傘が盗まれた。3年目にして4本目だ。
職場に向かう途中で雨が降るだろうと思って買った新品の傘が、帰るころにはなくなっていた。
これは岐阜で過ごした7年間0本の記録を大いに上回るものである。今回はこの件についていろいろ考えていこうと思う。
東京に越してからという数字を考慮すれば、やはり東京の治安の悪さに目が向く、ということができるだろう。3年間に4本と7年間に0本とでは明らかに「東京の人はモノを盗む」という結論になってしまう。さて、この考え方でいいのか。
まず、住む環境が変わったというのがポイントにならないか。岐阜にいたころの活動範囲は中学と高校が挙げられる。東京では大学、寮、職場など幅広いが、そのどれもで1度は盗難にあった。中学と高校では子供が多く、大学や寮ではそこそこの年齢の人が集まる=大人が盗む傾向にある?とも考えられるが、職場は塾なので子供も盗みを働いた、と考えることができる。
岐阜ではバス停のガードレールにかけていた少し高めの傘でさえ、忘れて取りに戻ったときは無事でそのままであった。このことを考えるとやはり悩むところがある。
次に傘の種類だ。最後に盗まれたものは買ったばかりの、名前の書いていないビニール傘であった。その前に盗まれたものもビニール傘である。ビニール傘だから盗まれたのか?否、それは「間違えて持って帰ってしまった」との言い訳に使われかねない。最後に盗まれたものは新品だ。傘立てに新品の傘が置いてあるなどそうそうないだろうし、間違えようもないのだ。その前に盗まれたものもシールが貼ってあり、これも弁別的。その前に本に関しては特徴のある折り畳みと長傘であるため、これも勝手に持ち帰る理由にはなり得ない。盗まれるものは盗まれる、ということだ。私からしてみれば、他人の傘など気持ち悪くて使えたものではないし、良心の呵責というものがかならずあるだろう。なぜこのようなことができるのか。
安心して傘を傘立てに預けることもできない。人間嫌いが深まった一件であった。