一度書いて途中でお蔵入りにしたけど復活しましたシリーズ。


某国公共放送が地上波総合の日曜20 時枠

4クールぶち抜き時代劇ドラマ

今年は平安時代のお話し

ときて一話から楽しみに観ました

んが

しかし

装束や女性の髪型、寝殿造の御殿など視覚的には

平安京の文化を感じるものでしたが

台詞が、、、

昨年の戦国時代の台詞と変化を感じられず

平安感が無い

どころか

その前の鎌倉時代、その前の幕末とも変わらないような気も、、、


平安時代も、鎌倉時代も戦国時代も江戸時代も

皆同じに聞こえる、、、


どれも 語尾に『じゃ』を付け

人称代名詞を おぬし そち われ それがし などにして 

武将は常に顎を引いて ここぞという時は 咆吼する


みたいなことをやっときゃあ 時代劇になる

っ的な空気を感じて仕方ないんです。


時代考証にはいつもの小和田先生をはじめ

言語や建築、衣装や所作など様々な賢い人たちが関わっているので

何も考えずにやってるはずはないんですが

台詞まわしに関してはどうも違和感を感じます。

しかもほとんど所謂標準語。

薩摩や尾張や三河出身でも標準語とか、、、。


今年の平安時代の作家のドラマに関しては

あそこまで現代的な台詞回しにすれば

かえって気も良く、その体で観る事はできますが

一歩間違えるとコントになりかねないです。


1000年1200年も昔だと

人々の話すスピードはかなり遅く

パピプペポやファフィフフェフォ

も多様されていたようですが

そのまま平安に忠実に近づけようとすると

観ている方は理解できず視聴者も離れてしまうでしょう。

にしても、それが忠実性から離れても

どうせ演出するならもう少し時代を感じるものを取り入れてほしいと思います。 


何故そう思うかと言えば 

私が子どもの頃に親と観た時代劇

特に特別番組的なドラマや日曜20 時ドラマでは

それらしい言い回しが多様されていました。

あらすじに関係ない台詞や身分制度上の独特の言い回しなどで時代を感じたり

また京都の公家や皇族の宮中の言葉なども

それらしい台詞でしたが今は帝ですら、、、。


作り手は視聴者のニーズに応える必要があるからか

古い言葉は文学の中でしか生き残らないのか

いや

最近は句読点ハラスメントという

考えられないハラスメントまで存在する時代。

変化と劣化は違うものだと思うんですよね。