「徒然草」に出てくる一節。
「言いたいことを我慢しているとよろしくない」と言う程度の意味でしょうか。
ブログも、基本的には日記なのですが、書くことで整理される、という側面はあると思いますし、書くだけでなんとなくすっきりするということもあると思います。
個人でノートに書き溜める日記よりも、人に読んでもらうという意識が働くので、より冷静に客観視できたり、無意識に良い人に見られたい思いで、心にもないことを書いても、逆に書いたことによって、そっちが自分の心に染み込んできたり。
書いてはみたものの文章にしてみると全然つまらないなと削除してしまったり、立派な持論だと思って書いたら、ただの知識自慢だなこりゃ、ということもあります。
夜に書いたラブレターは朝見直せ、というのと同じですな。
人生長く生きてりゃそれだけ「差し障り」は増えるわけで、匿名とは言え、ホンネを言えるコミュニティー(チャンネル)が複数あるってのも、現代風の腹ふくれないわざかもしれません。
この前のNHKの「無縁社会」で動画中継やチャットでつながる人たちを紹介していましたが、昔の定規でこれらの人を「無縁」で「孤独」な人と見なしたのは、あまりにも短絡的すぎると思いました。出演した人の中にも、好意的に紹介すると言われて出演したのにまるで落伍者扱い、という声もあったようです。
…まぁ正直、居酒屋にウェブカメラ持ち込む神経は理解できないけどな。
「言いたいことを我慢しているとよろしくない」と言う程度の意味でしょうか。
ブログも、基本的には日記なのですが、書くことで整理される、という側面はあると思いますし、書くだけでなんとなくすっきりするということもあると思います。
個人でノートに書き溜める日記よりも、人に読んでもらうという意識が働くので、より冷静に客観視できたり、無意識に良い人に見られたい思いで、心にもないことを書いても、逆に書いたことによって、そっちが自分の心に染み込んできたり。
書いてはみたものの文章にしてみると全然つまらないなと削除してしまったり、立派な持論だと思って書いたら、ただの知識自慢だなこりゃ、ということもあります。
夜に書いたラブレターは朝見直せ、というのと同じですな。
人生長く生きてりゃそれだけ「差し障り」は増えるわけで、匿名とは言え、ホンネを言えるコミュニティー(チャンネル)が複数あるってのも、現代風の腹ふくれないわざかもしれません。
この前のNHKの「無縁社会」で動画中継やチャットでつながる人たちを紹介していましたが、昔の定規でこれらの人を「無縁」で「孤独」な人と見なしたのは、あまりにも短絡的すぎると思いました。出演した人の中にも、好意的に紹介すると言われて出演したのにまるで落伍者扱い、という声もあったようです。
…まぁ正直、居酒屋にウェブカメラ持ち込む神経は理解できないけどな。