現在、私は誰かに感謝をしているか?と言うと、していないと思う。
自分1人のチカラで生きていないでしょ?
と言われてもピンとこない。
それは、私の自閉的な傾向か性格かと思っていた。
過去の辛い経験から、助けてもらったという経験のなさからもあると思う。実際は助けてくれる人はいただろうが、辛さが上回わり正しくは判断できずにきたのだろう。
息子にもっと早く発達障害の特性があると知っていれば教えた方がよかったことがあると思う。
それは、周りへの感謝だろうと思う。生活の中でサラリと話していく程度で良いからやってこればよかったと思う。今更の結果論なので、今からどうするか…その事を考えているのだ。
実際の私は感謝を全くしていないわけでもないと思う。心から有難いと思う時もある多々ある。
この有難いという言葉が現段階での私にとっての感謝の気持ちなのだと思う。
なんで、こんなに面倒くさい思考になっているのか…
それは、実母からの呪いのような強要だっただろう。
そして、私はまだ感謝という言葉に縛られ、吐き気がする。
実母は、私が小学生の中学年の時には新興宗教の信者だった。私も小学生の部には参加させられていた。何より、私が参加すると母が周りから褒められるのを知っていたから行っていた。
私は気質的なものから正義感が強いこともあって、宗教の真意を理解することが容易であった。実際は実母はしばしば間違った解釈をしていた。子供が産まれて、手助けを借りていた頃も問題は全て宗教にのっとった考えでやろうとしてきたし、善悪の判断もそうだった。そのうちに、それに合わせる方が楽になり…実際は母がおかしくなるのを防ぐため、子育てを手伝ってもらうために必要な選択だった。麻痺をしていったという方が合っているだろう。
その頃は、実母のために新興宗教の教えを私が説明していた。子育てのサークルにも参加した。新しいママさんが毎回くるが、明らかに引いているのがわかる。
怪しいと思って当然だろうと。
そんなママさん達にも、実母は影で文句を言うのだ。自分のことは棚にあげて…
そして、決まって出てくる言葉…
感謝がないからそんなふうになるんやぜ!
それは私が幼い頃からずっと言われてきた言葉。
私の頭の中はハテナだらけだった。そんな問題じゃない!でも、通じなかった。実母は自分の不運も自分の感謝の気持ちがないからだと責めていた。
私が出産する前後に姉、弟夫婦にも赤ちゃんに恵まれた。兄弟の子がみんな同じ年齢なこともあり、会う機会が多くなった。姉も義妹も実母とよく対立したが、いつも感謝がないからだと他人を責めた。自分を責めた。私は本当に吐き気がした。
私が感謝という言葉に拒絶反応をしめし、意地になってしまうのはこんな経験からだと思う。
感謝が足りないからなんだわ!と言われれば、前向き?に見えるのだろうか。
わたしにはもっと問題はシンプルで話し合いが必要だったりと違う解決策をさがすことが県税だと思う。
結局、悲劇のヒロイン。わたしさえ、我慢すればが見え隠れする。問題から逃げているだけではないか?
姉や義妹と連絡をとることもあったが、感謝、感謝の言葉ばかりだった。
感謝って、何?
もっと自然にでてくるものじゃないの?
わたしは捻くれて、感謝なんて必要ない!とした。
嫌いな言葉になっしまった。
息子には感謝の気持ちを伝えるようなことは教えなかった。わたしが吐き気がするからだ。
本当にここ何年も、感謝って何?なんなの?と怒り混じりにずっと頭にあった。だれかとの会話でその言葉を聞くだけでも苦痛だった。つっつかったこともあるだろう。
今から息子が、生きていく時には必要な気持ちである。ましてや、わたしが居なくなれば助けを求める気持ちが出やすくなるのではないかと思う。
息子に自閉的傾向があるので、教えてきたとしてもその感情がどこまで身についたかもわからない。
それでも、反省すべきことだと思う。
実母からの宗教洗脳から解放されるのにも時間がかかった。本当にしつこいからだ。親という立場を使って脅してきたりもした。
あー毒親。
ただ、実母が精神病にならなかったのは、大家族であったこと、実母自身が婿取りで嫁姑がなかったこと、宗教があったからだと思う。それは、中学年の時から思っていた。
そして、今は連絡先も知らないが時々車ですれ違ったりするが私をガン無視してくる。
あの人が幸せでないことは確かである。
幸せになって欲しかった。
それでも、あの人は今、幸せと感じているのかもしれない。
とりあえず、もう一切かかわってこないで。
それが私の願い
自分1人のチカラで生きていないでしょ?
と言われてもピンとこない。
それは、私の自閉的な傾向か性格かと思っていた。
過去の辛い経験から、助けてもらったという経験のなさからもあると思う。実際は助けてくれる人はいただろうが、辛さが上回わり正しくは判断できずにきたのだろう。
息子にもっと早く発達障害の特性があると知っていれば教えた方がよかったことがあると思う。
それは、周りへの感謝だろうと思う。生活の中でサラリと話していく程度で良いからやってこればよかったと思う。今更の結果論なので、今からどうするか…その事を考えているのだ。
実際の私は感謝を全くしていないわけでもないと思う。心から有難いと思う時もある多々ある。
この有難いという言葉が現段階での私にとっての感謝の気持ちなのだと思う。
なんで、こんなに面倒くさい思考になっているのか…
それは、実母からの呪いのような強要だっただろう。
そして、私はまだ感謝という言葉に縛られ、吐き気がする。
実母は、私が小学生の中学年の時には新興宗教の信者だった。私も小学生の部には参加させられていた。何より、私が参加すると母が周りから褒められるのを知っていたから行っていた。
私は気質的なものから正義感が強いこともあって、宗教の真意を理解することが容易であった。実際は実母はしばしば間違った解釈をしていた。子供が産まれて、手助けを借りていた頃も問題は全て宗教にのっとった考えでやろうとしてきたし、善悪の判断もそうだった。そのうちに、それに合わせる方が楽になり…実際は母がおかしくなるのを防ぐため、子育てを手伝ってもらうために必要な選択だった。麻痺をしていったという方が合っているだろう。
その頃は、実母のために新興宗教の教えを私が説明していた。子育てのサークルにも参加した。新しいママさんが毎回くるが、明らかに引いているのがわかる。
怪しいと思って当然だろうと。
そんなママさん達にも、実母は影で文句を言うのだ。自分のことは棚にあげて…
そして、決まって出てくる言葉…
感謝がないからそんなふうになるんやぜ!
それは私が幼い頃からずっと言われてきた言葉。
私の頭の中はハテナだらけだった。そんな問題じゃない!でも、通じなかった。実母は自分の不運も自分の感謝の気持ちがないからだと責めていた。
私が出産する前後に姉、弟夫婦にも赤ちゃんに恵まれた。兄弟の子がみんな同じ年齢なこともあり、会う機会が多くなった。姉も義妹も実母とよく対立したが、いつも感謝がないからだと他人を責めた。自分を責めた。私は本当に吐き気がした。
私が感謝という言葉に拒絶反応をしめし、意地になってしまうのはこんな経験からだと思う。
感謝が足りないからなんだわ!と言われれば、前向き?に見えるのだろうか。
わたしにはもっと問題はシンプルで話し合いが必要だったりと違う解決策をさがすことが県税だと思う。
結局、悲劇のヒロイン。わたしさえ、我慢すればが見え隠れする。問題から逃げているだけではないか?
姉や義妹と連絡をとることもあったが、感謝、感謝の言葉ばかりだった。
感謝って、何?
もっと自然にでてくるものじゃないの?
わたしは捻くれて、感謝なんて必要ない!とした。
嫌いな言葉になっしまった。
息子には感謝の気持ちを伝えるようなことは教えなかった。わたしが吐き気がするからだ。
本当にここ何年も、感謝って何?なんなの?と怒り混じりにずっと頭にあった。だれかとの会話でその言葉を聞くだけでも苦痛だった。つっつかったこともあるだろう。
今から息子が、生きていく時には必要な気持ちである。ましてや、わたしが居なくなれば助けを求める気持ちが出やすくなるのではないかと思う。
息子に自閉的傾向があるので、教えてきたとしてもその感情がどこまで身についたかもわからない。
それでも、反省すべきことだと思う。
実母からの宗教洗脳から解放されるのにも時間がかかった。本当にしつこいからだ。親という立場を使って脅してきたりもした。
あー毒親。
ただ、実母が精神病にならなかったのは、大家族であったこと、実母自身が婿取りで嫁姑がなかったこと、宗教があったからだと思う。それは、中学年の時から思っていた。
そして、今は連絡先も知らないが時々車ですれ違ったりするが私をガン無視してくる。
あの人が幸せでないことは確かである。
幸せになって欲しかった。
それでも、あの人は今、幸せと感じているのかもしれない。
とりあえず、もう一切かかわってこないで。
それが私の願い