ときは戦国時代
天下統一のためには
武力という手段の時代でした
「無駄な殺生は避けたい」
そう考えた信長は
自分が鬼になることを決意しました
なぜならただ強くなるだけでは
力自慢の人たちが
織田信長を倒して名を上げようと
無駄に戦に挑戦されてしまう
そこであいつは怒らせると
何をしでかすかわからない
鬼のような奴と思わせることが重要でした
最初から相手の戦意をくじくことで
無駄な戦をしなくても済むと考えました
「鬼」のイメージが強い織田信長でしたが
実際は繊細で優しい人だったそうです
織田信長が弟を殺したエピソードについては
実は弟は殺されていなくて
織田信長と弟2人で組んだ
自作自演の演技でした
織田信長が実の弟を酷い殺し方で殺したと
世間で認知させ鬼と思わせるために
その当時は
狂気も実力のうちとされていました
鬼だけど戦は強い
実力は誰もが認めていました
信長についていけば
勝利できると思った人たちも多く
無駄に敵をつくらず
従う人を増やしていきました
そして織田信長は
素直に自分の本音をさらけ出し
熱く思いを語り
口だけではなく自ら動く人でした
それが人の心を掴み動かしていました
本願寺での戦いでは
戦に関係のない児童の首まではねたらしい
という話があります
これは歴史のねつ造です
彼の目的は平和で平等な国を創ることなので
関係のない人を巻き込んで殺したり
残忍なことはしませんでした
武士の巻き添えで
嫌な目にあっている庶民をなんとかしたい
そんな思いで決意した天下統一
だから関係ない人を傷つけることは
信長の理念に反します
そして武士の戦に
関係のない農民を巻き込まないため
戦のための精鋭プロ集団をつくりました
当時の戦は戦を知らない農民まで
駆り出される時代
鍬を持って農業をしていた人が
ある日戦の人数が足りないからと言って
戦に巻き込まれていました
大将や上の人たちは
安全な場所で指示だけをして
関係のない農民を
実戦の危ない場所に向かわせることに
大反対だった信長
そして信長は自分から戦に志願した人を
戦の精鋭プロ集団として鍛え
その人達しか戦につれていきませんでした
これが桶狭間の戦いでの勝利につながります
当時織田信長よりももっと勢力があった
今川義元との戦いです
今川勢2万人
対する織田勢は5千人(人数は諸説あり)
今川勢のほうが数では圧倒的に有利ですが
今川勢は農民も多く戦の素人ばかりで
ある意味素人集団の集まりでした
人数が多いが戦の素人集団
VS
人数は少ないが精鋭のプロ集団の戦い
これは織田勢が勝利したのも納得です
それとこの勝利には徳川家康も
貢献していました
織田信長と徳川家康は同じサンカで
天下統一の仲間です
その2人の出会いは
信長15歳家康6歳のとき
当時織田家には家康が人質として
住んでいました
その家康に剣術を教えていた信長
当時は人質が強くならないように
剣術は教えないものでした
それでも信長は家康が強くなるように
真剣に教えていました
そして稽古が終わった後に
「みんなが平等で平和な国をつくりたい」
「人質として母から離されることもない
そんな国を創れたら」
と家康に話していた信長
2人は年が離れていましたが
一緒にいて本当に楽しかったそうです
走りながら考える信長と
ゆっくりと熟考しながら判断する家康
離れた性格でも同じサンカ
お互いのことを理解し信頼していました