命もいらず、名もいらず | 日本の未来を考える

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旧ブログ名:NHK朝ドラ『梅ちゃん先生』、『純と愛』批判をメインにしたブログ。リンクはご自由にどうぞ。

NHK大河ドラマ・『軍師官兵衛』が酷いことになっています。
主人公・黒田官兵衛目線で描くのは当然としても、

史実をねじ曲げすぎじゃないの?(´・ω・`)

例えば、先週の「小田原の陣」。
北条氏を説得するために、官兵衛が「所領安堵」を持ち出す。
その提案を受け入れ、北条氏政は開城したのに、秀吉がその約束を反故にしてしまう・・・というもの。

そんな話、初めて聞いたぞ!Σ(・∀・;)

官兵衛が単身、小田原城に乗り込んだのは事実だし、北条氏からお礼を受け取ったのも事実。
しかし、北条家取り潰しと、徳川家康の関東移封はセットで事前に決められたもので、官兵衛は、城兵の命と引き替えの「降伏勧告」に行ったに過ぎません(しかも、この時は交渉は失敗し、後に氏直が降伏を願い出た)。

官兵衛を「ヨイショ
」するためとはいえ、
秀吉と三成をやたらと「悪者」に仕立てる手法は稚拙すぎます。

「忍城攻略」についても、三成は、秀吉の厳命で”水攻め”したため、小田原開城までに落とせなかったのであり、一概に失敗とは言えません。

しかしドラマでは秀吉からなじられる三成 (´・ω・`)

さらに「文禄の役(朝鮮出兵)」についても、三成は強く反対し、開戦後も早期講和を目指しました。

その役、官兵衛に奪われちゃったけどね (´・ω・`)

小西行長が、秀吉に「嘘」を報告したのもデタラメ(朝鮮使節との交渉役は対馬領主の宗氏)で、行長は文禄の役で、第一陣として渡海し活躍しました。

おそらく今後も、黒田家(長政)が、後の関ヶ原の戦いで「東軍(家康方)」に付くのを想定して、敵になる「西軍(豊臣方)」の武将たちはより悪く描かれるでしょう。

”清廉潔白、無欲で律儀”な黒田官兵衛

大河の主人公だからといって無理矢理こんなキャラ造形にするから、あちこちで齟齬が出るわけで。
抜群の”キレ者”で、野心も人望もあった官兵衛。
実像に沿って描いた方が「軍師」「参謀」としての凄味も出たと思います。(・∀・)

清廉潔白、無欲で律儀というなら、むしろ、石田三成

島左近、渡辺勘兵衛、蒲生郷舎・・・訳あって浪人していた彼らを、三成は破格の高禄で迎えました。
当時の三成はまだ所領が少なく、秀吉も驚いたといいます。

「家臣は主君のために尽くすべきで、財を蓄えるのは盗人と同じだ」

そんな三成に心底惚れこんでいた彼らは、関が原の合戦で命を惜しまず最後まで戦いました。

合戦の後、三成の居城・佐和山城に押し寄せた東軍兵士は、城の粗末さに仰天します。ふすまは張り継ぎだらけで、金銀の蓄えもなかった。三成は、それらを家臣や領民に与えていたのです。

三成は、「太閤検地」や「刀狩り」といった諸政策、
九州平定、小田原の陣、朝鮮出兵といった大いくさの兵站、
博多などの町造りに才を発揮し、天下平定を早めたとされます。

秀吉に「わしに劣らぬ才能がある」とまで言わしめた三成。
秀吉だけでなく、他の大名からもその力量は認められていました。

三成の人柄を表す大谷刑部吉継との茶会のエピソード

秀吉が大名達を招いて茶会を催しました。
茶の回し飲みで吉継の順番になった時、うっかり「鼻汁」を茶碗に落としてしまった(彼は病気を患っていました)
三成は、動揺する吉継を見てとっさに茶碗を取り上げ、何食わぬ顔でぐいと飲み干してしまいます。
三成は、機転の利く、豪胆な男でした。
吉継は三成に恩義を感じ、関ヶ原では獅子奮迅の活躍します。

追記:ヒークンさん劇場♪(・∀・)

【戦国最強の友情】熱いぜ大谷吉継さん!!(決起編)



不仲と言われた加藤清正や福島正則との関係も、朝鮮出兵のいざこざまでは、ともに”秀吉子飼いの将”として悪くなかったそうです。

秀吉の逆鱗に触れた「関白・秀次失脚事件」でも、三成は秀次の助命に奔走します。それは叶わなかったものの、連座して成敗された前野氏の家臣を彼は召抱えます。

もし三成が、ドラマで描かれる”秀吉の腰巾着”、”奸臣”だったなら、秀吉に睨まれるような行動をとるでしょうか?

事実、秀吉は、「三成は、わしの機嫌を伺わず、堂々と意見を言う」と評しています。

まるで大河の「官兵衛」みたいですね Σ(・∀・;)

秀吉は三成の実直な人柄を愛し、九州に大きな所領を与えようとしますが、三成は、「遠国では殿のお役に立てない」と固辞します。

石田三成とは、そういう男でした。

関が原の合戦で、短期間のうちに徳川方を上回る軍勢を集められたのは、三成の掲げる青臭い「義」に共感する大名が多かったことのあらわれでしょう。

三成の欠点は、「清廉潔白すぎた」こと。
たとえ己の信念がそうであっても、他人は必ずしもそうではない。
秀吉存命のうちは、威光を盾に「正義」を貫けても、秀吉がいなくなれば、風当たりはモロに来ます。

その点、家康は、清濁併せ呑む「現実主義者」でした。
金や名誉をちらつかせる、あるいは、感情的対立を煽ることで支配力を強めていきます。
信長、秀吉への長年の臣従を経て、人間の弱さを知り抜いていたのでしょう。

石田三成の旗印・「大一大万大吉」には、
「万民が一人のため、一人が万民のために働けば、天下泰平の世になる」との願いが込められていたそうです。

戦国時代の発想とは思えません Σ(・∀・;)

日本で初めて「兵站(ロジスティクス)」を実践するなど、卓越した才能と見識を持っていた三成。近年、その評価が見直されつつあります。

戦国時代の「義」の武将を描きたかったのなら、「石田三成」にすれば良かったのに・・・と思います。

=====

前置きのつもりが・・・えらく長くなりました (・∀・;)

『クロカン』は、”ファンタジー大河”として愉しむのは良いでしょう。
でも、あれが、「史実」だと思わないほうがいいです。(´・ω・`)

今日の本題です

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらない。そんな人間は始末に困るものだ」
「だが、そんな始末が悪く、手に負えない人間でなければ、困難を共にし、国家の大業を成し遂げることはできない」


これは西郷隆盛の遺した言葉です。

明治になり、元士族を中心に官僚制度が出来ました。
官位や金、名誉を追い求める彼らに対する西郷の皮肉でしょう。

西郷は、「敬天愛人」(天命に従い、人民を愛する政治)で知られる、

清廉潔白」な人でした。

政略を嫌い、誠実で謙虚、無私無欲な西郷の人間性は、現在でも高く評価されています。

石田三成と西郷隆盛。
生きた時代は違いますが、二人とも時代の変革期に大きな役割を果たし、悲劇的な最期を遂げたという点は共通しています。

現在はどうでしょう?

政治家もメディアも言論人も、
カネ、カネ、カネ」、「利権、利権、利権」まみれの状態です。

「秘密保護法」、「原発再稼動」、「消費税」、「集団的自衛権」、そして「TPP」・・・

どれも、西郷の言う「人を愛する政治」とは、無縁の物です。(´・ω・`)

確かに、政治は綺麗事だけじゃないのは分かります。
しかし、あまりに露骨過ぎるんじゃないですか?(´・ω・`)

こんな連中に、国家の大業が成し遂げられるわけがない。


私は、「始末が悪く、手に負えない」人でいたいと思います。