1970年代後半のスーパーカーブ―ムとF1レースの開催で爆発的に売れたモノにラジコンカーがありました。当時、タミヤのキットを持っていたのはごくわずかなお坊ちゃまだけでお父さんにお願いしてトイラジコンを買ってもらった少年が大半だったと思います。
特に「ニッコーセミデラコン」は豊富な車種とお手頃な価格もあってとても売れていたようです。富士GCレースでは77年からはチームのスポンサーとなりマーチやシェブロンを走らせていました。
1977.09.04 ニッコー・セミデラコンマーチ (デビナ・ガリカ 選手)
1979.03.25 セミデラコンシェブロン (藤田直廣 選手)
「セミデラコンサンダー LM39」が登場
GCレースがシングルシーターへの移行に合わせて開発されたウイング・カーのLM39はF2とGCレースが兼用できるマシンで「ニッコー」がメインスポンサーとなり79年9月に登場しました。
フォーミュラーカーのタイヤを覆うボディは未来的でとても斬新でしたが、予選は10位と振るわず…。実測によるとヘアピンのたちあがりからストレートエンドまでの区間タイムが伸びなかったとか。
ドラッグを低減するためにボディに手を加えた対策も良い結果は得られず、デビューイヤーは低迷したまま終了となりました。
1979.10.21:富士マスターズ250キロレース
79年末で「ニッコー」の支援は終了し藤田選手もスピードスターレーシングに移籍。翌年には松本選手が車両を引き継ぐかたちで参戦し、第2戦ではついにMCS1のボデーに全面換装して予選2位、決勝3位の好成績となる皮肉な結果となりました。
LM39での参戦は80年で終了。翌年にデビューしたF2(マーチ792)ベースの「ロイスRM-1」開発した背景には「LM39」での教訓があったのかも⁉
わずか数レースで姿を消したオリジナルボディの「LM39」はとてもレアなマシンでした。同年デビューした「KIBOU T-80」も走る実験室でしたが…。
クリック後、全ページプレビューで紙面が出てきます
偉大なるブランド「NIKKO」
当時から海外市場では「NIKKO」のブランド力が高く評価されいて何度か資本が変わった後でも「NIKKO」のロゴのついたトイラジコンが発売されているようです。日本では当時のラジコンカーを入手してリメイクするマニアも出現しています。
ツインモータで操舵する秘密はこちらから




