「フツーに好きなだけ」の意味解釈は多義的です。【普通に】の用法が、<客観的な基準スタンス>なのか、<主観的な基準スタンス>なのか、によって意味が分かれます。<客観的な基準スタンス>とは、好きの中身が明確な場合であり、<主観的な基準スタンス>とは、「よく分からないけど好きなだけ」の場合になります。


 <客観的な基準スタンス>の場合は、<標準モデル>に等しく「普通程度の好き」の意味です。

 <主観的な基準スタンス>の場合は、「理由はないけど、とりあえず好き」の意味です。本音や本気を隠せる言い方であり、好きの‘中身’を留保する<スタンス>です。自分の気持ちだけでは、人間関係が始まらないので、「上辺だけを繕った好き」を表明しているだけなのです。

 相手を認めるだけの「お世辞のような好き」ならば、中身を深く考える必要もありません。本音も建前も同じレベルなので、好きと云う気持ちに迷うことがなく、【普通に】の語句は功用がなくなります。


 社交の場が広がる時代には、「好き」を使い分ける【普通に】の語句が求められるのだと思います。



 「普通にカワイイ」は、{評価}と{好み}の両方を兼ねているので、本音が量りにくく聞き手を混乱させてしまいます。似た表現として、「いい人ですね」がありますが、この場合の{好み}は近い人間関係を望むものではないので、あまり混乱するようなことはありません。「いい人ですね」=恋人対象未満が、一般方程式として成り立つほどの典型表現です。

 まず、「普通にカワイイ」の用法を考える上での大原則は、「普通にカワイイ」は、普通なかわいさの意味ではないということです。これを前提にしないと、あらゆる【普通に】の用法は理解ができません。


 「普通にカワイイ」は、語られる場の情況によって違ってきます。{好み}抜きの{評価}として客観的に語っている場合と、{好み}ありの{評価}として主観的に語っている場合とによって異なるのです。

 <客観的に相手を褒める感想> 
 「まぁ、普通にカワイイ」=みんながそう思うだろという「絶対に」を強調する感想

 <主観的に向き合う相手を褒める感想> 
 「うん、普通にカワイイ」=自分だけではないという「私は」を抑制する感想


 混乱がないであろう客観的に語る場合は割愛しまして、主観的に感想を語る「普通にカワイイ」について分析すると、「私は」を抑制している本音が問題になります。本音を抑制して関係を無難にキープしようとする意識なので、もはや普通という標準はありません。

 発言者の表情を見て、お世辞を語る笑顔なのか、思いを隠す照れ顔なのか、を見抜いて推し量るしかありません。文脈なしの単独フレーズとして、「普通にカワイイ」という言葉を理解することはできません。語られる場によってしか分からない「普通にカワイイ」は、普通なかわいさではないのです。
 『普通に』

 「普通」を、対象を判別する<標準モデル>ではなく、自分の立場を示す<基準スタンス>として扱い、誤解の多い新しい『普通に』の用法をまとめました。


<標準の用法>
若者言葉ではない従来型の『普通に』。
中間的な評価である標準モデルを目指す意味。
『普通な』という形容表現に由来する副詞用法。

※標準モデルを意識すると、若者言葉の『普通に』は理解できない。
「普通に美味しい」が褒めていないように誤解してしまう。

<基準の用法>
若者言葉の『普通に』。
比較した結果の標準モデルではなく、発言者のスタンスである基準を意味する。
具体的な理由よりもスタンスが先立つ口実表現であり、基準に託けて同調する託調表現。
口実表現なので、言い換えが難しく、『普通に』を省略しても内容そのものは通じる。

※『普通な』という形容表現に言い換えることができない表現。
「普通な美味しさ」は褒めてない。

『普通に』のスタンス基準は、自己基準と世間基準があるが、両方を重ねる場合もある。
自己基準の場合は、程度の副詞。世間基準の場合は、同調ありきの状態の副詞。
世間基準は、「みんながそう思うくらい」や「私の考えはさておいて」という意味を込められる。

【意味】
1.自己基準の場合(程度の副詞)
発言者の意識の簡単軽快さを強調する。
2.世間基準の場合(状態の副詞)
誰もが納得する絶対さを強調したり、自分だけの感想ではない抑制を強調したりする。
「普通にカワイイ」→「絶対的にカワイイ」と「自分ではなく世間の感想としてカワイイ」の場合がある。
3.標準の場合(従来の意味)
「当然のごとく」「通常どおり」