歌舞伎の十二代市川団十郎が亡くなった。市川団十郎といえば歌舞伎界きっての大看板、大名跡である。昨年12月に中村勘三郎を失ったばかりの歌舞伎界、今年2月には待望の歌舞伎座が完成し4月のこけら落しを目前にして看板役者を相次いで失ったことになる。
代々の団十郎が歌舞伎人気の中心にいたが、十二代も器の大きな芸と熱心な研究で人気を博した。また9年前に白血病という病魔に襲われて以来、壮絶な闘病と復活への執念は歌舞伎ファンならずとも惹きつけるものがあったし、私は自らの闘病をあたかも第三者のことにように淡々と話す姿に胸を打たれる思いをしたものだ。私はよく歌舞伎見物に行けるような身分ではないのだが、たまたま知人の招待で昨年の新橋演舞場での「芸術祭十月大歌舞伎」を観た。それも歌舞伎十八番の「勧進帳」で、団十郎の富樫、松本幸四郎の弁慶を最前列の席で観させてもらった。思い出となる舞台である。
先日亡くなられた昭和の大横綱大鵬の告別式が行われた。その大鵬の生前の功績に対して、現在「国民栄誉賞」授与の話がでているようだ。十分にそれに値するし、むしろ遅すぎだと思う。告別式では各界からの著名人が参列する中で親交のあった王貞治さんが弔辞を送っていた。言うまでもなく、王さんは国民栄誉賞の第一号受賞者である。昭和52年(1977年)9月、ホームランの世界記録を樹立した直後に贈られたものだ。大鵬の引退は昭和46年(1971年)のこと、まだ国民栄誉賞の制度がなかった時分である。既に制度があったら間違いなく栄誉賞が贈られていたことであろうが、制度ができた後も授与のタイミングがなかったのだと言えよう。ところで、大鵬の本名は納谷幸喜さん。生まれたのは昭和15年で、この年は神武天皇が即位した年を起原とする皇紀2600年に当り、国を挙げての奉祝が行われた。その「皇紀2600年」から「幸喜」という名前が付けられたということを最近知った。
[札幌雪祭り]
札幌の雪祭りが明日から始まるようだ。数年前に2年続けて家内と見物に出かけたのだが、やはり大変な人出であった。その時の写真を少々掲載。

大ポンサーなどが造る巨大なモニュメント

テレビなどでは紹介されない小さな雪像もたくさん並ぶ 夜の会場は幻想的な色彩に彩られる

札幌の象徴テレビ塔 夜のイルミネーション(左)と氷の彫刻作品群