うちら陽気なかしまし娘

誰が言ったか知らないが

女3人寄ったら

かしましいとは愉快だね

ベリーグッドゥ ベリーグッドゥ

お笑い おしゃべり ミュージック

明るく歌って ナイト アンド デイ

ピーチク パーチク かしまし


宮川左近ショーと並んで

秀逸なテーマソング かしまし娘

音曲漫才はよろしいな。

今音曲漫才があまり無いのが寂しいです。


先日 かしまし娘の長女 正司歌江さんが亡くなったとネットニュースで見ました。

その前には八代亜紀さんも。


このお二人は舞台上だけでなくプライベートの時にお会いしたことがあり

しかもお声がけいただいた事があるお二人。


私が小学生の頃、お正月は家族で難波に出かけて

寄席を観に行くのが恒例でした。

お母ちゃんがお正月に着る服を買うてくれ

お正月までに散髪もして新年を迎えるという習慣がうちにはあり

今思うと、ええ事してくれてたなあと思います。


そのお正月は確か『角座』かどざ に行ってたと記憶してます。

角座の他も入ったとは思いますが、はっきりした記憶がないのですが

そこでは漫才、落語、喜劇を見てましたが

いつも前の席で、舞台上の芸人さんが子どもの自分に舞台からよく話しかけてくれてはりました。

中でもWヤング、ぼんはやと、ちゃっきり娘、かしまし娘です。

歌江姉ちゃんから、『前の僕がさっきからあんた(照江)の顔見て笑ってるわよ』とか

そこからちょっとひと絡み。

そんなことが2年連続あり、他の劇場か何処かでも絡まれた記憶があります。


それから10年ほど過ぎた頃

京都の二年坂だったと思いますが、そこに歌江姉ちゃんの姿が。

家族っぽい方々と変装も無く普通にというか

すぐ気づくほど派手な帽子に毛皮のコートに大きな声で笑いながら喋ってはりました。

着物姿しか見たことがないから、すごく新鮮でテレビや舞台で見るより若く見えました。

経緯は忘れましたが歌江姉ちゃんが近づいてきたので

私が『歌江師匠!』声をかけたら

テレビや舞台のまんま『あらあ ありがとう 若い男性だわ嬉しい』と。

『子どもの頃お正月に角座で観てました』的な事を伝えると歌江姉ちゃんが

『いつも前に座ってたぼっちゃん?』と

私はびっくりして『そうです』と。

『大きくなったわね』と言いながら握手をしてくれました。

今から思うとリップサービスでしょうけども

気取らずにそういう事を普通にさっと言えてお客さんを大事にしてはる姿に歌江姉ちゃんの大ファンになりました。

舞台も含めて生で見るのはそれが最後でした。

40年近く前です。


それからさらに10年近く経て

地下鉄サリン事件が発生した1995年の3月か4月頃

仕事で大阪のホテル阪神か帝国ホテルかどちらかでしたが

八代亜紀さんと2度お会いしました。

ホテルの一階のカフェにいたら

ロビーにこれまた変装しない八代亜紀さんがスタッフと思しき方々と歩いて入ってきました。

何処からか『亜紀ちゃん』の声に八代さんは

にこやかに手を振ってました。

振り向きさまに私の前に座っていた上司も手を振ると

こんにちは と言いながら手を振りながらエレベーターの方に消えました。

その後に瀬川瑛子さんも入ってこられ

こちらも変装無しでステージ衣装のようなカラフルなスーツで、同じ人が『瑛子ちゃん』と声をかけ

最初びっくりした表情で振り向くと

にこーっと笑い会釈してました。


その翌々日同じカフェにいたら

八代亜紀さんたちがカフェに来て

奥の方の席に6人ほどで座り私からちょうど八代さんが見えてました。

中一日置いてまた八代亜紀を見れたと感激し

テレビのまんま気取らないし、いつもニコニコしてるなぁと思って見ていました。


八代さんたちが席を立ちカフェを出ようとします。

八代さんが自分の横の通路を歩いて来て

八代さんと目が合ったと思ったら

『お騒がせしました ごゆっくりどうぞ』と

何故かテレビと同じ声と思いながら感激してしまい

頭を下げるのが精一杯だった記憶があります。

それがとても自然だったので普段からされているんでしょうね。

先日亡くなった後に芸能人の方々から

人柄を讃えるコメントが沢山ありましたが

業界人でもないのに、分かる分かると思いながら

読んでました。


前職では芸能人や有名人を沢山見てきましたが

その中でも好印象度が一番高いお二人が

同じ時期に亡くなられて、とてもショックを受けてます。


昨日からYouTubeでかしまし娘の漫才を観たり

八代亜紀のジャズを聴いてます。


それでは皆さま

ごーきーげーん よおおおー