余り目を引かない連載コラムの「夢の車で第二の青春」という投稿に目が止まった。
投稿者は64歳、私と2つ違いで団塊世代の先陣部隊であるが、歳がいもなく念願だった2人乗りのスポーツカーを買ったというのである。
周囲からは「狂い咲き」とか「年寄りの冷や水」などとからかわれるのだが、きっかけは外国高級車の広告に謳った「退屈な大人になるな」というキャッチコピーだったという。
私はこのこと(退屈な大人になるな)に大いに共感する。
自分は約40年会社勤めをしたあとのリタイア生活であるが、会社や学生時代の同期の者などを見ると現役時代の延長の生活を続けている者が多い。
人生それしかないのか、それを生きがいとして見出したのか、少なくとも「40年の会社人生から変わろう」と考えた私とはちょっと違うと思っていた。
友人の孫談義にうんざりする、という投稿者の言葉もうなずける。
そして奥さんと2人で「分をわきまえた控え目な速度で(スポーツカーを駆って)第二の青春を味わっている。退屈な大人になるのはまだ早い」と結んでいる。いいねえ、ブラボーである。拍手を送りたい。
読者投書欄には管首相の進退に関し、「首相の顔、国民は見たくない」と「首相退陣論、よくわからない」という正反対の意見を並べる形で載せていた。
両意見ともさんざん叫ばれてきたもので、新味はそうないのだがまだまだ論議としては続きそうである。
私は両論にそれぞれ一理あると思う。しかし、菅首相は政治信念や手腕において既に野党は固よりお膝元の民主党内においても信を失い、大義がないと言われた内閣不信任案を突きつけられて、自身の退任表明と引き換えに党内の矛先だけは収めた。
だが、不信任案が否決されるや今度は居座りを決め込み、またまた政治の混迷を深めてしまった。
確かに一国の総理として震災後の重要施策を自分の手でやりたい気持ちは分かるが、国会という特殊な種族の世界とは言え、この居座りはやはり明らかな信義則違反であろう。
私は菅直人の総理としての器量に疑問を持っていたが、この一件で人間性という根源のところでもう愛相が尽きてしまった。
[今日の花]
ザクロ(石榴)
小さい時にザクロの実をどこか近所の木からもいで、何度か食べた記憶がある。実の裂け目を開いて赤い種のようなものを頬張ると甘酸っぱかった。最近はスーパーや青果店で売っていても買うことはほとんどない。ザクロの花を鑑賞する人は少ないと思うがとても美しいものだ。
