むらさきさんのブログ記事(Qの部分)に対する記事です。
【結果的加重犯の共同正犯】
Q1 そもそも何で問題になるの? 普通に考えて成立しない?
A ふつうに考えて成立すると考えるのが判例の立場です。
Q2 「重い結果につき過失不要説→過失犯の共同正犯を論ずるまでもなく、成立を肯定できる」の意味は?
「(単独犯の場合の結果的加重犯の主観的要件にかんして)重い結果につき過失不要説→」
まずは、ここまで。
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(1)結果的加重犯(ex.傷害致死罪)は、基本犯(傷害罪)+結果犯(過失致死罪)です。
基本犯は、故意犯です。
結果犯(重い結果=加重結果)の部分は、故意がありません。主観面(主観的要件)として故意があれば、結果部分も含めてぜんぶ故意犯(殺人罪)になってしまいます。
過失犯のようなものが基本犯にくっつくのです。
(2)で、次に、致死結果の部分まで処罰するためには、主観的要件として過失が必要か?
(2-1)結果的加重犯を処罰するには、「基本犯の故意+重い結果部分への過失(注意義務違反)が必要」という説があります。
この説からは、結果部分への過失がなければ、基本犯しか成立しません。
(2-2)判例は、重い結果につき過失不要説です。基本犯の故意があり、基本犯の行為と重い加重結果との間に因果関係が認められれば、加重結果の部分まで処罰するのに十分な責任根拠が認められると考えます。いいかえれば、基本犯に重い結果が生じる危険まで含まれているからだ、と説明することもできます。
「過失犯の共同正犯(が成り立ちうるかついての肯定説・否定説が対立しているという論点にかんして)を論ずるまでもなく」
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(1)共同正犯の成立要件
まず、共同正犯の基本形である故意犯の共同正犯の場合、主観面では、犯罪をおこなう意思の連絡である共謀(故意の共同)と、客観面では、行為の共同が必要です。(共謀共同正犯については割愛します)。
(2)過失犯の共同正犯
(2-1)過失犯の場合、故意犯とちがい、不注意はあってもはっきり意識しているわけではないので、そもそも意思の連絡、共謀というものはありえず、過失犯の共同正犯はありえない、成り立つはずがない。これが過失の共同正犯にかんする否定説です。
(2-2)過失犯でも、主観面で共同の注意義務が課せられており、各人に注意義務違反がある場合には、共同正犯が成立しうる。これが過失の共同正犯にかんする肯定説です。
この場合、故意犯の共同正犯の主観面で必要な意思の連絡、共謀の要件にかんし、ハードルが下げられています。
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さいごに、結果的加重犯の成立要件の議論と、過失の共同正犯の肯否の議論の関係が問題になります。
(1)過失犯の共同正犯についての否定説からは、結果的加重犯の共同正犯も否定される(成り立ち得ない)という説があります。ていうか、かつてありました。
しかし、今日では、過失犯の共同正犯の肯定否定と結果的加重犯の共同正犯の肯定否定は、かならずしも一致しないのではないか?と考えられるようになりました。
そうすると、過失犯の共同正犯について肯定説に立ったとき、という場合分けを考えることも必要なくなります。
(2)さいごはざっくり結論から言います。
判例の立場だと、結果的加重犯の主観的要件としては、基本犯の故意さえあればよいということでした。
そうすると、これを共同正犯にあてはめると、結果的加重犯の共同正犯の主観的要件としても、基本犯の部分について共謀(意思の連絡)すなわち故意の共同があればよいということになります。
というわけで、「過失犯の共同正犯(の肯否)を論ずるまでもなく、(基本犯の共謀=意思の連絡という主観的要件をみたせば、)結果的加重犯の共同正犯の)成立を肯定できる。」
ということになります。
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【論証パターン例】~判例の立場
傷害致死罪のような結果的加重犯に共同正犯(60条)が成立するか。
結果的加重犯は、基本犯に重い結果発生の危険があるので、相当因果関係のある加重結果が生じたときにこれを重く罰する趣旨である。
そうすると、基本犯の共同行為と相当因果関係のある重い結果が生じたときは、結果的加重犯の共同正犯の成立を肯定してよい。
【結果的加重犯の共同正犯の主観的要件】
主観的要件としては、基本犯の通謀があれば足る。基本犯に重い結果発生の危険が伴う以上、重い結果についての共同の過失までは不要と考えても、責任主義には反しない。
* これで十分です。刑法理論の根本である責任主義にふれてやると、原理原則から考えているので加点事由です。