や山東省に滞在することは家内にとって極めて気が重いことであった。会社リタイア後の私の生き方に水を差したくないので送り出してくれた家内の心情を考えると期間を延長する訳にはいかなかった。
   ただ、一方では授業は軌道に乗っており、授業を離れても学生たちとの交流が盛んで楽しいし、経貿学院の処遇や濰坊・山東省での生活にも満足していたので、もっと続けたい気持ちもあった。
   そうしているところへ外語学部のソン事務主任から続けてもらいたい旨の学校としての打診があり、家内にも了解を取って結局3カ月の延長ということで理解を得た。その際私は3年生(08年級=現在の2年生)に『日本の伝統と文化』を教えたいことを伝えたら、授業は全て任せるとの即答であった。
   後から考えたことだが、次の1年生(10年級)と2年生(09年級)はそれぞれ1クラスしかなく、3年生は2クラスだが前年の例からみると授業は有名無実で日本人教師はモリキさん1人で間に合うはずである。学校というか中国人教師たちとしては今の盛り上がりを維持したいとの気持ちがあったようなのだ。そう考えてみれば外国人教師は全て教職員マンションの同じ階段の上階に居住しているが、1階に居る私には他の教師の部屋に学生が頻繁に出入りしている声や物音は聞こえなかった。日本語科は授業外での盛り上がりが教室の授業にも波及していて、私の続投が望まれたのだと気付かされたのである。

           写真は左からバオ先生、チョウ先生、ソン主任