衆院選で色々盛り上がっていますね。

毎日、情報の更新が目まぐるしく、なかなか追いつかないですが。

今の世界情勢については色々な方が発信しているし、私も詳しくはないので、何も言えないですが、

衆院、参院見ていると、世界と渡り合える党を選んだ方がいいのでは?と思います。

国内のことについては、問題意識として、ここ数年で色々な出来事や情報により、国内の何が問題なのか、国民には何が必要なのか、など、大まかなものとしては、どの党も持っているような気がします。

ただ、与党になれば、世界と渡り合える党、人でないと、難しいだろうな、と思います。

よそ様の国に迎合せず、服従せず、ケンカせず、渡り合える、そんな党、人がいいのでは?



さて、そんな党、そんな人、選ばないといけないのですが、

ネットやニュースでは、色々な党、色々な人が叩かれていますが、、、

もはや、叩かれていない人などいないのでは?と思うくらい荒れていますね。

叩かれてない党や人っていないのでは?というところも鑑みて、

期日前投票もありますが、ギリギリまで悩もうと思います。

少し前に「AIなどが発達した時代の子育てについて思うこと」的な記事を書いたのですが、
AGIというのが、もうあと5年程なんですってね。来るだろうとは思っていましたが、もうあと5年程だとは。

なんかすごいスピード感ですし、生き方が問われているようで焦ってしまいそうですが。

もうこのまま避けては通れないでしょうし、やっぱり付き合い方になるんでしょうね。

これからの子どもたちには心を育てることがますます大切になってくるんでしょうね。



昔からそうですが、昔は強く意識しなくても、時代はアナログ中心ですし、身体や物理で学び、(もちろん机上の勉強もあります。知識は大切です)感情を体験し、そうやって人は成長してきたのではないかと思うのですが、

AI彼氏彼女や、AIが調べものを全部してくれるとなると、人間の成長の部分としての心が育たないのでは、と危機感を感じます。

色々なことが世の中では起こっていて、そのスピード感もすごく早くて、色々な問題が起きていて、でも、法整備や規制が追いつかなくて、みたいなことが起きていますが、

合理的な考え方は本当に大切ですが、倫理観のようなものが置き去りになってしまっていないかと思うことがあります。

倫理観は心に基づいていると思います。また心の在り方は感情から学ぶのではないかと思います。

その学んでおかなければならない感情が、学べないと自分の在り方や生き方に影響してくるんじゃないかな、と思います。

もちろん、時代ですしAIの恩恵もたくさんあるので、よい方向性で使えるならいいのですが、そうでないなら規制も必要ですし、規制されていないなら、不必要なものには手を出さない、正しい使い方をする、というのが必要ですよね。

AIが感情を学ぶとか言ってるのも聞きますが、本当にそうなんですか?

「悲しい時は泣く、楽しい時は笑う」と学習したとして、では、今AIが笑っているからAIは本当に楽しいのでしょうか?

大人はそのあたりの分別がつきますが、子供は本当にAIが楽しいんだ、と思ってしまわないか、子供は動物や物に感情があると考え、擬人化してしまう特性がありますが、(成長と共に薄れますが)リアルなAIが言ってることをまともに信じてしまったら、(ハマり過ぎたら、という意味)自他の世界や、現実と仮想の区別などがつきにくくなってしまうのでは、と心配性な私は心配してしまいます(困)



子供達が通う習い事も、プログラミングの教室とかが普通にあって、触れさせるな、AIは悪だ、とかは思わないです。医療的なこと、経済的なことなどにもどんどん入ってきていますし。普通に会社に就職して会社で使うことも普通にあります。


しかし、子供のうちはやはり使い方、付き合い方は考えていかないといけないにようになったな、と思います。両方バランス良く、というか。


私が子育てしていた時代も、テレビやビデオの見せ過ぎはよくないと言われていましたが、やはり受動的過ぎるのでしょうね。

自分の頭で考えることが大切になってくるのは、昔も今も変わりませんが、便利なだけに依存し過ぎないように、というのは思います。

心配性のおばさんでした。



私がまだ保育士として勤務していた時のお話です。
まだなりたてで若い時です。

自分が担当ではなくて、別のクラスの男児でした。
別のクラスなので、別のクラスが合わさって行う合同保育の時間で、関わる子供でしたが、怒られる場面の多いお子さんでした。

なんであんなによく怒られたり注意されたりしているのだろう、と観察していましたが、

そのうち、わざと怒られることをしているのでは?と思うようになりました。

なんで、怒られるのにわざとやっているのだろうか、やっている「悪いこと」というのは、そんなに深刻ではないです、友達にちょっかいを出して言いつけに来られたり、なかなかお片付けをしない、そんな日常に誰にでもあることです。

それにしても、よく怒られたり注意されたり、回数が多い。

注意されていることが理解できないのか?それならば、分かるようにお話したり諭したりしないと、と色々考えてたのですが、

その時、ベテランの先輩の先生に教えていただきました。

「怒られてでも、構って欲しい子供がいるんだよ。」と。

若かった私は、「え?怒られてるのに?わざわざ?」みたいな気持ちだったと思います。

でも、よく見ているとやっぱりその先輩の言う通りなのかもしれないと思いました。

わざとやっているんじゃないか?

なので、合同保育の時間しか会わない子供でしたが、他の大勢の子供も一緒に見ているので、あまり怒らずに軽く注意をするだけにして、「そんなことをしなくても、あなたのことが大好きだし、こっちで一緒に遊ぼう。」というようなメッセージを送り続けました。



やはり、大勢の子供を一緒に見ているので、その子だけに関わり続けるのは難しいのですが、できるだけ、「ちゃんと見てるよ」というようなメッセージが伝わるようにしてみました。

少し経つと、その子から話しかけてくれることが増え、色々お話をして過ごす時間もできるようになり、他の子供に無駄にちょっかいを出すことも少しずつですが減りました。

やっぱり自分だけ見てほしいという気持ちがあったようです。

でも、自分だけ、というのはなかなか難しい、そのことも、子供なりに分かるように伝えました。

「もっと、Aちゃんとお話したいけど、今はできないからまた今度ね
」などと言うと、「うん、わかった」と聞き分けてくれるようにもなりました。

すぐに結果が出たのかというと、全然そうではなく、時間をかけて関わった感じです。
やはり時間はかかりますが、継続は力なり、ですね。
そして、少しずつ成長しますね。

大人としては、「分かっているのなら、そんなことをわざとやるな。」という気持ちにもなるのはわかりますし、それを伝えるのは悪いことではないとは思いますが、わざとやっている、その裏の動機みたいなものも考えの中に含めておくほうが、それが伝える言葉にも反映してくると思います。



子供だけでなく、大人でもやはり自分を優先してほしい気持ちが出てくることがありますが、人間ですから仕方ないです、そんな時もあります。

子供は、あって当然といえば当然の気持ちですから、バランス取りながら、でも「ちゃんと見てるよ」のメッセージが伝わるように、ですね。

怒られてでも構って欲しい、のお話でしたが、このパターンが長く続くと、逆に「構ってもらうためには怒られることをする」みたいな変なパターンになってしまうこともあるかもしれないので、
その辺りをよく観察してみるといいかもしれないですね。