おはようございます
GW如何お過ごしですか
3日は、娘家族が夫の誕生日と母の日のお祝いランチを計画してくれて
その後には美容室でパーマを久しぶりにかけてみよう!と予約
今日4日からは東京へ
三女と旅行して
長女と世界の山ちゃんに行って…
の計画でしたが、全て自粛です
一昨日、2日の夜
「明日から連休だぁー」と久しぶりにスーパードライをあけた深夜
一本の電話がなった
弟が入所している施設からだった。
「今夜嘔吐し、酸素飽和度が70台になり救急車で搬送中です。
自分で起き上がって乗れたので意識はありますが…」
私は飲んでしまったので運転ができない!
仕事中の夫に連絡し向かうことにする
ワンコも一緒だ
えさも準備して、家を出たのは2時半
着いたのは5時前だった。
医者の説明によると
「肺炎が酷く水も溜まっている。
低酸素状態がどのくらいあったかで、脳への影響が考えられるので、酸素吸入器を外して自発的に呼吸できるか疑問。59歳だから体力があるので改善するかもしれないし…
現時点では、まだわからない」だった。
集中治療室の弟と対面
見た瞬間、もうだめだなと思った。
顔に色がない。
全体にむくんでいるのか
別人だった。もう亡くなる前の人のようだったのだ。
「〇〇くん、△△だよ!わかる?」
声かけると薄く目をあけ、頷いた
意識はあった。
コロナで暫く会えてなかったのに…こういう形で会えるとは。
今は薬で保たれているけど、酸素吸入器は痛いだろう、
ずっと仰向けでいるのは身体が辛いはず
私も術後一番辛かったのは、寝返りうてないことが地獄だった。
そんな辛い思いはもうしなくていいんじゃないかな…
早く楽にさせてあげたい
痛みや辛さから解放してあげて!
正直そう思った。
昼前に施設の看護師さんが身の回り品を持ってきてくれたので様子を聞くと、ここ二、三日高熱だったけど食事も少し取れていたという。
(病院になぜ連れて行かなかったんだろう?あんなに肺炎が酷くなるまで…)
そう思うけど、責められなかった。
昼前に施設看護師さんと弟に会う。
最初見てから6時間も経つと、だいぶ変わっていた。
顔色が戻り、むくみも引き、いつもの弟だった。
声をかけるも熟睡中
看護師さんは
「頑張ってね、みんな心配してるよ、待ってるからね、戻ってきてね」手を握って励ましてくれた。
優しい…
私は冷たいのかな
(もう頑張らなくていいよ)と思ってた私とは正反対だ。
この世の中で
弟の生活で
頑張った先に何があるのだろう?
何が良いのか
私には弟の「生きる意味」がわからないのだ。
弟にとって最善の道を
きっと溺愛していた亡き母が導いてくれることを願うしかない。