フロイスは織田信長の気迫聡明さと

醸し出す気品に驚き圧倒されました

 

 

そして織田信長の話した内容にも

驚きました

 

 

 

いつものように

自分たちの理想とする国づくりの話を

フロイスに熱く語った織田信長

 

 

「庶民が平和に楽しく

 豊かに暮らせる国を創りたい

 

 そのために今自分たちは

 こうして戦っているんだ」

 

 

 

 

それまでフロイスにとっての国王や貴族は

庶民の幸せなど考えず人々を制圧し

他の国や土地を占領し

 

 

自分の富や名声を広めることだけに

躍起になっている人たちのことでした

 

 

それが当たり前だと思っていました

 

 

 

ところがそうではない人間がいることに

大きなカルチャーショックを受けたのです

 

フロイス自身もまた

そんな国王や貴族の片棒を担いでいることに

気付きました

 

 

 

熱く語る織田信長の前で

自分達のしていることが

恥ずかしくなりました

 

 

 

それと同時にフロイスは織田信長に

尊敬の気持ちを抱きました

 

 

 

そして織田信長とフロイスの間に

深い友情が芽生えたのです

 

 

 

そしてフロイスは自分が来た

本当の目的(日本侵略)を

織田信長に話しました

 

 

 

これには織田信長も驚きましたが

この貴重な情報をどう使うか考えたそうです

 

 

 

強大な武力を持つ国々と

まともにやり合って勝てるわけもなく

穏便に事を進めようとしました

 

 

 

一応は受け入れる態度を取りながら

少しずつ関係を細くしていく方向で

動くことにしました

 

 

 

宣教師の受け入れの人数を減らしたり

自由に動き回っていた宣教師の動きに

制約をかけたり

 

 

こちらの情報が流れないように

そして日本の文化が壊されないように

守っていくことにしました

 

 

 

それが後々の日本の鎖国への道へと

つながっていきました

 

 

日本を守るために国を閉ざしたのです

 

 

 

織田信長がそれをしなかったら

もっと早くに日本は占領されていました

 

 

 

そして重要な情報を

織田信長に流したフロイスでしたが

 

 

織田信長が

 

「フロイスから情報を聞きました」

 

と誰かに言わない限り

フロイスのことが本国にばれることは

なかったので無事でした

 

 

 

反対にフロイスは

 

「日本は今までの国のようにはいかない

 この国を侵略するの困難だ」

 

と報告してくれました

 

 

 

そして豊臣秀吉の時代になり

バテレン追放令というものが出されました

 

 

 

このときはまだ

強制的な禁教をするためではなく

 

 

「少しずつ進めていきます」

という意思を表明するものでした

 

 

 

しかしある事件が起きてから

穏便にはできなくなってしまいました

 

 

 

サン=フェリペ号事件

二十六聖人処刑という事件です

 

 

 

土佐国にスペイン船が漂流したのですが

土佐の人々が乗組員たちを町に幽閉して

所持品をすべて没収

 

航海日誌などの書類をすべて破棄しました

 

 

そのことに対して

船員の人が直接豊臣秀吉に抗議をしようと

都に行ったのですが

 

 

そのとき交渉の仲介を頼もうとしていた

フランシスコ会など

スペイン系の宣教師を豊臣秀吉は捕らえて

 

 

処刑したという事件です

豊臣秀吉がキリスト教徒に対して行った

直接的迫害

 

 

ここまでが教科書の話です

 

 

 

実は土佐の人々はスペイン船が漂流したとき

人として礼をつくし

客人としてもてなしていました

 

 

 

しかしこの船に乗っていたスペイン人は

軍人でありある勘違いをしていました

 

 

 

当時のスペインは他国を侵略していました

 

 

ペルーメキシコフィリピンを

武力制圧してきた経験から

 

 

日本もいずれは同じように

自分たちの植民地になり

 

 

日本国民は自分たちの奴隷となる運命だと

勘違いしていました

 

 

 

だから助けてくれた土佐の人々に対しても

無礼な態度をとったり

 

 

荷物を触っただけで腕を切ったりする

傍若無人な事をしました

 

 

 

その話を聞いてひどく怒った豊臣秀吉は

織田信長から聞いた話は本当だと思いました

 

 

 

宣教師は前乗りのスパイ

 

 

そのあとは武力で侵略に来るという話

 

 

 

このままでは日本も他国のように

植民地にされてしまう

 

 

悠長なことはしていられないと思いました

 

 

急いで禁教令を出して

都で宣教活動していたキリシタンの宣教師を

捕らえて処刑することにしました

 

 

 

日本を狙っている欧米に対して

思い通りにはさせないという強い意思を

豊臣秀吉は見せたのです

 

 

 

これが本当の事実です