【小寒のコラム 聖イシュトヴァーンの王冠】
1978年のこの日、「聖イシュトヴァーンの王冠」がアメリカからハンガリーに返還されました。
「聖イシュトヴァーンの王冠」は「ハンガリーの聖冠」とも呼ばれ、現存する王冠の中で唯一の聖なる象徴(holy attribute)として知られています。
ハンガリー王国の戴冠の証として数えられ、12世紀以降ハンガリーの王が代々引き継いできたものです。
王冠を含めた他の証は、すべて初代国王イシュトヴァーン1世にちなむものです。
彼は1083年に聖人として列聖され、「聖王」とも呼ばれています。
聖冠(Szent Korona)と呼ばれるようになったのは、1256年からになります。
戴冠の宝物は、王が空位の間にはセーケシュフェヘールヴァールに保管されていました。
14世紀頃から王家の権力は単純に君主に象徴されるものではなくなり、明確で客観的な事物である冠が象徴としての役割を持つようになりました。
言い換えれば、ハンガリー王国は「王を飾る王冠」を求めるのではなく、「王冠に見合う王」を求めるようになったと言えます。
これはヨーロッパでも極めて珍しい状況です。
聖冠はこれまでに盗まれ、隠され、失われ、国外へ持ち出されたりもしました。
その後はヴィシェグラード、ポジョニ(ブラチスラヴァ)、ブダを転々とし、第二次世界大戦中は西ヨーロッパに運ばれました。
最終的には旧ソ連から逃れるためアメリカ軍に引き渡され、フォート・ノックス(ケンタッキー州にある陸軍駐屯地)に同時期大量に集まった金とともに保管されました。
そして、水面下での広範な調査で王冠が本物であると確かめられた後、アメリカ政府の命令で王冠はハンガリーに返還されたのです。
1978年、ジミー・カーター大統領の下でのことでした。
大戦以前、聖冠は国の主権を表現し、正統な君主と特権諸身分との間の有機的統一を確立し、ハンガリーのすべての法源を構成するものとされていました。
これは「聖なる王冠の理論」と呼ばれ、この考えによりハンガリーの右傾化を促進することになります。
後に聖イシュトヴァーンの王冠の地の再保障を目指した右派は、最終的にアドルフ・ヒトラーの第三帝国に結びつき、第二次世界大戦の悲劇を生み出すことに至るのです。