昨日17日は阪神淡路大震災から20年の節目の記念日。新聞やテレビで多くの関連報道がなされ、当日は兵庫県内の各地で追悼行事が行われた。死者が6千人を越え、全半壊した家屋が25万戸という大災害であり、遺族や被災者たちの心の傷がまだ深く残されている。官民挙げての復興が成し遂げられて来たが、甚大な火災被害を招いた神戸市長田地区は見事な近代的市街として生まれ変わったかに見えるものの、その商店街がシャッター通りに変じているという報道もあった。復興について街の建造というハード面と住民の日常生活というソフト面のズレが生じているような気がした。 
   話転じて東日本大震災の復興は原発事故も含めてさらに一層の困難が伴うこと必定と思われる。

   うららかな天気に誘われて今日午後から神代植物園に行き、春の先駆けの花を目当てに歩いた。梅林は早咲き種の冬至白難波がほぼ昨年並みにチラホラ開花していたが、全体としては満開を100として1~2程度の状況。ロウバイ(素心蝋梅)がほぼ満開、昨年は全く精彩がなかったが今年は見られる状態になっていた。しかし、9日にアップした民家の見事なロウバイには比べると見劣りがする。椿園ではツバキ(椿)ワビスケ(侘助)が咲き進み、カンツバキ(寒椿)サザンカ(山茶花)はピークを過ぎた。私が早春の使者ナンバーワンと待望するフクジュソウ(福寿草)はまだ影も形も見えなかった。

      
          ウメ:冬至             ウメ:白難波           ロウバイ(素心蝋梅)

   
     ツバキ(椿)       ワビスケ(侘助)       カンツバキ(寒椿)    サザンカ(山茶花) 

    

[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#15-私の宿舎

   私の滞在する宿舎はキャンパス内にある教職員用マンションの一室であることは既に紹介した。マンションにはエレベーターがなく、私の年齢(学内で断トツの最高齢)を考えてか6階建ての1階角部屋を与えてくれたが、部屋は1LK+サンルームで45㎡ほど。サンルームとは日本のベランダに代り物干しなどに使う日当たりのよい部屋だ。契約書に謳ってあるように電化品やキッチン器具はほとんど揃っており、テレビもソファーセットもベッドもまだビニールが被った新品であった。固定電話も引かれていて、インターネットもケーブルLANで接続。テレビはケーブルテレビでチャンネルは100くらいあった。防災上、電磁調理器や太陽熱温水シャワーなどでガスは使わない。日本への国際電話をかけなければ、宿舎費用は一切ただであった。
   北京の実験学校に着いた時、寮の部屋には机とベッドがあっただけで他に何もなく「ここで3ケ月生活しろと言うの?」と愕然としたものだが、それに比べて何という違いよう。とにかく設備も居心地も文句はなかった。おまけに教室まで2,3分、学内のスーパーまで3,4分、学生食堂や教職員食堂まで6,7分と生活圏は10分以内なのである。
   ガラス窓は大きく日当たりが良かった。1階2階の部屋の窓には鉄製の柵がはめられていて外部からの侵入を防ぎ、部屋を訪ねるにはインタホンで階段入口のロックを解除し、それから玄関のチャイムでドアを開錠する等のセキュリティーもしっかりしていた。

【写真説明】 上の左2枚はリビングのソファーセットとテレビ。訪ねて来る学生たちとここで語らい、食事もできる。 右2枚は寝室の机とベッド。カラーマットはヨガの練習のために自分で敷いたもの。日当たりがよく居心地がよかった。  下左はリビング内のスペースで、ちょっとした遊びもできる。 右はキッチンで数人で料理ができる。学生たちがよく料理を作ってくれた。