うさ吉様の指摘を受けて、「反日」について調べてみました。
確かに、1970~80年代の韓国では、”反日教育”が行われていたそうです。図工の時間に、「反日」的な絵を描くと、先生に誉められたとか。
かく言う私も、幼少時には「鬼畜米英」的な絵を描こうとしていました。
参照:友人Hの話 その1
もし私の担任が、優しいミチコ先生ではなく、長谷川三千子大先生だったなら、「よくぞ書いた
」と絶賛されていたかもw
ただし当時の韓国は、半軍事政権下にあり、民主化を求める学生デモに対し、戒厳令が出されるなど、政治的にかなり不安定な時期だったこと。それを考慮すれば、国内が正常化したのは1988年、ソウル五輪以降と見るべきでしょう。
~~~~~
さて、竹田恒泰ら、ウヨク連中の決まり文句、
「反日教育をやっているのは特アだけ」 は、
果たして本当なのか?
(特アとは、中国、韓国、北朝鮮のこと)
トータス亀下さまブログより引用、抜粋~
参照:「知れば知るほど嫌いになる国、韓国」と言っている人が信じている情報がデマばかりの件 その2
http://blog.goo.ne.jp/mpac/e/ccb3aa872609a42b3f0fa8fb8a693e38
ウヨクの主張はこうです。
『 特アは、「反日教育」をしてる反日国家
であり、
それ以外の東南アジア諸国は、親日国家
である 』 と。
なるほど。その通りなら確かに腹がたちますよね![]()
代表的な親日国・台湾の教科書を見てみましょう
台湾=国民中学3年下期「社会3の下」(仁林文化)
●日本の権力支配
1895年、日本政府は台湾に対し不平等待遇政策をとり、また総督が行政、立法、司法、軍事大権を総攬する総督専制の体制を作った。
●皇民化運動
1937年中日戦争が勃発し、台湾は日本の南進政策の基地となった。
兵力の供給源問題を解決するため、日本は「皇民化運動」を実施した。台湾人が日本式の生活習慣を身につけることを奨励し、日本語を話し、日本姓に改め、日本の神々をまつるなどの方式で台湾人の同化に拍車をかけ、日本国民の愛国心と犠牲的精神を持たせた。
太平洋戦争勃発後「皇民奉公会」が成立して、台湾人民を戦時体制に組み入れ、その後さらに台湾において徴兵制を実施し、日本軍の侵略性と暴力文化が存分に現れ出た。
台湾=中学生用『高級中学歴史下』2000
●二十余万人に達する台湾籍の軍人・軍婦が前線に送られ、さらに少なからざる少女が異郷で淪落し慰安婦にさせられた。これらの計り知れない辛酸血涙は、みな日本の植民地統治が残した歴史の傷跡である。
あれれ?
台湾は「親日国」のはず・・・ですよね?
不平等だ、侵略だ、暴力だ、慰安婦だ、挙句は”辛酸血涙”とまで書かれていますが。
もし同じ記述が韓国の教科書にあれば、ウヨクの方は「反日だ
」と大騒ぎするでしょうw
次に、日本が「開放」してあげて喜んだというシンガポールはどうなのでしょう
シンガポール=「私たちの歴史のページ」=SNPパンパシフイック出版社
●なぜ日本は東南アジアを攻撃したのか?
日本軍は、中国駐留軍に石油や鉄などの重要な原材料を供給するため、資源が豊富な東南アジアに侵攻することに決めた。
●粛清
英国軍が降伏して3日後、日本軍は18歳から50歳までの中国系男性すべてに、検問所に出頭するよう命じた。兵士は家から家を回り、銃剣を突きつけて中国系居住者を追い出した。女性や子ども、老人を捕らえることもあった。
不運な人々の大半は、まとめて縄で縛られ、船で沖に連れ出され海に投げ込まれるか、海岸に連行され、機銃掃射で処刑された。
●日本軍占領時代
捕虜の多くは、泰緬鉄道建設に送り込まれた。建設地の生活環境はひどく、建設地に送られた捕虜のうち、約3分の2が亡くなったと言われている。
これはひどい!
日本軍による住民の処刑や強制労働があったようです。
これらは中国本土での日本兵の証言とほぼ一致します。
日本に感謝しているとは、とても思えませんね。(・∀・;)
アメリカから「開放」してあげたフィリピンではどうでしょう
「フィリピン人民の歴史 第8版」=ガロテック出版社
●日本によるフィリピン占領
準備期間の連邦制10年間は、過剰な人口や工業製品を受け入れる領土を求める日本が太平洋で戦争を始めた時点で、荒々しく中断されてしまった。
日本海軍の爆撃機は1941年12月、ハワイの真珠湾を攻撃した。米国は対日宣戦を布告し、ここに太平洋戦争の火ぶたが正式に切って落とされた。この戦争によってフィリピンは日本に占領された。
フィリピン国民は3年間にわたって戦争の辛酸をなめさせられた。国民の自由は敵によって抑圧され、経済は日本の戦争需要に対応させられ、教育もフィリピン人の考え方を日本人に合わせるよう改変させられ、そして日本が後ろ盾になった共和国だけが政治を行った。その間に何千何万ものフィリピン人が処刑・投獄されたが、反抗の精神は占領終結まで日本当局を苦しめ続けた。
アメリカから「開放」してあげたのに、
感謝も尊敬もされていないな!これ!Σ(・∀・;)
これで最後です!インドネシアはどうなんだ!?
インドネシア=「社会科・インドネシア国史2・小学校5年生用」
●日本による植民地支配
日本がはじめ、インドネシアの民衆にたいして親切でやさしい態度をとっていたのは確かである。しかし、時がたつにつれ、日本のインドネシア民衆に対する態度は、変わっていった。日本の行動は残酷なものになっていった。
一般に植民者の態度はどこも同じである。つまり、残虐で、搾取的で、非情である。私たち民族の運命は、トラの口からのがれ、ワニの口に入るということわざにたとえることができる。それが意味するところは、日本がやってきたことにより、オランダ植民地時代に受けた犠牲はなくなるどころか、むしろ、事態は悪化したということである。
●インドネシア民衆の犠牲
日一日とインドネシア民衆の犠牲は、悲惨なものになっていった。民衆が命令に従わないと、日本は重い刑を下した。当時、私たち民族の運命は、実に苦しいものであった。食べ物は、すべて枯渇していた。飢えた腹を満たすために、民衆はおよそ人間が食べる物とはいえないような、タピオカの皮やバナナの皮などを口にせざるをえなくなった。
インドネシア=「中学校2年生歴史教科書」=エルランガ出版社
●労働者の搾取
主に田舎の住民である「労務者」は、日本に強制的に働かされた。特に軍の施設や防衛のための防壁や、列車の線路などをつくった。多くの「労務者」は現場で死んだ。その悲しい状況は結局、口からロヘ伝えられ、村の人々全員の知るところとなった。
●インドネシアが独立した背景
抗日運動は、インドネシアの独立の実現につながっていった。対日闘争を実施するのに、インドネシアのリーダーたちは非常に慎重だった。日本の占領がとても冷酷だと知られていたからだ。もし、はっきり抵抗すれば、日本占領政府はすぐに誰でも殺すだろう。このため闘争の方法は、その時々の状況に合わせていた。
インドネシア=高校生用「Sejaraha NASIONAL DAN UMUM」(Bumi Aksara 社)
●商業及び工業
原住民の商業従事者は厳重に監督され、その販売品目は登録され、販売結果は報告される必要があった。
つまり、日本によって占領された他の地域と同様に、インドネシアはその国民が極めて苦しめられた国であったと言えよう。日本民族による残虐行為は西欧民族が犯した残虐行為を超えていた。
ぐはっ!
オランダ植民地時代より悪化・・・
強制労働させられた、冷酷だ、残虐行為だ・・・。
まったく感謝されてるように感じません!Σ(・∀・;)
結論
「戦時中の日本軍の残虐行為を教える」=「反日教育」 ならば、反日教育をしているのは、特アではなく、東南アジア全体となります。
すなわち、ウヨクたちの言う、
「反日教育をしているのは、特ア(中韓)だけ」 は、
単なるデマなのです。(´・ω・`)
~~~~~引用終わり(コメントは筆者)
今回は引用が長くなりました。すみません m(_ _;)m
私もこの記事で知りました。
東南アジア各国で、こんな教科書が使われているのです。
「日本は、侵略国家ではない
」
「あの戦争は、正義の戦いだった
」
もはや幻想、妄想だと誰もが気づくでしょう。
何度も言いますが、竹田や百田、三橋、タモさんたちは、
商売でやっているのです。あれがメシの種なのです。
真に受けちゃいけません!
彼らを擁護をするならば、彼らにも言論の自由があります。
それを鵜呑みにする視聴者、購読者の責任です。
本が売れるから書く、ウケルからボロクソに言う、
ただ、それだけのことです。
「○○ダイエット
」みたいなものですね。
今後、テレビで観る時には、「あれはネタなのだ」と認識し、
ヾ(@゚▽゚@)ノあはは
と笑って流しましょう!