ゆるしというのは様々な宗教の知恵として知られています。
だけど、あまり日本においては一般的に馴染みがないようです。
私は洗礼は今のところ受けてはいませんが、個人的にキリスト教について学んでいます。
そして学んできたことをこのブログで共有できたらと思っています。
仏教などの宗教、哲学や心理学も同時に学ぶことでより深く理解できると考えています。それらの観点から、ゆるし、非暴力、ケアについて書いていきたいと思います。
今回はちょっと簡単に。
何度かに分けて書いていきたいと思っているので…
ゆるし(赦し)というのは罪にたいしてのものです。
ゆるしというのは、罪によって関係性から切り離された人と関係性を結びなおすこととも捉えられます。
キリストの時代において罪とは、取税人、娼婦、また何らかの罪を犯した人、また病人の病気は何らかの見えない罪の結果として位置づけられていました。
そしてそのような人々は社会から罪人として排除されていたのです。
それは掟を統率する立場であるパリサイ人などにより主導されていたようです。
現在でも、罪を犯した人は忌避され、憎しみの対象となります。
加害者は社会的に排除され、刑罰の対象となりますが、加害者はカウンセリングなどをほとんど受けることもなく、なぜ罪を犯したかの内省も自分の問題も、背景にある傷に向き合うこともなく、刑期だけを終え、社会にまた出ます。
そして心の変化もないためにまた再犯します。
これは、加害者と一緒に罪に向き合う人がほとんどいないからでもあると思います。
ゆるしというのは免罪ではありません。
むしろ、どのような過ちを犯した人であっても、関係性を築き共に歩む人がいることによって、その過ちと背景の傷に向き合うこと、それを通して自分がなぜ過ちを犯したのかを理解することで、自分の過ちを知り、本当の意味で責任が取れるのではないでしょうか。
シスターである鈴木秀子さんの本「悲しまないて、そして生きて」に、ある方の体験が載っており、その方がゆるしということを簡潔にこう書いています。
「その人がどういう人であろうと、素直にその人を受け入れて、何か手助けをしてあげること」
過ちを犯した人、また共に歩む人が共に自己を知り変わってゆくこと、そのプロセスがゆるしにはあると思います。
私が読んだ本の引用なども交えながら、何回かにわけてゆるしについて書いていきたいと思っています。
