「集団的自衛権行使容認71%」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20140512-OYT1T50017.html

「全面的」「必要最小限の範囲」を合わせ、71%が行使容認の考えを示した。行使容認論の国民的広がりが鮮明となり、近く本格化する与野党協議にも影響を与えそうだ。(引用終わり)
この記事を読めば、「7割もの多数が集団的自衛権を支持している」と思ってしまいますよね?
まあ、読売は明らかにそうしたいようです。
しかし、同じ「容認」でも温度差があります。
「全面的」容認を10とすれば、「必要最小限」なら1か2程度。
「必要なし」を0とすれば、感覚的にどちらに近いでしょう?
「必要最小限」ですから、「できれば行使してほしくない」のが本音でしょう。すなわち、全面的容認(どんどん行け!)とは大きな距離があるのです。
したがって、これをひとくくりにして「国民が集団的自衛権行使を容認している」と結論付けるのは飛躍しすぎです。
また、「必要最小限」という選択肢自体が、「まやかし」です。
これを否定しようとすると、「必要最小限すら全く認めない」ということになります。言葉のあやですが、「必要」だと聞いて、それを否定する人はなかなかいませんよね?
つまり、設問自体に問題があるのです。
実際、「必要」かどうなのか。
それが「最小限度」なのかが問題の本質です。
答えは、とっくに出ています。
自民党石破幹事長は、
「(集団的自衛権を)限定すべきではない」
「(同盟国の要望があれば)地球の裏側まで派遣する」
「政治家は、自衛隊員が血を流すことを覚悟すべきだ」
とはっきり言っています。
そのうえで、国民の反発を抑える(誤魔化す意味で)
「当初は、限定的にならざるをえない」とも言っています。
つまり、「必要最小限度」など、ただの方便に過ぎません。
「アリの一穴」という言葉があるように、最初は小さな穴でも、やがて大きな穴となり崩壊に至ることは物事の道理です。
それ以前に、すでに「自衛」ではないことに注意。
言葉は正確に遣わなくちゃ。
今回の「集団的自衛権行使」の本質とは、
同盟国の戦争に加担する、通常の「交戦権」を認めるかどうか。
最初は”限定”でも、いずれ拡大解釈で「交戦権」になります。
「集団的自衛権=交戦権」の方がむしろ正確
自衛隊に戦死者が出ます。国内テロの危険性も高まります。
「平和国家・日本」は消滅し、アメリカと同じ「軍事国家」になります。
そのことを、十分理解していただきたい。