BS 5月に放映される名作映画案内 Part3 | アラフォー世代が楽しめる音楽と映画

アラフォー世代が楽しめる音楽と映画

結婚、育児、人間関係、肌や身体の衰え、将来への不安...
ストレスを抱えるアラフォー世代が、聴いて楽しめる音楽、観て楽しめる映画を紹介します。
でも自分が好きな作品だけです!    

$アラフォー世代が楽しめる音楽と映画 昨年、梅雨の合間の晴れた日に久々に大型スクリーンで映画を堪能しようと映画館に出掛けた。観た作品はルキノ・ヴィスコンティの『山 猫』である。それまで小さな諸国の寄せ集めから一転、イタリア王国に統一された革命をつぶさに見つめていたサリーナ公爵は自らの老いと共に「自分達の時代は終わった。」と従来の価値観が一変したことを悟った。そしてサリーナ家とシチリア全体をより良き未来へ導く者として甥のタンクレディに託すのである。
 まだ子供達に代を譲る歳に達していないボクはさすがに、それまで栄華を誇ったサリーナ公爵の心境や悟りを理解するには至らなかった...否、「共感してはならない。」と努めていたのがより正確な言い方である。
 処で後期のヴィスコンティ映画は街並み、建物から装飾品に至るまで絵画のような美しさがある。今回、大型スクリーンで観る目的もそこにあったのだが、残念ながら主催者の用意したニュー・プリント版のフィルムはやや粗さが目立ち、デジタル・リマスターを見慣れたボクには不満があった。

 『山 猫』の上映が始まる前、壁に貼られている近々上映予定作品群のポスターを眺めていた。新作に興味が湧かないボクは、サラッと見て通り抜けようとしたが、片岡仁左衛門(旧:孝夫)の勇ましい顔を強調したポスターに暫し立ち止まってしまった。それは“シネマ歌舞伎”という企画の一環『女殺油地獄』だった。
$アラフォー世代が楽しめる音楽と映画 シネマ歌舞伎とは、HDカメラで撮影した歌舞伎の舞台公演の映像をデジタル処理してスクリーンで上映する“観劇空間”のことである。ボクは直感で「この映画は観なければならない!」と思った。それは江戸時代の庶民の暮らしぶりを知りたいという思いつきとも言えるいい加減な興味からだった。(知ったところで、何の得にもならないが...。)
 朝廷や幕府の暮らしを知りたければ時代劇を観れば良い。だが権力者や強者では情緒がない。それに今更、武士の生業を知るには些か食傷気味である。翻って庶民だからこそ滲み出る侘び寂びを知りたいのだ。人に知られず平凡な暮らしをする庶民でも一生に一度くらいはドラマツルギーのような波乱の事態に遭うことだろう。それを基に史実と虚構を交錯させた創作噺が、やがては歌舞伎や浄瑠璃、落語の演目に発展していく。

 だがボクには歌舞伎は身近なものではなく、偶にNHKで放映される歌舞伎中継も観ようともしなかった。第一、スローテンポで何を喋っているのか判らないので、退屈極まりない代物なのだ。これに幼い頃感じた派手な白塗りへの生理的嫌悪感と“独特の堅苦しさ”という印象が凝り固まっているので、増々鑑賞から遠ざけてしまうのである。
 だがこれらの誤解は歌舞伎に対する無知が引き起こしたものだ。「眠駱駝物語」は落語から仕入れた滑稽話であり、「人情噺文七元結」もまた落語が元ながら、笑いと涙の人情話に仕上げている。
 シネマ歌舞伎は座席に座っていたのでは見落としてしまう、演者のきめ細かい表情や仕草を判り易く映像に描写している。そこから歌舞伎の持つ芝居の面白さ、俳優や衣裳、舞台の装飾の美しさ、そして心を打つ感動の場面の数々を身近に感じたいと思っている。無知は損である!
 400年以上の歴史を持つとされ、様々な時代を経て、今や日本を代表する古典芸能と称されるまでに発展した歌舞伎を最新のデジタル技術で観られる恩恵を享受し、映画館の大型スクリーンという非日常の空間の中で感動を共有したい!


「歌舞伎入門」/著:安田文吉&安田徳子

 そもそも歌舞伎の発祥は徳川家康が江戸幕府を開いて間もない頃とされている。流麗で高尚な感じを与える歌舞伎だが、誕生した頃の歌舞伎芸人、或いは彼らと常々行動を共にした傀儡子師(人形芝居)や曲芸師等は“河原者”と呼ばれ、身分上は庶民よりずっと下の存在だったのである。
 “河原者”と呼ばれたのは彼らは持ち家を持たず、河原で自分達の芸を見せ、また生活の場でもあったからだ。所謂“非人”の階級として差別を受け、蔑まされていたのだ。
 歌舞伎の語源は「傾く(かぶく)人」からきている。“傾く”とはとにかく派手でお堅い一般人の常識からはみ出た者の意味である。言うなれば大胆奇抜なドレスを発表するパリのファッション・モード、80年代初頭の竹下通りの竹の子族と何ら変わりはない。彼らの自由奔放な言動を見て、伝統を重んじる保守的な大人達はしかめっ面をしたのである。

$アラフォー世代が楽しめる音楽と映画 ここに出雲阿国(いずものおくに)という女性が現れる。歌舞伎の始祖とされる彼女は、元々神に踊りを捧げる巫女のような生業だったらしい。出雲阿国は特に決まった場所に定住せず、各地を巡り歩いたことから“アルキ巫女”とも称された。彼女の率いる芸人集団(声聞師、傀儡子、軽業師等)は密教や呪術と密接な関わりがあり、行く先々で怪しげな芸を披露しては庶民を喜ばせていた。
 だが庶民は彼らの芸を楽しみつつも差別意識を持っていたのだ。それは畏怖の裏返しであった。貧しいながらも家に住む庶民から見れば、派手な衣装に身を包み、河原で生活する者達がさぞかし奇異に映ったであろう。呪力を持っているという噂も信じたに違いない。
 その彼女が京都の四条河原で「遊女歌舞伎」という男装して別の女性と絡む奇抜な舞台を披露したところ、爆発的な人気を博したのである。そこには畏怖の念と未知なものに対する憧憬が交わっていたと思う。ここで注目すべきことは歌舞伎の黎明期には女芸人が演じていたのが一般的だったである。
 出雲阿国の人気ぶりを妬ましく眺めていた傾城屋(けいせいや)や郭者と呼ばれた遊郭の経営者は、店に抱える遊女達に踊りや歌を習わせて出雲阿国の真似事をさせた。こうして遊女歌舞伎は形を変え、広まっていったのである。当時の時代を考証すれば、さぞや艶っぽく刺激的な演技に男連中は惑わされ、日毎通ったであろう。大盛況なのは当然である!

$アラフォー世代が楽しめる音楽と映画 だが遊女歌舞伎は永くは続かなかった。踊りや歌の演者が遊女であり、彼女ら目当てに集まった男連中が演者に卑猥な目を注ぐとなれば、その行き先は言わずもがな...遊女歌舞伎の後には売春が横行したのである。踊り子達は男連中の秘めた欲望を沸き出す為、どんどん踊りが怪しげに艶っぽくなっていったのだ。
 こうして徳川幕府は風紀の紊乱を理由に1629年(寛永6年)、遊女歌舞伎の全面禁止を発令したのである。その後、遊女歌舞伎は離合集散を繰り返しながら、猿回し芸や獅子舞等と共に、各地の非差別民の頭領に組み込まれていった。頭領は自分の縄張りとなる土地を支配し、芸人がそこで芸を披露する時は予め彼に挨拶して幾ばくかの地場代を上納する慣例となったのだ。幕府は頭領に金銭的潤いを与える代償として“河原者”の管理を頭領に押し付けたのである。
 この頭領達は通称、穢多(えた)と呼ばれる。覚えていますか? 昔、日本史の授業で江戸時代の身分制度に「士農工商」の他に穢多非人階級があったことを...。それにしても穢れ多きとは酷い仇名である。頭領と言えども表向きはそのような身分だったのだ。

 一方、遊女歌舞伎が廃れた後、今度は「若衆歌舞伎」なる美少年だけが出演する歌舞伎が登場した。しかしこれも稚児と呼ばれる男娼が蔓延る問題が起こり、僅か25年ほど続いただけで1652年(承応元年)、またもや徳川幕府によって禁止された。あまりここで述べるのは適切ではないが、戦国時代から幕末に至るまでの武将の中には男色家(大概は両刀使い)も多く、身分の高い者は若く美男の“お抱え武士”を持ち、同じ床の間に寝かせたのである。
 このように初期の歌舞伎を含めた芸能は性と密接に結びついていたと書くのは言い過ぎだろうか? 昔は今のようにレジャーや遊興と言っても限りがあったので、その方面に進むのも致し方ないと言うべきか...。

$アラフォー世代が楽しめる音楽と映画 それからほどなくして歌舞伎は成人した男子ばかりが出演する「野郎歌舞伎」に変貌していった。以後様々な紆余曲折を経て、歌舞伎は現在に近い形式を確立し、芝居小屋から大きな劇場で上演されるほどの人気稼業と成長していった。それなりの地位を得た歌舞伎は壮絶な奉行所闘争の末、頭領からの支配下に置かれた立場を改善していった。この辺りの一部始終は後に演目「助六」の題材となっている。
 だが一難去ってまた一難。歌舞伎芸人は幕府側の禁圧によって社会的な差別を受けるようになった。当時“芝居”と称された劇場は各地に多くあったのだが、政策的に遊郭や処刑場、貧民らが住む場所に移されたのである。当然そこで歌舞伎が興行されたことから“悪所”と呼ばれたのだ。歌舞伎俳優は謂れの無い陰口を彼らを観に来た庶民から叩かれたのである。
 それでも「野郎歌舞伎」は廃ることなく歴史と伝統を積み上げていった。歌舞伎が本当の意味でステイタスを獲たのは、明治維新で身分制度が崩壊してからなのだ。
 出雲阿国にように女性が男装したり、現代の歌舞伎のように男性が女形を演じるのは一種の性倒錯である。元来、人は美しいものに憧れる習性を持ち、性的なものに潜在的な興味を示す生き物である。その猥雑さと異空間の妖艶さが歌舞伎の魅力の一つである。梅沢富男に人気があったり、宝塚歌劇団の生徒が途絶えないのも、その辺に理由があるのかも知れない...。


『女殺油地獄』/松田優作&小川知子、山崎 努、加藤治子 [DVD]

 それではいつもの如く、『BS映画の放送カレンダー』が掲載する放映予定リストの中から、作品の優劣は問わずにあくまでボクの嗜好に沿った映画をピックアップしてみた。従って下記に羅列した作品集は所謂お勧め映画の紹介ではなく、個人的な確認メモという位置付けであることをお断りしておく。
 尚、何処のBSデジタル放送局で放映されているか判り易くする為、作品名の接頭部に各放送局の略語を表記した。解説文は下記の各ホームページからの抜粋である。
         ・(N)=『NHK-BS』
         ・(日)=『BS日テレ』           ・(A)=『BS朝日』
         ・(T)=『BS-TBS』           ・(J)=『BSジャパン』
         ・(E)=『BSイレブン』
         ・(F)=『FOX bs238』         ・(S)=『BSスカパー!』
 今回のNHK-BS午後一の時間帯はまたも西部劇特集である。ボクは西部劇にあまり魅力を感じないのだが、その中では再見にも拘らず『シマロン』だけは観ようかと思っている。理由はマリア・シェルが主演しているからだ。
$アラフォー世代が楽しめる音楽と映画 初めて彼女の映画を観たのはルキノ・ヴィスコンティの『白 夜』だった。おそらく二十歳を過ぎた(十代の設定だったかも知れないが...。)女が純真無垢な少女のように、戻ってくると限らない一目惚れの男を待つ健気さに惹かれてしまった。『白 夜』もそうだが、彼女は『最後の橋』『居酒屋』『カラマーゾフの兄弟』『女の一生』等の文芸作品に多く出演している。いずれも薄幸の女性を演じ、そんなところが男心をくすぐらせる“守ってあげたい女性”なのだ。
 しかし『シマロン』では一転して、浮遊癖のある夫に代わって新聞社の経営を切盛りし、事業主として又母親として成功する強い女性像を演じている。おそらくそういう役柄はこの作品だけなのではないかと思う。
 思えば『居酒屋』のラストシーンでの虚ろな母親と比べれば、えらい違いである。マリア・シェルが名優であることに異論はない!

 ・(N)『大いなる決闘』            5月14日(月) 13:00~14:39

   チャールトン・ヘストンとジェームズ・コバーンの二大名優共演で、引退した元保安官とその保安官への復
  讐に燃える脱獄犯の対決を描く西部劇。
   娘と二人で隠居生活を送っていたサム・バーゲードは、かつて彼が逮捕した凶悪犯プロボが仲間と共に
  脱獄したと知る。狙いは自分の命だと確信したバーゲードは罠を仕掛けプロボを待ち受けるが...。
   監督は数々の西部劇を手掛けたアンドリュー・V・マクラグレン。

 ・(N)『昼下がりの決斗』          5月15日(火) 13:00~14:35

   男達の友情と裏切りを見事に描いたサム・ペキンパー監督による傑作西部劇。
   ゴールドラッシュによって繁栄するカリフォルニア。元保安官は金塊輸送の仕事を依頼され、かつての部
  下と共に鉱山から町へと向かっていた。途中、少女が同行することになったが、彼女を狙う無法者が現れ、
  元保安官は対決することに...。
   西部劇で名を馳せたランドルフ・スコットとジョエル・マクリーは、この作品を最後に引退した。

 ・(N)『馬鹿まるだし』             5月15日(火) 21:02~22:31

   山田洋次監督が加藤 泰と共に脚本を手がけた“寅さん”の原点と謂われる作品で、主人公をハナ肇が務
  め、渥美清や藤山寛美等が脇を固めた心温まる喜劇。
   シベリアから戻り、瀬戸内海の静かな町にある寺に世話になることになった松本安五郎は、夏子という美
  しい未亡人に密かな恋心を寄せる。そんな中、ダイナマイトを持った脱獄囚が人質を捕って山に立て篭り、
  安五郎は単身、救出に向かう。

 ・(N)『テキサスの五人の仲間』      5月16日(水) 13:00~14:36

   ポーカー・ゲームの大勝負を巡って繰り広げられる異色西部劇。
   テキサスきっての大金持ち5人衆による年に一度の大ポーカー・ゲーム大会の真っ最中、一人の男がゲ
  ームに飛び入り参加した。男は農場を買う為に貯めた金を賭けるが、あっという間に全額摩ってしまった
  上、心臓発作を起こして倒れてしまう。そこで彼の妻が代わって勝負に挑むが...。
   ゲームの戦術さながらの演出で、思わぬ仕掛けが満載の物語が描かれる。

 ・(S)『小さなスナック』            5月16日(水) 22:00~23:25


 ・(N)『男の出発(たびだち)』        5月17日(木) 13:00~14:34

   カウボーイになることを夢見る16歳の少年が大人達に交じってカウボーイの一員となり、生きるか死ぬか
  の厳しい現実を体験し成長して行く様を描く異色の西部劇。
   テキサスからコロラド州へと牛を運ぶカウボーイのボスに頼み込み、コックの助手として仲間に加えてもら
  った少年ベン。処が大事な拳銃と馬を盗まれたり、見張り中に馬泥棒に襲われたりと全く役に立たず、ボス
  に故郷へと帰されそうになるが...。

 ・(N)『シマロン』                5月18日(金) 13:00~15:29

   エドナ・ファーバーの同名長編小説を映画化した人生ドラマ。アンソニー・マンが監督し、開拓者精神溢れ
  る夫婦の半生を描いた。
   オクラホマに新天地を求めて旅立った新婚夫婦は土地の獲得競争に参加する。様々な人々が集結する
  中で、数多の困難に直面しながらも互いに支え合おうとする二人だったが...。
   苦悩しながらも夫を支えようと奮闘する妻役をマリア・シェルが熱演。

 ・(S)『若草の萌えるころ』          5月18日(金) 22:00~23:31

   ジョアンナ・シムカスの儚く物憂げな魅力を永遠に焼きつけた珠玉の青春映画。
   監督ロベール・アンリコ、音楽フランソワ・ド・ルーベのコンビが、スペイン市民戦争の記憶を挿みながら、
  少女の成長を幻想的に描く。
   アニーの大好きなジタ叔母さんが、突然病に倒れた。愛する者が死にゆく現実と自分の無力感に耐えら
  れず、彼女は夜の街に彷徨い出る。猫を狩るスペイン人、スロットカー・レース、羊との追い駈けっこ、コン
  トラバス引きの青年...。驚きと刺激に溢れた一夜の出来事を通して、アニーは自分なりに大切な人の死
  を受け止めていく。

 ・(N)『ALWAYS 三丁目の夕日』    5月19日(土) 20:02~22:14

   西岸良平の大人気コミックを元に、東京タワーが着工された昭和33年の東京下町に暮らす人々の日常
  を描いた心温まる人情ドラマ。
   青森から集団就職で上京し、小さな町工場・鈴木オートに勤め始めた六子は故郷には帰らないと決めて
  頑張って働いていた。一方、鈴木オートの向かいに住む三流小説家茶川竜之介は、飲み屋のヒロミの頼み
  で引き取り手のない男の子・古行淳之介を預かるが、淳之介は実は大会社社長の息子だった。


『はなれ瞽女おりん』/岩下志麻&原田芳雄、樹木希林、奈良岡朋子 [DVD]