久々の更新です。
実は、先月のGW前に、
うちの長男の祖母(私からするとお姑さん、以下、祖母と書きます。)が亡くなりました。
同居している祖母でした。
私は長男の嫁なので、割とやる事が色々とある方なのでしょうけれど、
ゆっくりペースなもので、こなすのに時間も必要です。
ブログ更新もしばらくゆっくりかと思います。
ただ、祖母の死以外にも、書きたいことは、逆にどんどん溜まっています。
まずは以下、祖母の死について、徒然と書いてみます。
癌でしたから、ここ3年間ほど何度か入院されました。
その間、退院後は割りとお元気に過ごされていました。
最後の入退院の前後は、とても身体がしんどそうでした。
途中、癌からくる認知症のような症状もありました。
うちの長男は、おばあちゃんが大好きな子でした。
メンターには以前からご相談していました。
祖母の死について、息子には折りに触れて話しておくことができました。
「おばあちゃんは、死んじゃうの?」
「人は誰でも、いつか死ぬんよ。一緒にいる時間を大切に過ごそうね。」
「どうなっていくの?」
「人は年取っていくと、だんだん赤ちゃんみたいになっていくよ(認知症もあったため)」
「死んだらどうなるの?」
「神様のところに帰るの。そこでまた会えるよ。」
などと話していました。
そうしたら、割と時間たってから、ふと。
二人で信号待ちしていたら、突然。
「じゃあ、一緒に生きてる間、楽しくお話ししようね。」と長男。
つないでる手をニギニギしながら。
(どうやら、その前の会話を受けて、何か感じて、言ってる・・・?)
生きている、今。この瞬間が宝。
長男に改めて感じさせてもらいました。
祖母は最後、自宅療養する事になりました。
訪問医療に訪問看護。
訪問介護はありませんでしたが、
ベッドやトイレ、点滴台、酸素ボンベ、吸引機のレンタルがありました。
退院後、3週間弱の間の出来事でした。
最初の一週間は、車椅子で外出三昧。
お見舞い返しのお買い物、お菓子の試食、皮膚科受診、長男の合気道見学。
外出好きの祖母を、家族皆で精一杯、希望を叶えてあげて、逆にとても幸せをもらいました。
2週間目は、外出が出来なくなり。
自宅内で車椅子になっていきました。
どんどん変化する祖母の状態に、家族で相談して対応に当たりました。
夜のトイレ介助に備えて、祖父と交代で祖母と同室で寝る主人についていき、
長男も一緒に寝て介助のお手伝いをしました。
(それまでの普段は、私とばかり寝たがる長男でした。)
3週間目。
最後の1週間は、お下のお世話が必要で、寝たきりに近くなりました。
すごい気力で自力の排泄を最後まで頑張る祖母でしたが、
ポータブルトイレまでの移動しか叶わなくなりました。
私もとうとう、陰洗させていただきました。
大人の女手で、動けるのは家で私一人。
いくら不器用でも、やはり、こういう事は女でなければ、と感じました。
祖父や主人では、洗い方が雑で、すぐに諦めてしまいます。
感染症を起こしかねない状態で、ほったらかしでした。。。
寝ていて、会話も出来ない祖母を、長男が慕う様子を見ていると、
「人間は、何も出来なくても、お世話にばかりなってても、存在価値は変らない。」
「ただ、そこに、いてくれるだけで、本当に、本当に、在り難い。」
「どうか、長生きして欲しい。」
と、改めて、感じました。
訪問医療の医師は、とても温かく、ハッキリと意見を言って下さる方でした。
もし、祖母の体調が「急変」という事態になっても、
救急車を呼ぶと苦しい処置をされるだけです。
呼びかけても反応がなければ、意識がなければ、私を呼んで下さい、と。
つまり、その時が、祖母の最期だということです。
実は、メンターに質問しそびれていた事がありました。
ご臨終という瞬間を、長男に見せるか否か、ということです。
私自身、見た事もなくて。
(それどころか、私の同居していた祖父母は、まだ健在していて、
長男の気持ちの実感さえ、できず、イメージするだけです。)
ママ友に相談すると、病院で迎えたご臨終を見せず、
一時預りにお子さんをあずけたりしたそうです。
そのお子さんは、お祖母様の死後、泣きくれていらしたそうで、
長男には、違う方法がいいかも、と思いました。
結局、祖母は、GW前に、急変を迎えました。
その朝、自宅にいたのは、祖父、私、長男の三人。主人は出張でした。
突然、意識が遠のいた状態になり、呼びかけに反応がなくなりました。
大量出血による貧血で意識の薄れた後で、心臓が止まりました。
その間、15分ほど。
祖父は医師に電話、私は主人に電話。
長男を中心に、3人で呼びかけました。
結果的に、ご臨終の瞬間を一番見たのは、なんと長男自身でした。
そういえば、
なにか直感があったのか、朝4時から起きて、そわそわしていました。
訪問看護師の方が死後の処置して下さる間、しっかりとお手伝いしていました。
タオルを絞って、ベッドに登り、祖母の身体を拭いていました。
私が親族に電話する間は、主人の弟の奥様に遊んでいただいてから、ずーっと昼寝。
翌日のお通夜にメンターご夫妻と長男さんが来て下さって、
うちの長男がしっかりした、とおっしゃって下さいました。
祖母が亡くなり、皆が来て下さった事を理解して、
祖父、父、伯父と共に前に出て、落ち着いてご挨拶をしていました。
(お式前後は、はしゃいで騒いていましたが)
結果的に、長男も一緒に、看取る事になって、良かったと思っています。
祖母の死後、そのことで、長男が泣くようなことは無く。
ただ、3日に一回くらい?ぼそっと「寂しいわ」と言うだけです。
長男がふと「おばあちゃん、まだ生きてて欲しかった」と、ぼそっと言うとき、
その気持ちを受け止めようと「そうだよねぇ、、、
また、お風呂上りにフーフー言いながら、食卓で休んでくれて、お話ししたいよね。」などと
思い出話をすると、私の方が涙ぐんでしまいます。
長男の寂しい気持ちを、聴いてゆこうと、思っています。
今は、忙しく事務処理などをする日々の中で、私自身の、祖母(お姑さん)への気持ちも、
なんだか置いてけぼりに感じます。
今日はここまで。
また書きます。
実は、先月のGW前に、
うちの長男の祖母(私からするとお姑さん、以下、祖母と書きます。)が亡くなりました。
同居している祖母でした。
私は長男の嫁なので、割とやる事が色々とある方なのでしょうけれど、
ゆっくりペースなもので、こなすのに時間も必要です。
ブログ更新もしばらくゆっくりかと思います。
ただ、祖母の死以外にも、書きたいことは、逆にどんどん溜まっています。
まずは以下、祖母の死について、徒然と書いてみます。
癌でしたから、ここ3年間ほど何度か入院されました。
その間、退院後は割りとお元気に過ごされていました。
最後の入退院の前後は、とても身体がしんどそうでした。
途中、癌からくる認知症のような症状もありました。
うちの長男は、おばあちゃんが大好きな子でした。
メンターには以前からご相談していました。
祖母の死について、息子には折りに触れて話しておくことができました。
「おばあちゃんは、死んじゃうの?」
「人は誰でも、いつか死ぬんよ。一緒にいる時間を大切に過ごそうね。」
「どうなっていくの?」
「人は年取っていくと、だんだん赤ちゃんみたいになっていくよ(認知症もあったため)」
「死んだらどうなるの?」
「神様のところに帰るの。そこでまた会えるよ。」
などと話していました。
そうしたら、割と時間たってから、ふと。
二人で信号待ちしていたら、突然。
「じゃあ、一緒に生きてる間、楽しくお話ししようね。」と長男。
つないでる手をニギニギしながら。
(どうやら、その前の会話を受けて、何か感じて、言ってる・・・?)
生きている、今。この瞬間が宝。
長男に改めて感じさせてもらいました。
祖母は最後、自宅療養する事になりました。
訪問医療に訪問看護。
訪問介護はありませんでしたが、
ベッドやトイレ、点滴台、酸素ボンベ、吸引機のレンタルがありました。
退院後、3週間弱の間の出来事でした。
最初の一週間は、車椅子で外出三昧。お見舞い返しのお買い物、お菓子の試食、皮膚科受診、長男の合気道見学。
外出好きの祖母を、家族皆で精一杯、希望を叶えてあげて、逆にとても幸せをもらいました。
2週間目は、外出が出来なくなり。自宅内で車椅子になっていきました。
どんどん変化する祖母の状態に、家族で相談して対応に当たりました。
夜のトイレ介助に備えて、祖父と交代で祖母と同室で寝る主人についていき、
長男も一緒に寝て介助のお手伝いをしました。
(それまでの普段は、私とばかり寝たがる長男でした。)
3週間目。最後の1週間は、お下のお世話が必要で、寝たきりに近くなりました。
すごい気力で自力の排泄を最後まで頑張る祖母でしたが、
ポータブルトイレまでの移動しか叶わなくなりました。
私もとうとう、陰洗させていただきました。
大人の女手で、動けるのは家で私一人。
いくら不器用でも、やはり、こういう事は女でなければ、と感じました。
祖父や主人では、洗い方が雑で、すぐに諦めてしまいます。
感染症を起こしかねない状態で、ほったらかしでした。。。

寝ていて、会話も出来ない祖母を、長男が慕う様子を見ていると、
「人間は、何も出来なくても、お世話にばかりなってても、存在価値は変らない。」
「ただ、そこに、いてくれるだけで、本当に、本当に、在り難い。」
「どうか、長生きして欲しい。」
と、改めて、感じました。
訪問医療の医師は、とても温かく、ハッキリと意見を言って下さる方でした。
もし、祖母の体調が「急変」という事態になっても、
救急車を呼ぶと苦しい処置をされるだけです。
呼びかけても反応がなければ、意識がなければ、私を呼んで下さい、と。
つまり、その時が、祖母の最期だということです。
実は、メンターに質問しそびれていた事がありました。
ご臨終という瞬間を、長男に見せるか否か、ということです。
私自身、見た事もなくて。
(それどころか、私の同居していた祖父母は、まだ健在していて、
長男の気持ちの実感さえ、できず、イメージするだけです。)
ママ友に相談すると、病院で迎えたご臨終を見せず、
一時預りにお子さんをあずけたりしたそうです。
そのお子さんは、お祖母様の死後、泣きくれていらしたそうで、
長男には、違う方法がいいかも、と思いました。
結局、祖母は、GW前に、急変を迎えました。
その朝、自宅にいたのは、祖父、私、長男の三人。主人は出張でした。
突然、意識が遠のいた状態になり、呼びかけに反応がなくなりました。
大量出血による貧血で意識の薄れた後で、心臓が止まりました。
その間、15分ほど。
祖父は医師に電話、私は主人に電話。
長男を中心に、3人で呼びかけました。
結果的に、ご臨終の瞬間を一番見たのは、なんと長男自身でした。
そういえば、
なにか直感があったのか、朝4時から起きて、そわそわしていました。
訪問看護師の方が死後の処置して下さる間、しっかりとお手伝いしていました。
タオルを絞って、ベッドに登り、祖母の身体を拭いていました。
私が親族に電話する間は、主人の弟の奥様に遊んでいただいてから、ずーっと昼寝。
翌日のお通夜にメンターご夫妻と長男さんが来て下さって、
うちの長男がしっかりした、とおっしゃって下さいました。
祖母が亡くなり、皆が来て下さった事を理解して、
祖父、父、伯父と共に前に出て、落ち着いてご挨拶をしていました。
(お式前後は、はしゃいで騒いていましたが)
結果的に、長男も一緒に、看取る事になって、良かったと思っています。
祖母の死後、そのことで、長男が泣くようなことは無く。
ただ、3日に一回くらい?ぼそっと「寂しいわ」と言うだけです。
長男がふと「おばあちゃん、まだ生きてて欲しかった」と、ぼそっと言うとき、
その気持ちを受け止めようと「そうだよねぇ、、、
また、お風呂上りにフーフー言いながら、食卓で休んでくれて、お話ししたいよね。」などと
思い出話をすると、私の方が涙ぐんでしまいます。
長男の寂しい気持ちを、聴いてゆこうと、思っています。
今は、忙しく事務処理などをする日々の中で、私自身の、祖母(お姑さん)への気持ちも、
なんだか置いてけぼりに感じます。
今日はここまで。
また書きます。