貞永元年8月10日(1232年8月27日:『吾妻鏡』)鎌倉幕府第3代執権・北条泰時により、武家政権のための法令「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」が制定されました。
源頼朝以来の先例や、「道理」と呼ばれた武家社会での慣習や道徳をもとに作られたものです。
1185年に鎌倉幕府が実質的に成立して以降、東日本を勢力下におく鎌倉幕府と、西日本を勢力下におく朝廷による二頭政治が続いていました。
その後、1221年(承久3年)の承久の乱で鎌倉幕府第2代執権・北条義時が朝廷を武力で倒し、朝廷の権力は制限されることになりました。
次第に幕府の権力が全国に及んでいくにつれ、日本を統治する上で指標となる道徳や倫理観、そして慣習が各地で異なるため、武家社会・武家政権の裁判規範として必要とされたのです。
しかし、式目の適用は武家社会に限られ、朝廷の支配下では公家法、荘園領主の下では本所法が効力を持ちました。
全51条であるのは「17」の3倍であり、「17」は聖徳太子によって施行された日本初の憲法「十七条憲法」に由来するそうです。
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、小栗旬さん演じる北条義時が主人公なので、残念ながらここまでは描かれないかもしれませんね。
