公式の記録では
18世紀後半までの国際情勢は
どうなっていたか
高校の世界史の時間に習ったことと思います
もう一度教科書の内容を引用します
それによると
ロシア
1682年 ピョートル1世即位
1703年 ペテルブルク建設
1721年 ロシア帝国成立(遷都は1912年)
1762年 エカチェリーナ2世即位
1795年 第3次ポーランド分割、ポーランド消滅
イギリス
1600年 東インド会社設立、植民地支配本格化
1688年 ファルツ戦争開始、第2次英仏100年戦争始まる
1707年 スコットランド併合、グレートブリテン王国成立
1776年 アメリカ合衆国独立
フランス
1789年 フランス革命
1804年 ナポレオン皇帝に、フランス帝国成立
上記のような流れになっています
これは半分真実で半分嘘です
これらの材料を用いて
マッドフラッドの観点から
真実の歴史を再構築します
◆世界における3大勢力
先に述べたように17世紀以前の世界は
3つの勢力に区分されていたと考えられます
・タルタリア帝国
・DSローマ
・アジア
です
どちらもフリーエネルギー文明を
擁していましたが
建物の様式が異なっていました
気候変動の記録などから
そのさらに200年ほど前の1601年にも
同じような大変動があったと
考えられます
この17世紀初頭
1601年の大変動によってアジアは滅亡し
実質的な力を失ったようです
アジアの文化文明はその後も残りましたが
国家としての力は失ってしまった
ということです
アジア滅亡後
DSローマは旧アジア諸国を植民地とし
その地を支配していきました
こうして18世紀には世界は大きく
・タルタリア帝国
・DSローマ
に二分されていたと思われます
旧アジア諸国はその多くが
DSローマの植民地となっていましたが
日本のように独立を守り続け
2つの勢力のどちらにも与しない国も
あったようです
18世紀後半
フランス革命直前あたりの勢力図では
シベリア
中央アジア
朝鮮半島
トルコ
までが
タルタリア帝国の版図となっています
ヨーロッパ
すなわちDSローマは
モスクワを含む現ヨーロッパロシアの部分や
アラビア半島を制圧しています
日本や中国インドは
独自勢力であったと思われますが
インドや中国は
DSローマに浸食されていたかもしれません
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