Late For The Skyのブログ

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湖周5kmという小さな精進湖。河口湖や山中湖のようにリゾート化しておらず「東洋のスイス」と呼ばれるほど美しい景観を保っている。
1895年(明治28年)、英国人ハリー・スチュワート・ホイットウォーズが富士山を最も美しく眺められる地を求め辿り着いた場所と言われ、その名は「ジャパン・ショージ」として海外にも知られている。

あまりの美しさを目の前にした時、「息を飲むような・・・」という表現が使われるが、辰志が初めてこの湖を訪れた紅葉の季節の景色があまりにも鮮やかで辰志の呼吸が一瞬の間だが止まった。辰志は“いつか顕子にもこの景色を見せたい”と思った。



湖の北側の国道139号線沿いから湖畔へと続く階段を下りながら辰志が顕子に一言だけ訊く。





「どう?」





「あいかわらずよ。そっちは?」





「こっちもあいかわらずだ」





この短い会話が数ヶ月に一度しか会わない二人の挨拶となっている。

階段を降り緩やかな砂利のスロープを下ると砂利と砂が混ざった小さなビーチがあり二人はそこにあるベンチに腰掛けた。ハイシーズンとはいえ精進湖に訪れる観光客は僅かで、釣り人と地元民らしい集団の姿が少し目に入る程度だった。

色とりどりに彩られた鮮やかな紅葉に包まれるようにひっそりと存在する精進湖の向こうには霊峰富士がそびえ立ち、手前の大室山を抱きかかえているように見える。その姿は「子抱き富士」として名高く、夕日の赤く染まった赤富士と紅葉が絶景と呼ぶには現実味を帯びず、二人はまるで御伽の国にいるかのような錯覚を覚えた。





「愛してる」





眼前に広がる景色があまりに美しく妄想もできなかった辰志に対し唐突に放った顕子の一言に辰志は現実に帰り一瞬戸惑ったが思考が消化しきれぬまま胸の高鳴りへと変化した。

二人には出会いから深い関係になってからも、ずっと保ち続けている暗黙のルールがあった。それは「奪わない」ということ。

辰志には子供こそいないものの生涯を誓った可愛らしい伴侶がいる。世間から見ても何も不満のない女性なのだが辰志は「刺激がない」という。顕子もまた世にいう良妻賢母であり、自身が猛烈にアピールして得た主人と二人の子宝にも恵まれ家庭に不服はないのだが、パートナーを「つまらない男」と言い切る。

退屈ながらも幸福であり、抱えている不満が贅沢なことも承知している。そんなお互いの大切なものを“奪わない”ことからはじまった関係なのだ。二人にとって「愛している」という一言は相手の何かを「奪う」と同義の言葉だった。





「どうしたんだ?突然」





「何だかこの美しい景色を目の前にしたら、言わないと決めたことが馬鹿馬鹿しくなっちゃった」





「あまりに突然だったからさ。いい歳してトキメいた・・・」





しばらくの沈黙から辰志も目に見えない“想い”というものを“言葉”という空気振動で伝えた。





「愛してる」





辰志の言葉に顕子もまたびっくりした顔で





「・・・ドキドキした~!」





といい二人で笑い、お互い心の中で再び口にすることはないだろうことを感じていた。それは時に苦痛を伴うことを辰志も顕子も知っていた。

それから二人は夜まで湖畔で話した。

家庭や家族のこと、仕事や職場のこと、不安や悩み、猥談からセックスのこと、芝居や映画や音楽のこと、いつもはしない「愛」について・・・数ヶ月に一度しか会わない二人の間に話題は事欠かなかった。

決して饒舌ではなく会話が得意ではない辰志だが、自分の得意な分野の話になると子供のようになり自慢げに話した。顕子はそんな辰志が大好きだったし、いつも「うんうん」と頷き笑顔で聞いてくれる顕子を辰志もまた愛おしく思っていた。





「俺たち不思議だな」





「どうして?」





「同性の友達以上に何でも言えるから」





「うん」





「どんな関係なんだろ。なんでも言葉にするする必要はないけど、世間が言う愛人関係とは全く違う。そこが不思議だから知りたくなったんだ」





少し考えて顕子が





「親友!」





と言い、その後小声で





「エッチもしちゃうけどね」





と言って舌を出して笑った。辰志も笑った。

闇の中に浮かび上がる大室山と富士山のシルエットは子抱き富士の名に相応しい。暗闇の中で、それでも確実に紅く萌える紅葉。無音の空気の中の静かな湖面。それらはあたかも母であり、子宮の中に形成される胎盤であり、羊水のようであった。

守られている安心感。二人の心は不安の欠片もなく穏やかだった。





「これからもよろしくな」





「こちらこそ」





「こんな俺だから悪事もしちゃうけどさ」





「どうでもいいと言うと語弊があるけど存在が大切なわけで、たっちゃんのしでかす悪事はどうでもいいことなんだよ」





顕子は利発で可愛らしい女だ。死んだらThe End。残るのは誰にも言えない哀しみと二人だけの思い出のみ。そんな関係もいい・・・そんなことを思いながら辰志は闇の中の静かな湖面と顕子の横顔を交互に見つめた。