『純と愛』その10 | 日本の未来を考える

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旧ブログ名:NHK朝ドラ『梅ちゃん先生』、『純と愛』批判をメインにしたブログ。リンクはご自由にどうぞ。

橋下・維新と石原・太陽が、ついに合併。


野田首相が、解散に追い込まれ(”崖っぷち解散”OR”後は野となれ解散”)、

全国体制が整わないまま選挙戦に突入することになった橋下氏の大きな決断でしょう。


ある人のブログの言葉。 「あのシルバー人材センターは使える」。


確かにその是非はともかく、「関東地区と高齢者の票」は手に入るだろう。

しかも代表(顔)に石原氏を添えつつ、役職や党の方針(中身)は維新で、というあたりに橋下氏のしたたかさが(・∀・;)


一時は批判され、支持率も低迷していた維新勢力だが、予想より多くの議席を獲得する可能性が出てきた。



昨晩、民放のドラマ・『悪魔ちゃん』を観た。 (えみりーさんがブログで紹介していたので)


意外と面白かった。荒唐無稽な設定だが、世界観があり引き込まれる要素がある。

家族の絆や苦悩、超能力や科学をユーモア交じりに描いており、役者の演技も良かった。


このブログでは、朝ドラを痛烈に批判しているが、決して「既成概念」に拘っているわけでも、

ドラマや映画を理解しない堅物というわけではない。

むしろ、涙もろく、人情物には弱い性格だったり (・∀・;)


どちらかと言えば、武田鉄矢の歌う「人を信じて傷つく方がいい」みたいな”お人好し”。

ただし、一度騙されたり失敗した事を、何度も繰り返すほどお馬鹿でもない。


教訓は教訓として次に生かさないと、人間成長しないからね!( ̄ー ̄)



さて、『純愛』です。


このドラマ、楽しみで観てる人がワテの周囲にも多い!(前作と違って)

だから、批判するのは本当に心苦しい(´・ω・`);;

しかし、公私混同はワテの生き方に反するので、感じたことをそのまま書きます。(´・ω・`)


今週の内容。「ドタバタ騒ぎの果てに、純と愛は、無事結婚した。」


( ̄ヘ ̄;)ウーン   あまりスッキリしないね (´・ω・`);;


「朝ドラ」という形に拘っている訳ではないし、普通にドラマとして観ているつもりなんだけど、

どうしても感情移入できない。


初めて観たドラマでも、15分の動物番組でも「ホロ」っとするワテなのに、なぜだろう?(´・ω・`)

その一番の原因は、


説得力がない(リアリティがない)こと。


これに尽きるのだと思う。


テレビドラマの場合、説得力とは「映像」と「台詞(音声含む)」だ。

(ラジオとの違いは、映像だけでも説得力が出せる点)

いくら脚本が素晴らしくても、基本中の基本がお粗末なら、説得力に欠けるドラマになる。


逆に、映像や”間”で、人物の感情を表現する場合もある(映画でよくある手法)

(「ナレーション」でちゃちゃっと済ませるのは、駄作の特徴)

例を出す。

ドリフのコント番組で、志村がバカ殿を演じる時には「ちょんまげ」をつける。

加藤茶が子供の役をする時には、「ランドセル」を背負う。

たったこれだけで、観客は「その役」だと認識する。

もし彼らが何の衣装も着ず、普通の格好で出てくれば、「コント」ですら成り立たない。


一方、『純と愛』。

今週のハイライト、別室での狩野家と待田家の「怪獣騒動」の場面。

若村さんや武田鉄矢らの演技を高く評価する意見が多かった(ヤフみん感)


だが、ちょっと待て!


確かに鬼気迫るものがあった(?)としても、基本の基本がないのにどうして伝わるのか?


もし若村さんの役を上沼恵美子、武田鉄矢を赤井英和が演じていたらどうだったか?


口達者な女弁護士でキツイ母親役なら、上沼さんならさらに迫力が増すだろうし、

赤井英和なら、不器用で愛情表現の苦手な父親を見事に演じることだろう。


あの修羅場の雰囲気も、ガラリと変わっていたはずだ。


関西人特有の言い回しや考え方、間の取り方というものがある。

それを反映せずして、何がドラマだ?何が大阪や沖縄の人情だ?と言いたい。(`・ω・´)

(上沼さんや赤井さんなら、アドリブでやっても面白そうだけどね!)


愛の台詞も、関西人ではない。

「ボクが守ります!」とか、「ボクが扇風機にっ!」とか

ああいうふ抜けた事を言えば、関西なら即座にツッコミが入るよっ!(・∀・;)


注意しておきたいのは、あの場にいるのはマリヤを除き、全員関西人であるということ。

まともに演じているのは妹・誠のみ。

なのに、「なぜ一人だけ関西人がいるの?」みたいな雰囲気になっている。

まるで東京ドームの一塁(巨人)側に、阪神ファンが一人混じっているかのよう!Σ( ̄□ ̄;)!!


えーっと、みんな阪神ファン(関西人)のはずですが (舞台が甲子園なら)


みたいな感じ?(´・ω・`)

ついでに言えば、試合後に「六甲おろし」じゃなくて「東京音頭」が流れているような違和感?

例えがマニアックか (´・ω・`);;



いとしの言う「肩をもみます」っちゅうのは、疲れた主婦の共感を呼ぶためだろうし、

「踊ります」っちゅうのはジャニオタ向けののサービスか・・・あざといね(´・ω・`);;

話の都合で、例え結果が同じであっったとしても、その過程がお粗末なら感動は生まれない。


そもそも、(いとしじゃないよ)とは、一体何だろう?


このドラマでやたらと強調される「愛してる」だが、それが表現できているかどうか疑問。

最初、いとしからストーカー行為を受けていて気持ち悪がっていたヒロイン。

それが180度方向転換して、好きで好きでたまらなくなった経緯って、どこにあった?(´・ω・`)


「寂しさ紛らす」、「家政婦」、「困った時のドラえもん」


いわば、便利屋だ。


これが、 なのか? (・∀・;)


世の中、変わった愛の形、愛情表現があるのかもしれないが・・・

一般人にはちょっと分かりづらいね (´・ω・`);;


ただ「寂しさ紛らす」のは、いとしじゃなくても水野でも良いみたいだけどね!


次に、愛し合う二人(と仮定して)が、なぜ即結婚に至るのか?が疑問。


偽装結婚しようとした花嫁のように、純が父親から見合いを強制されているわけでも、

結婚を焦る年齢でもない。純が特別、花嫁に憧れているという描写もない。

そもそも、この二人、付き合いだしてまだ日が浅いよね?(ほんの二、三ヶ月?)


ところが、急に 「結婚しよう!」 と言い出す純。


そして、あっさり承諾するいとし。

えーっと、これ、何か伏線ありましたっけ?見逃した?(・∀・;)


愛し合うのはいい。同棲するのもいい。世間ではいくらでもあるだろう。

でもさ、そこから「結婚」に至るまでに、紆余曲折があるもの(それを描くのがドラマだと思うが)。

特に、さまざまな問題を抱えた純と愛なら、


愛し合っていれば、結婚とか形式には拘らない という選択肢もあるわけで。


むしろこっちの方が一般的なのではないか?と思うがどうだろう。(´・ω・`)


二人が結婚に至るまでの強い意志や理由が見えないので、感情移入も応援する気持ちも湧かないという図式。これは物語の根本になる重要な部分だと思うのだが。
ただ何とな~くそうしようか?みたいな。


問題になっていたはずの収入面にしても、あっさりとどこかへ消えちゃった。

二人で新居へ無事引越し。保証金(敷金・礼金)だけで軽く50万はかかると思う。


「まぁお話だからいいんじゃないですか~」 by梅


ドラマだから現実とは違う、ああ、確かにそうだ。

でもさ、なら最初から給料とか家賃とか、婚姻届とか出さなきゃいいじゃん?大して意味無いんだし。

下手にリアリティを出そうとして、結局うやむやにするから、違和感を覚えるだけ。


「所詮ドラマだから」と、お粗末さの言い訳にするのは納得できないよ!(`・ω・´)


ちゃんとしたドラマや映画は、それこそいくらでもあるのだからね!


「全てヒロインたちの思い通りになる」というのが「朝ドラの常識」かもしれないが、お粗末さのせいで


 ”未成年の結婚ごっこ” にしか見えない (・∀・;)


これでは、「何となく医者になった」某梅ちゃん先生と同じではないか!?( ̄▽ ̄;)!!


(もしドラマ終盤で、”二人が離婚する伏線だった”とかなら、「さすが遊川」と評価するかもしれない)


あと、偽装結婚しようとした花嫁の父親の心情の変化とか、

別室でのやり取りの時に、お互いの家族が口を挟まないとか、

鉄矢ともこみちが普通に接しているなど、不自然というか強引な展開が多過ぎて、

ちょっと付いていけない視聴者が多かったのではないかと想像する。


視聴者の気をひくための「あざとい演出」が目立つのも問題。


来週のテーマは、ズバリ「ストーカー」。


これ、今まさに殺人事件が起こり、社会問題になっているのに、あえて放送する?

しかも、純と愛のふたりの愛情をひきたてるための”ネタ”として。

本当に必要なのか、はなはだ疑問だ。(麻雀賭博もね)


わざわざ問題を起こすメラメラ → (超能力で)解決 チョキ → 二人の愛情が深まるラブラブ


という 「マッチポンプ」 形式が延々とつづくのか?(・∀・;)



オオサキプラザホテルにせよ、おじいのホテルにせよ、

いかに初期設定がいい加減なのか・・・また後日(気が向いたら書きます)。