どうしてピンときたかと言うと、ワタシも小学生の頃同じような状況で補導されかけたことがあるんです。

当時は、TVゲームというもの自体が今のように一家に一台あるわけではなくて非常に珍しいもので、デパートのおもちゃ売り場で貴重な一台が展示されてると、子供が常に人だかりになってたものです。

夏休み期間中、何かの買い物でそんな一角に母親と二人で通りかかって、ついつい画面に食らいついて見ていると、トントンと右肩をたたくヤツがいる。振り向くと「児童指導員」みたいな黄色い腕章をしたおじさん。(たぶんPTAで臨時で結成されたような感じで、警察ではないと思う。)

気が付くと結構時間が経っていたようで、近くにいたはずの母親は見えず、知らないうちに人だかりの中枢付近に到達していたようで、ろくに身動きもできない。子供ながらに、状況的に「子供だけ」で「ゲームコーナーにたむろ」する「不良」と見られている→このままでは「補導」される!と理解し、母親と一緒であることを説明しようとするがうまいセリフが口から出てこない。

必死で背伸びして目で母親を探すと、何のことはない、子供の群れのちょっと後ろに離れて立ってニコニコしながらこちらを見ている。私の目線の先を追うまでもなく保護者同伴であることを理解したヤツは、さっさと次の獲物に向かっていったが、当時の私は、そんなことだけでもかなり動揺し安堵したことを覚えている。

記憶の映像はそこまで。

思えばウチは案外「放任主義」だったと、自分の子供を育ててみて気付くことが時折ある。
こちらが無口だったことを差し引いても、結構ひどい仕打ちをされている(笑)。このときも母親は、こっちに一向に構う様子もなく、終始ニコニコしているばかりで、「じゃあ帰ろっか」って具合だ。

「親という字は…」じゃないけど、それは案外、「ここまでだったら、万が一最悪の事態になっても、私の力で何とかできるわ」っていう見通しが必要で、それはとりも直さず「親としての自信」だったんじゃないか、と思うわけです。