77年にシビックのTS仕様が鈴鹿サーキットで好成績あげている様子がモーター誌で紹介されていましたが、富士スピードウェイではJAF富士GPのスポット参戦に限られていてなかなか観ることが出来ませんでした。

 

GCシリーズのマイナーツーリングカーレースへの参戦は78年の後半からで、常勝スターレットに対しサニー勢がフューエルインジェクション化して混戦が復活した頃でした。特性の異なる3車の激戦はドライバーの高度なかけ引きと共に最終ラップまで展開されました。

 

 

シビックSB1は中回転域/高トルク型の無限MF318エンジンと軽量な車体が有利なうえ課題であった高速コーナーの操縦性をサスペンションと空力部品の開発を進めたことで飛躍的に向上することができたとか。

 

 

1979.10.21 富士GCシリーズ最終戦 

 

 

チームヤマトの67号車は大場次雄氏( CIVIC Ⅳ)68号車は佐藤克明氏( CIVIC Ⅴ)。この頃はヨコハマタイヤを装着していました。空力パーツは風洞と実走データから開発したものでバランスの取れたダウンフォースを確保することでタイムが向上したと伝えられています。ボディパーツのマスター型はムーンクラフトで制作していた記憶があります。

 

 

レース終了後の撤収状態 

 

 

当時は鈴鹿で連勝した「明和シビック」や筑波の「ワールド筑波シビック」の活躍が周知されていました。参戦はメーカー系チームが中心であったため残存数が限られる車両です。

 

 

2003.09

 

 

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