人は孤独を恐れます。

そして孤独を避けるために、人は物質的なもので繋がろうとします。

趣味、性、自分との物質的同質性…


しかし、それらを得られないと、孤独に陥るのではないかと不安になるので、物質的なものをかき集めます。そして物質的な繋がりの中で生活する。

これは物質的能動性とも言えます。

物質的なものを基調として人に向かうのです。


しかし、もう一つの能動性があります。

それは、ケアとして、他者の苦しみに向かうことです。

苦しみの中に入ったとき、人はその苦しみを感じているのは自分だけだ、誰も自分を理解してくれていない、孤独だと感じます。そのとき、受動性が生じます。

周りが変わればいい、誰かが自分を理解してくれないだろうか、助け出してくれないだろうかと思うのです。

そしてそれが叶えられない場合、周りを恨んでしまうこともあり得ます。

もし、受動性だけで完結してしまうならば、そこから外に出ることはできません。


結論から言うと、「物質的なものがない状態」で「能動性を得る」ことで、孤独から出てゆくことが可能になると考えます。

自分の痛み、苦しみを見つめ、自分を理解したからこそ、他者の苦しみに向かうことができる。

受動性から能動性へと。


自分の内側に答えを見つける。それは実存的心理学で大切なことと言われています。

ソリチュードというのは一人静まることを言います。ロンリネスとはまた異なるものです。

このソリチュードにおいて自分と向き合い、自己を発見し、そして発見したものと同じものを他者に見出し、他者に向かうことができる。

物質的なものがない状態での共通性を発見するからです。


私は個人的にカトリックを勉強していますが(主に。プロテスタントの方からも学んでいます)、キリスト教は、ケアという関係性を通して自己と他者を知っていく、というのが信仰の根幹にあると思います。


マザー・テレサがやっていたことはまさにそうだと考えます。