桑田佳祐 夏祭りツアーの<神名阪>年末追加公演&ソロ年越しライブ決定
ガイシホール 城ホール 横浜アリーナ

 


桑田佳祐 70歳
『人誑し/ひとたらし』
デイリー1日目 1位95,304枚
デイリー2日目 2位12,087枚
推定売上枚数:107,391枚 首位独走中




 




サザンオールスターズ 3rd album 
『タイニイ・バブルス』
(1980.3.21)


ロック・バンド史上初の1位(2週連続)

年間13位(35.0万枚)


本作以降、48年間の活動期間中に発表してきたオリジナルアルバム、ベストアルバムはすべて週間1位獲得中。

1980年代・1990年代・2000年代・2010年代・2020年代と5つの十年代で、アルバム首位!






A面
M1.ふたりだけのパーティー~Tiny Bubbles(type-A)
M2.タバコ・ロードにセクシーばあちゃん
M3.Hey! Ryudo!(ヘイ! リュード!)
M4.私はピアノ
M5.涙のアベニュー


B面
M6.TO YOU
M7.恋するマンスリー・デイ
M8.松田の子守唄
M9.C調言葉に御用心
M10.Tiny Bubbles(type-B)
M11.働けロック・バンド(Workin' for T.V.)




 デビュー2年目1979年年末の紅白歌合戦で『いとしのエリー』を披露すると、お茶の間からサザンが消えた。

 デビューシングルから3部作の常套手段を敢然と拒否し79年3月25日発売の『いとしのエリー』がロングセラーとなると、7月25日発売『思い過ごしも恋のうち』がオリコン7位・ベストテン4位に。

 さらに10月25日に発売した年間3枚目のシングル、

5th『C調言葉に御用心

が自身最高タイのオリコン2位・ベストテン2位に輝いた
(C/Wの『I AM A PANTY(Yes,I am)』も秀逸)。

▲A面 
▼B面

 2026年現在に至るも初期サザン最高傑作の呼び声が高い、ロッカ・バラード・テイストのミディアム・ナンバーで、吉田拓郎や山下達郎も絶賛する納得の出来映えだ。ロマンティックで情感たっぷりのずば抜けたメロディライン・驚くほど緻密な楽曲構成・哀愁溢れるポップスでありながらブルージィなロックテイストのこの曲で、サザンオールスターズの音楽的評価は固まったと言って良い。もはや〈一発屋のコミックバンド〉と呼ぶ者は全国で皆無となり、サザンは歌謡界における<カウンター・カルチャー>としてロックバンド台頭を象徴する、時代のアイコンとなったのだった。

 けれども、冒頭で述べたように、デビュー2年目の1979年を締めくくる年末の紅白歌合戦で『いとしのエリー』を披露すると、お茶の間からサザンが消えた……。 




 すなわち、ツアーが幕を閉じ紅白歌合戦が終わるとサザンオールスターズは、マスメディア出演過多による疲労という外的条件ならびに、『C調言葉に御用心』でプロとしてやってゆく手応えを感じ、レベルアップをはかる内的必然性に迫られる。

 こうして、サザンは攻めのスタジオ・レコーディング活動に突入する。かくして、1980年初頭をもって、サザンはオリジナルアルバムを生命線としたアルバム・ミュージシャン(ロック・バンド)として脱皮してゆくスタートを切った。このことは、芸能事務所・アミューズがアーティストを育成するノウハウを獲得した画期的意義をもったと今日的にとらえ返しうる。



 この試みを具現化してサザンは「FIVE ROCK SHOW」(ファイブ・ロック・ショー)と銘打った活動を推進した。


 すなわち、テレビ出演を一切せず、楽曲づくりとスタジオ・レコーディングに集中する、半年間の休業を宣言した。
 具体的には5ヶ月間で、毎月1枚シングルと、2枚アルバム(結果的には3rdアルバムのみ)を発表するとした。



 しかし、「"FIVE ROCK SHOW"」に挑んだ結果、サザンはお茶の間から姿を消し、発表された楽曲は一般受けが抜群に良かった訳でもなく(Jポップの後進性)、セールス面で芳しい成績をおさめた訳でもなかった。後述するように、アルバムでは初の首位を獲得し・ライブの動員は拡大し続けるものの、メジャーシーンの視点やお茶の間の視点から言うと、サザンは約2年間の低迷期に入る。





 "FIVE ROCK SHOW"第1弾シングルは、80年2月21日発売6枚目のシングル『涙のアベニュー』。最高16位。

 第2弾は3月21日に3rdアルバム(首位)と同時発売『恋するマンスリー・デイ』は23位。

 2ヶ月遅れの5月21日発売『いなせなロコモーション』は16位。

 6月21日発売『ジャズマン(JAZZ MAN)』が32位。

 "FIVE ROCK SHOW"ラストを飾った7月21日発売『わすれじのレイド・バック』が41位とシングルセールスのみ振るわなかった。



 かつて桑田佳祐はこの時期をさして、“大衆ってのは分かってねぇなぁと思ってたけど今思うと(シングルが社会的評価を受け物質力をもつには)やっぱり力不足だったと思う”、と語ったことがある。


 たしかに、その後、サザンが量産した膨大なメガヒット作と比べると、一度オンエアしただけで、あっという間に人口に膾炙する曲ではなかったかも知れない。

 しかし、この"FIVE ROCK SHOW"で発表された楽曲群は世界観を推し拡げ・その後サザンのライブを彩る貴重なレパートリーとなった。同時に、この経験的蓄積がバンドの圧倒的なレベル・アップに結びついた。"FIVE ROCK SHOW" なしにサザンオールスターズは歴史に名を残すことはなかっただろう。


 個人的に、この時期の初期サザンの曲は心に響いてくる。

 『涙のアベニュー』はレイ・チャールズにオマージュを捧げるゴスペル色の強いソウル・ブルースナンバーだ。原坊のピアノとシャウトは最高にブルージィではないか。この哀愁漂うサウンドは紛れもなくサザンサウンドだ。今でもこの曲は『C調言葉に御用心』に匹敵する歴史的な傑作だと思う。
▲A面
▼B面


 『恋するマンスリー・デイ』は言わゆる“女の子の日”をテーマにした月経の歌であり「♪ユウコさん」こと原由子にあてた歌である。ボブ・マーリーに象徴されるジャマイカ発祥のレゲエを基調とした初期クワタ・ラテン・ブルースの傑作の一つで、最初にこの曲を聴いた原坊は<なんて女性に優しい歌なのだろう>と感動したらしい。
 ちょっと間違えれば下世話なテーマもサザンは見事に音楽世界観を成立させてしまうのは驚くべきことである。クワタのセクシーにしてアンニュイな巧みな歌い回しが印象的な、メランコリーで最高に黒っぽいラテンミュージック色の強いレゲェ・ブルースだ。

▲A面

▼B面(アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」CMソング)





 『いなせなロコモーション』は昔からのサザンファンに最も愛される曲の一つとなった。ザ・ビーチ・ボーイズの最高傑作『グッド・バイブレーション』やドリス・デイまで登場する、アメリカン・ポップスにオマージュを捧げる粋なロックン・ロールだ。

▲A面
▼B面(当時のギタリスト・大森隆志Vo)





 『ジャズマン(JAZZ MAN)』はブギのリズムが印象的な、最初の本格的なスウィング・ジャズ・ナンバーだ。サッチモことルイ・アームストロングを模したスキャットまで飛び出す始末。


あまり無理せず 素直な女でいた方が可愛い
感じたままに 二言三言の囁きが愛しい

離れたくない夜は 甘く ジャズで口説ける
だから もうちょいと このままいれりゃ
HAPPY HIPPY TOGETHER



 初めてこの歌詞を聴いた時、桑田佳祐は天才だと思った。フランス語のサビはスウィングしていて実に素晴らしい。このフランス語のサビは甘く切なく胸ときめく。

Nous avons parlee de temps,

Nais tu pleures, pourpuoi ?

だから Jazz Man 夢中にさせないで

心で泣いてるの だって アナタのためだから

▲A面
▼B面(ベーシスト・関口和之Vo)




 『わすれじのレイド・バック』はこれまた名曲。文字通りソロ転向後のエリック・クラプトンに共鳴して生まれた曲で、気持ちが離れないよう女性をいとおしむ、歌詞・メロディ・サウンドは絶品だ。ライブ披露時はこの曲のラストをアレンジして、桑田はファンに感謝を捧げるので、聴衆は、手を左右に振りながら聴き入る。
  2019年に開催された LIVE TOUR 2019 『“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!” だと!? ふざけるな!!』で久々に選曲され、桑田本人は多少の戸惑いもあったようだが、オーディエンスの心を撃った。
 そして、私にとってサザンオールスターズのイメージとは、──メロウでいてメランコリック、けれども力強く幾重にもロマンティックな情感の波が押し寄せる、だがブルース・ロックならではの濃厚さを微塵も損なわない──、この曲『わすれじのレイド・バック』や『涙のアベニュー』、『ジャズマン(JAZZ MAN)』や『恋するマンスリー・デイ』なのだ。
 私見では、"FIVE ROCK SHOW" で発表された楽曲抜きにサザンは語り尽くせない、と今思う。

▲A面
連続リリース "FIVE ROCK SHOW" のフィナーレを飾る作品。
キーボードの原由子は卵巣腫瘍のため、レコーディングには参加せず、クレジットには「原由子=Mind…」と記載された。
▼B面

▲休養した原由子を除く、桑田佳祐・大森隆志・ドラムの松田弘・パーカッションの野沢”毛ガニ“秀行・関口和之が交互にボーカルを取っている。




 こうした"FIVE ROCK SHOW"での、煌めく傑作群の増産とその反面でのシングルセールス的な停滞、お茶の間への露出制限、だがバンドの圧倒的なレベル・アップの渦中に発表されたのが、80年3月21日発売3rdアルバム『タイニイ・バブルス』である。これをもって第一期サザンは完成し、ライブ&アルバム・ミュージシャンへの飛躍を遂げた!


 80年ど頭に発表された3rdアルバム『タイニイ・バブルス』は、オリコンカウント後、ロック・バンドが史上初めて1位となった作品で、しかも2週連続1位に輝いた。デビュー3年目のサザンはいったんお茶の間から遠ざかることと引き換えに、オリジナル・アルバムで念願の首位に輝き・ライブの動員力をますます高めたのだ。


 なお、これ以降の、46年間の活動期間中にサザンの出した<アルバム>は全て1位──KUWATA BAND ならびに桑田佳祐名義でも(企画ベスト盤 『フロム イエスタデイ』と、ソロ3rdアルバム『ROCK AND ROLL HERO』の2位を除いて)1位──となる。


 "FIVE ROCK SHOW"の活動推進を基礎として発表した、この『タイニイ・バブルス』というアルバムは、諸説入り乱れている。

 デビューから3枚サイクルのラストで、次の4枚目のアルバムが初の本格的なトータル・アルバムという見方もある。
 また、オリジナル・ジャケットが猫の顔のアップであることから、タイトルのタイニイは英語圏ではネコの愛称でタマを意味する表現である、との見方もある。

 どれも一面は正しいが私の見解はまったく異なる。


 すなわち、『タイニイ・バブルス』こそ、サザンがプロとして初めて発表した本格的なトータル・アルバムで、まさに〈いぶし銀の傑作〉である。

 実は作詞・作曲を手がけた桑田佳祐は、サザンとして初めてサウンド・メロディー・ハーモニーを重視するアルバムを完成させた。
 それは桑田佳祐にとってこのアルバムこそ、名曲『可愛いダンサー(Tiny Dancer)』を作ったエルトン・ジョンに迫ろうと試みた、珠玉のシンガー・ソング・ライティング・アルバムなのだからである。

 バンド・サウンド、楽曲構成、ヴォーカル(歌うことそのもの)にこだわり、サザンオールスターズ独自のスタイルを確立させた作品としての、画期的な意義をもつ。

 まさに、初期サザン、ここに極まれり!


 だからこそ、サザン第一期の完成を告げ知らせた『タイニイ・バブルス』なくして、第2期への過渡期をぶっちぎる4thアルバム『ステレオ太陽族』の完成はなしえなかったと思うのだ。



 ちなみに、アルバム1曲目のメドレーのつなぎに、バブルス(泡)の効果音を用いているように、やはりこのアルバム・タイトル『タイニイ・バブルス』は、直接にはタイニィ・ダンサーのように語感が良く韻をふんでいること、さらには〈三拍子そろった音楽をめざす〉という彼らサザンの意志がこめられているのだろう。さらに80年代は「バブル経済」の時代と称されたように、先見の明があったと言うべきだろう。

 2025年桑田佳祐は16thアルバム『THANK YOU SO MUCH』に収録した「夢の宇宙旅行」について、ザ・ビートルズ解散後の僕の心の空洞を埋めてくれたのはグラム・ロックやパワー・ポップだったのでありマーク・ボランやデヴィッド・ボウイそしてエルトン・ジョンが心の支えとなった、と明言した。計(はか)らずも、『タイニイ・バブルス』がエルトン・ジョンの三拍子揃った作品を目指したものであることを裏づけるかたちとなった。





 A面M1(以下①と表記) 『ふたりだけのパーティー~Tiny Bubbles(type-A)』はまずバリバリのギターソロから始まる。前作以上に、分厚いダイナミックなオープニングだ。それと圧倒的なサビのキャッチーさ。アイダホ・ポテト(ナビスコのチップスター)のCMソングとしてオンエアされた。




 ②の『タバコ・ロードにセクシーばあちゃん』ではいぶし銀のようなブルース・ロック&ディスコ・ビートを展開する。サウンド、リズム、メロディ、おまけに演奏・歌唱と、今でも色あせない傑作だ。





 さらに③『Hey! Ryudo!(ヘイ! リュード!)』はダウン・タウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童にひっかけている。ビートルズ時代にポールがショーンに向けて作った『ヘイ・ジュード』のように語りかける形式のリズム&ブギ・ウギ。ジョン・レノンがアルバム『ヌートピア宣言』(今日レコード会社が『マインド・ゲームス』にタイトル変更)に収録した

『Aisumasen(あいすません)』

をもじって「あいすみません」と歌詞に組みこんでいる(オノ・ヨーコ経由で日本文化の礼に影響を受けて作ったラヴソング)。

 桑田佳祐は自分たちと似通った境遇をこえてきた先輩・宇崎竜童に心から共鳴していたのだろう。最初はつれなかったリュードー先輩も徐々にサザンを可愛がった。曲の内容は当時、バンド名を改名した宇崎にエールを贈る、クワタお馴染みの照れ隠しなラヴソングとなっている。サウンドはニューオーリンズのディキシー・ランド・ジャズ+リズム&ブギだ。








▲山口百恵引退発表後にリリースされた『謝肉祭』に続く30th シングル。
作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童 編曲:萩田光雄
レッド・ツェッペリンの『ロックン・ロール(Rock and Roll)』をモチーフに制作された。
 ちなみにウィドウとは、未亡人?!



④『私はピアノ』はボサノバ風味を生かしたピアノソロ・バラッドで、60年代日本ポップスがまぶされた名曲である。この時、サザンオールスターズは時代にさきがけて、いち早くバンドの紅一点・原由子リードヴォーカルの楽曲をアルバムに収録した。しかも、サザン屈指の名曲として完成したこの曲の、間奏での桑田と原の都々逸(どどいつ)的かけあいは秀逸だ。

 さらに、サビの


あなたがいなければ1から10までひとり

繰り返すはただLONELY PLAY 

LONELY PLAY…



で、ピアノソロと女性の自慰行為を匂わせるダブル・ミーニングの歌詞はリリシズムにあふれ素晴らしい。最良の歌謡曲すら滲ませる手腕は見事! ピアノ・マンであるラリー・カールトンにビリー・ジョエルも歌詞に登場する。このトーチソングを切なくも、しかし溢れ来る感情を抑制ぎみに歌う彼女、原由子の歌声は全くいやらしさなく、色っぽくも、とてつもなくせつない。これぞ珠玉のポップス!



 これ以降、サザンのオリジナル・アルバムには原由子リードヴォーカル曲が必ず1曲収録されるのが恒例となる。


 さらに、初めてリード・ヴォーカルをとり、自信をつけた彼女〈原坊〉は、翌年から定期的にソロシングルとソロアルバムを発表し、ついには今なお前人未踏の、バンドのただ1メンバーでありながらソロコンサートを開催し、紅白歌合戦単独出演を果たす(その年、サザンは年越ライブ開催のため、紅白出演はしていない!)。

 2013年に出版された原由子の著書『あじわい夕日新聞~夢をアリガトウ~』でも、改めて語っているように、高校の頃はコンプレックスの固まりで落ち込んでばかりいた彼女は大学での出会いをきっかけに大きく人生が変わった、と言う。それまでコーラスやソロパートを担当してきた彼女は、桑田から提起されて初めてリード・ボーカルを取った『私はピアノ』で、上手に歌えず涙ぐんだそうだ。


「でも、あの曲があったお陰で『自分の声ってこんな感じなんだ』とか『こうやって歌えばいいんだ』ということも徐々に分かってきました。今聴くと、あの頃ならではの必死感が出ていて、それがかえって良い味になっているのかもしれません。」(同上87頁)


「~何故音楽にはそんな力があるのか、今でもよく分からないし、一生分からないかもしれないけれど、その謎をこれからも追求していきたいですし、よりよい音楽を求めて、音楽の神様に感謝しながら、生きていきたいと思います。」(同上10頁)

 この著書を読んでいると、原由子のひたむきな音楽愛が伝わってくる。




⑤『涙のアベニュー』で余韻がでる。前述した傑作、原由子の地元でもあるYOKOHAMA(ヨコハマ)ご当地ソング。






B面の1曲目⑥『TO YOU』はメロディアスなポップだがロック・テイストが光る。



⑦の『恋するマンスリー・デイ』をはさんで、



⑧はドラマー松田弘がリード・ボーカルをとる『松田の子守唄』。ヒロシの歌の説得力は素晴らしい。「♪思い出すのはあの人だけ」-その後、「卒業式」で歌う学校もあった。




⑨『C調言葉に御用心』で一気にアルバムは熱をおびる。山下達郎も絶賛する初期の最高傑作の一つだ。

 冒頭、桑田の雄叫びと共に雷鳴が轟く、続くバンドのドゥ・ワップ風コーラスのイントロ……


いつもいつもあんたに迷惑かける
俺がばかです
波に消えた人の名を呼ぶなんて


今宵二人で翔んだつもりで
抱いて震えるだけじゃ
分かりあうはずもなく別れてく


たまにゃ Makin' love
そうでなきゃ Hand job
夢で I'm so sad
ぐっと狂おしく All night




 さらにラストの歌詞が素晴らしい。



砂の浜辺でなにする訳じゃ ないの 
恋などするもどかしや

乱れそうな胸を大事に
風に任せているだけ



 ミーナの『砂に消えた涙』にオマージュを捧げるこの曲のメロディラインは、美しくも切なく、それでいて熱く、実に素晴らしい。ロックバンド・サザンオールスターズ初期の最高傑作で間違いない。
 茅ヶ崎ライブ2023のオープニングが記憶に新しい。








⑩の『Tiny Bubbles(type-B)』をはさみ、




⑪の『働けロック・バンド(Workin' for T.V.)』は、まさにエルトン・ジョンの『フレンズ』と『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』の世界だ。

 《グッバイ》がエルトンの芸能界への哀しみと訣別を歌ったように、このバラッドでサザンは、マスメディアづけの世界から訣別し、オリジナル・アルバムを生命線とする、骨太なロック・バンドとして飛躍する決意をこめた。


「哀しい時こそ歌うんだ!」(桑田)──

ザ・ビートルズが『ア・ハード・デイズ・ナイト』を発表し、
そして、ボブ・ディランがロック転向時に、保守的なフォークファンから石を投げられ、涙ながらに『イッツ・オール・オーヴァー・ナウ・ベイビー・ブルー』を歌ったように、

吉田拓郎が「商業主義だ」と敵視され罵倒されながらも真の音楽スタイルを貫き通したように、

さらに、
「桜エビ~ず」(から改名し現在は「ukka(うっか)」)がそれまで見向きもされなかった聴衆をわずか一瞬のステージで完膚なきまでに魅了する感動的な〈ドラマティック・ポップス〉と呼ぶべき基本路線を確立し・一挙に音楽的評価を一変させたように、

また同時に、おそらくこのukkaの本格ポップス路線に影響され結成されたであろう、
COVID-19下の2020年に北海道で始動した「タイトル未定」がアイドルのセオリーを打ち破る本格ポップスの名盤『青春群像』を発表し一石を投じたように、

そしてついには、
九州を拠点とする「ばってん少女隊」が解散の危機を根底から突破すべく自主レーベルを設立し3rdアルバム『ふぁん』を発表し・続けて半年後に6人新体制で<和製(HAKATA) Lady Soul>ととらえ返し得る基本路線を確立したことにふまえ・2022年発表4thアルバム『九祭(CUE-SAI)』が絶賛され楽曲大賞を総なめにし・新たな潮流として爆発的に台頭してきたように、さらにまた2025年度より7人新体制で全国区のグループとして再起を賭け・捲土重来を期すように、

──当時の桑田はエルトンの《グッバイ》に明日を託したのだ。初期の傑作だ!




今なら話しても良かろ 言葉で云えず涙だけの
誰にわかると云うの Tremble in pain
心残りもないよ


忘れるわけもなくT.V.Show
その気もないのに笑う事ばかりじゃ
愛されるならいいね Babe Blue
楽しからずや Program


※※
Workin'for T.V.
(そりゃしんどいもんでんねん)

胸につかえたままで 眠るだけの
Hard Day's Night だから

Darlin' can't you see me?
(こりゃどうもしゃあないねん)

悲しくなるどころじゃないよ
※※



別れる時だってあるだろ
きっとあのころの思い出互いに抱きしめ
俺のことならいいの Smile away
泣かないつもりでいてよ


俺のことならいいの Smile away
泣かないつもりでいてよ


※※
Workin'for T.V.
(そりゃしんどいもんでんねん)

胸につかえたままで 眠るだけの
Hard Day's Night だから

Darlin' can't you see me?
(こりゃどうもしゃあないねん)

悲しくなるどころじゃないよ
※※

※※
Workin'for T.V.
(そりゃしんどいもんでんねん)

胸につかえたままで 眠るだけの
Hard Day's Night だから……
※※




















.

初日推定売上枚数:95,304枚
7曲入りなのでアルバムランキング





 


 



▲A面
世間の評価を完璧に塗り替えた3rdシングル
▼B面

 「数え立てればきりがないが、私たちは要するにどこを向いても厚い壁にかこまれており、この壁をぶち破らなくては、すべての人間らしい投企は不可能なのだ。政治もそうなら職業の選択もまたそうであり、学問もそうなら結婚もまたそうである。この人間の自己疎外が極端化した現代にあっては、※※どのような分野においてでも革命的であること以外には、断じて真実はあり得ない。」
※※以下は全文傍点。
 (1955年31歳で執筆、1956年に最初の刊行。竹内芳郎著『サルトル哲学序説』筑摩書房 筑摩厳書193版 335頁 絶版
『竹内芳郎著作集【第1巻】』閏月社 255頁 2021年9月1日 初版第1刷発行

▲2024Remaster アルバムver.







▲感動的(ドラマティック)だった2018年、デビュー40周年記念日当時の『いとしのエリー』






サザンオールスターズ 2nd album 

   TEN
『10ナンバーズ・からっと』
(1979.4.5)


最高2位
年間3位(43.4万枚)



A面

M1.お願いD.J.

M2.奥歯を食いしばれ

M3.ラチエン通りのシスター

M4.思い過ごしも恋のうち

M5.アブダ・カ・ダブラ(TYPE 1)



B面

M6.アブダ・カ・ダブラ(TYPE 2)

M7.気分しだいで責めないで

M8.Let It Boogie

M9.ブルースへようこそ

M10.いとしのエリー





 デビューシングル『勝手にシンドバッド』は発売から3ヶ月を経た1978年10月8日付のオリコンシングルチャートで週間3位、「ザ・ベストテン」最高4位を獲得、実に年間44.0万枚を売り上げる大ヒットとなった。



(『勝手にシンドバッド』はサザンデビュー25周年の2003年6月25日付デイリーチャートで首位、週間でも首位を記録。

 発売から四半世紀を経てシングル1位を獲得するという不滅の記録を樹ち立てた

 累積売上は80.0万枚にまで及んでいる)

 




 それから1ヶ月、二匹目のどじょうをねらって(レコード会社はビクターだが、初期のサザンの楽曲の版権はバーニングが所有)11月25日に急遽リリースされた2枚目のシングルが、エイトビートのラテンロックナンバー『気分しだいで責めないで』であった。


 週間最高10位、ベストテンでは7位を記録した。



 『8時だよ全員集合』を始めバラエティー番組からのオファーがひっきりなし。ドリフのいかりや長介に桑田佳祐がコメディアンとしてスカウトされ、丁重に断るという事態にまで発展した。当時はバラエティーでも楽曲披露していたが、すでにメンバーは満身創痍。レコードが出せられれば大学時代の記念になりミュージシャン扱いされると淡い願望を抱いていたデビュー前とのギャップに大いに苦しんだ。スタジオで楽曲披露中、桑田が「ノイローゼ、ノイローゼ」と自らを指差し自虐的に絶叫するとお茶の間は大いにわき、女性週刊誌はさっそく針小棒大に書き立てた。こうしたコミックバンドあつかいに嫌気がさしたメンバーは理想と現実の余りのギャップに辟易。売れれば売れるほどメンバーの間に徐々に亀裂が入ったのもまた、事実であった。




 こうしてスターダムにのしあがるとともにマスメディア出演の疲弊が深まる中、『サザンオールスターズデビューコンサート胸さわぎ』が始まった。

 12月10日の「九段会館」から翌年1月20日の「大阪ホール」まで、全9公演1万8千人を動員。全16曲を披露した。




 そして、明くる1979年──3月25日、サザンは3枚目のシングル『いとしのエリー』をリリースする。

(レコードB面は『アブダ・カ・ダブラ(TYPE 3)』)



 ついにサザンに対する世間の評価が一変する事態となった。

 初披露の際、言わばコミックバンドのエネルギッシュな三部作を期待したオーディエンスは水を打ったように静まり返った。
 しかし、桑田の「エーリーー!」の絶叫の後に曲が終わると、万雷の拍手。
 たちまち楽曲の良さが浸透すると、徐々にチャートに火がつく。
 ついに、オリコン週間最高2位、ベストテン7週連続1位、オリコン年間ランキング11位(69・3万枚)、ザ・ベストテン年間2位を獲得。

 デビュー2年目のジンクスをやすやすと撃ち破り、年末の紅白歌合戦「初出場」を決めたのである。



 諸説を除外して核心を挙げよう。

 芸能活動に疲弊したメンバーはサザンから心が離れかけたが、音楽が最後の寄りどころだった。桑田佳祐は原由子に電話口でこんな新曲が出来たと弾き語ったという。桑田からの原坊への「ごめんねソング」と言われるこの曲が『いとしのエリー』だった。
(タイトルの由来に関してだけは、桑田の実姉、岩本えり子女史。)

 あらためて今、なぜあの時、『いとしのエリー』が書けたんですか?と聞かれたら、桑田佳祐はこう答えるに違いない。<あの時はきっといろいろな意味で悲しかったんでしょうね><哀しみの衝動が僕にとっての音楽><ここでサザンを終わらせたくなかったから>、と。


 『宿なし』の世良正則&ツイストとも比較されていたサザン(実は世良はサザンのセンスには一目置いていた)が<俺たちはロック・バンドなんだ>というプライドを賭けた入魂の一作である。今でもマリーナ・ショウだなんだとパクリ疑惑が一部評論屋からたれ流され・やっかみが絶えないこの曲は、(どだいクワタにパクリということ自体が「Jポップ」の<後進性>が分かっていない無知と無恥の証左!)、桑田佳祐が青春のすべてを刻み込んだ作品なのである。
 これが桑田のロッカ・バラッドだ!



泣かした事もある 冷たくしてもなお
よりそう気持ちがあればいいのさ
俺にしてみりゃ これで最後のlady
エリー my love so sweet


二人がもしもさめて 目を見りゃつれなくて
人に言えず思い出だけがつのれば
言葉につまるようじゃ恋は終わりね
エリー my love so sweet


※※
笑ってもっとbaby むじゃきにon my mind
映ってもっとbaby すてきにin your sight

誘い涙の日が落ちる
エリー my love so sweet
エリー my love so sweet
※※



あなたがもしもどこかの遠くへ行きうせても
今までしてくれたことを忘れずにいたいよ
もどかしさもあなたにゃ程よくいいね
エリー my love so sweet


※※
笑ってもっとbaby むじゃきにon my mind
映ってもっとbaby すてきにin your sight

みぞれまじりの心なら
エリー my love so sweet
エリー my love so sweet
※※


※※
笑ってもっとbaby むじゃきにon my mind
映ってもっとbaby すてきにin your sight

泣かせ文句のその後じゃ
エリー my love so sweet yeah
エリー my love so sweet


エリー my love ……
エリー 


Oh baby woo oh ……
※※




 誘い涙の日が落ちる

 みぞれまじりの心なら

 泣かせ文句のその後じゃ

このサビの3連打のフレーズ以上に素晴らしい歌詞を私は聞いたことがない。万人受けするポップミュージック(作品)として昇華する、比類なき才能(ヒットメイカー)。

 ──こんな自作の曲を電話口で弾き語られたら、そりゃ惚れるわ!、としか言いようのない渾身のマスターピースだ。
 この曲について桑田は後に語っている。一番と2番の歌詞を入れ替えれば良かった、と。たしかに歌詞の流れ(ストーリー性)としてはその方が座りが良いに違いない。
 だが、原盤のこれもまた永遠のヒット曲のセオリーなのだ。ヒット曲のセオリーとはこれすなわち、楽曲が老若男女(大衆)の心を鷲掴みにし、いつまでも記憶に残るかどうかなのだから。
 こうして、世間の予想を裏切る『いとしのエリー』の大ヒットは、サザンオールスターズの評価を一変することになった。この畢生のバラードは日本全国至るところで流された。


 さらに、この『いとしのエリー』発売に先がけて2ndツアー

『春50番コンサート』

を敢行。


 文字通り3月20日の「平塚市民会館」から6月6日の「中野サンプラザ」まで、北は北海道・南は沖縄まで、平均1週間にたった1度の休みだけで、50ヵ所全50公演、12万5千人を動員したのである(全15曲)。


 しかも、3ヶ月のスパンを置き、9月22日の「埼玉会館」から12月12日の「後楽園球場サーカステント」まで、北は札幌~南は福岡に至る全42公演10万5千人を動員した3rdツアー

『Further on up the Road』

を実現した(17曲以上。ツアータイトルはエリック・クラプトンの十八番の曲名につき、カバー披露)。

▲原曲はボビー・“ブルー”・ブランド1957年のヒット曲。



 実に、1979年(当時、青山学院大学略して青学在籍者が多かった)サザンオールスターズは、全国47都道府県98公演、公称24万人を動員したのである(公演会場は同じ県でもほぼ重なっていない)。

 ぐちゃぐちゃになりながらも、地道なライブツアーが、サザンオールスターズの人気の裾野を全国に拡大する結果となり、2年目での紅白歌合戦出演にも結実した。



 こうした2nd全国ツアーの最中、『いとしのエリー』発売から11日後の4月5日にリリースされたのが、サザンオールスターズ2ndアルバム『10(TEN)ナンバーズ・からっと』だった。





 一言でこのアルバムは、飛躍への過渡期のアルバムである。
 夜半を使って短期間で仕上げたこのアルバムには、プレスに間に合わず歌詞が記号で埋めつくされて解読不能な曲が3曲収録されている(実は当時の放送コードにひっかかる下ネタだからだ)。

 しかし、この3曲を含みこのアルバムの核心は、たとえ今日、桑田佳祐が軽んじていようとも、桑田ブルースとサザンバラッドの宝庫である。
 私はディキシーランド&ブルース・アルバムと理解している。





①『お願いD.J.』


 この曲調と歌い方を以前、私は大好きだった。ジョージ・ルーカス監督作品『アメリカン・グラフィティ』でも有名なウルフマン・ジャックや、コービー(小林克也)に敬意を表した作品で、その後5thアルバムのど頭『DJ・コービーの伝説』でゴリゴリのロック・ビートへと昇華する。

 桑田佳祐にとって、いかにジューク・ボックスとラジオ、そしてTV番組『シャボン玉ホリデー』が音楽的バックボーンを支えたかが垣間見える秀作。
 サザンのオリジナル・アルバム1曲目は、つねに血湧き肉踊りワクワクさせてくれる。






②『奥歯を食いしばれ』


 個人的には初期の作品の中では五指に入るくらい好きな曲だ。
 歌詞カードが記号で埋めつくされた楽曲で、桑田ブルース・ロックの初期代表作である。失恋したら酒とクラプトン-原坊のピアノソロは天才的にブルージーだ。
 たとえ古今東西のブルースをオマージュしていたのだとしても、紛れもなく桑田佳祐オリジナルのBLUES ROCKへと昇華している。
 それはこの曲で、本来二の線でデビューしたかったサザンが、この時期、世間の「期待」を裏切ってでもデビュー以来のコミックバンド的扱いに<落とし前>をつけたかったからなのだろう。
 “俺たちはロック・バンドなんだ”──そう、この曲には桑田佳祐とサザンオールスターズのBLUESの魂が貫徹された傑作なのだ。











▲追悼 日暮泰文氏

▲追悼 小出斉氏






③『ラチエン通りのシスター』


 エボシ岩が正面に見える茅ヶ崎市の市道で、元々は桑田が中学生の頃の同級生を歌った。マイナー調のロッカバラードだが、この曲の奥底に流れているトーンは、ゴスペルである。

 のちに茅ヶ崎市はこの市道を正式に「ラチエン通り」と命名した。2013茅ヶ崎公演での桑田の魂の歌唱は記憶に新しい。当日、「シスター」ご本人も聴かれていたらしい。『朝日新聞』日曜版の別刷りでこの曲とインタビューが掲載されていた事は記憶に新しい。








④『思い過ごしも恋のうち』


 7月25日発売サザンの4枚目のシングル。3rdシングルとするかどうか最後まで紛糾したが、最後は桑田が決断した。オリコン最高7位、ベストテン4位となった。

 のちの『私はピアノ』のように明治の恋物語さながらに男女の駆け引きにかかわる都々逸(どどいつ)が展開されるのは、桑田一流の照れ隠しの美でもあり非凡。



男は立てよ 行けよ女の元へ
背中がうずく時がかんじんなのね


いやだ いやだ だめよ だめ そげなこと
はずかしげなく
どいつも こいつも 話の中身が
どうなれ こうなれ 気持ちも知らずに


思い過ごしも恋それでもいい
今のうち
思いこんだら もう
夢見るようで いたいから



 このフレーズの速射砲のような桑田のボーカルは圧巻である。いい加減な事を言う周囲への苛立ちと共に当時のマスコミへの憤りが混じっているのかも知れない。「たかが歌詞じゃねぇかこんなもん」では汲みつくせない、照らいながら男女の妙を切り取る技術は桑田佳祐の右に出る者はいない。

 個人的には、『女神達への情歌(報道されないY型(ケイ)の彼方へ)』『Melody(メロディ)』『夜風のオン・ザ・ビーチ』『C調言葉に御用心』『女のカッパ』『ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)』『EMANON』『HAIR』『慕情』『愛の言霊(ことだま)~Spiritual Message~』『マンピーのG★SPOT』『SAUDADE~真冬の蜃気楼~』『SEA SIDE WOMAN BLUES』『(The Return of)01 MESSENGER~電子狂の詩(うた)~(Album Version)』『HOTEL PACIFIC』『青春番外地』『道』『奥歯を食いしばれ』などと並んで、サザン全曲中、10指に入る傑作だと考える。

 絶妙なイントロ、うねるヒロシのドラムと毛ガニのパーカッションとの見事なコンビネーション。ムクのベースのグルーヴと(元メンバー)タカシのギターリフ(現在は盟友マコッちゃん)。原坊による男顔負けのブルージィな鍵盤さばきとソロパート。これに桑田のど迫力の巻き舌ヴォーカルが有無を言わさぬ、鉄壁のサザンサウンドを巻き起こす。

 シンドバッド⇒気分しだいに続く三部作の常套を否定し、渾身のバラード・エリーで勝負したサザンだったが、結局三作目にリリースしようとしたこの曲(ラテンロック)を四枚目のシングルとして切った桑田のバランス感覚が冴える。
 いや、何よりもこの曲のオリジナルを聴くと、デビューから格段に洗練されたサザングルーヴが味わえる。

 逆説的に、サザンオールスターズらしい凄みを感じる曲だ。イントロからしてキュンキュンする。

 これがROCK BANDだ!







 A面ラストの⑤『アブダ・カ・ダブラ(TYPE 1)』とB面1曲目の⑥『アブダ・カ・ダブラ(TYPE 2)』は、3rdシングルB面の『アブダ・カ・ダブラ(TYPE 3)』とは別ものである。
 初のディキシー・ランド・ジャズ・テイストのナンバーだ。

▲⑤『アブダ・カ・ダブラ(TYPE 1)』
▼⑥『アブダ・カ・ダブラ(TYPE 2)』

▼3rdシングル B面収録

アブダ・カ・ダブラ(TYPE 3)








⑦『気分しだいで責めないで』


 シングルver.とアルバムver.はまるで別物。私はアルバムver.が大好きだ。
 すでに紹介したラテン・テイストの8ビート・ロックナンバーだ。桑田佳祐の速射砲のようなダミ声ヴォーカルとサビの巻き舌は抜群にセクシーだ。

▼「はじめに」の稿で紹介したシングルver.









⑧『Let It Boogie』


 ポール・マッカートニー風ブギ・ウギ。ジルバ。けっこう人気が高い曲。







⑨『ブルースへようこそ』


 このブログのタイトルにした(当初はクロード・ルルーシュ監督作品『愛と哀しみのボレロ』をタイトルにしていた。2013年、絶版だったDVDが「紀伊國屋書店」からブルーレイ化された。)

 「ムクちゃん」こと関口和之のあだ名が歌詞に出てくるが、本人とは無関係で、「ミソがつく」などゲイを示唆するような歌詞だったり、ソーローやEDまで飛び出す。(だがこの歌詞とこのブログには全く相関関係はない。そう言えば2016年の桑田佳祐名義のソロシングル『ヨシ子さん』の歌詞には、「EDM」に引っかけたジョークが久々に登場した。このブログのタイトルの由縁はただひとつ、最良のすべての音楽・文学の根底には、必ずBLUESが貫かれているから)。


 曲調も、どブルースという訳でもない。どちらかと言えば、『461オーシャン・ブールヴァード』から『スローハンド』『バックレス』の頃のレイド・バックしたエリック・クラプトンのブルーズに近く、『メインライン・フロリダ』と『ミーン・オールド・フリスコ』を合わせたようなブルース。

 そして冒頭ではいきなりチャイナ音階が飛び出したあと、「朝早よからbaby」などと、ブルースの定番「Woke up this morning」にひっかけたフレーズから始まる。コード進行と楽曲展開は抜群。








⑩『いとしのエリー』



 ラストを飾るこの曲はマリーナ・ショウなど別の曲に似ていると言われるが、実は以って非なるもの。

 核心は桑田佳祐にとっての『いとしのレイラ』であり、『青い影』である。
 当時の桑田が青春のすべてを賭けた静かなる咆哮に他ならない。






 けれども、この『いとしのエリー』の予想をこえる大ヒットは、サザンのメジャー・ロックバンドとしての自信と達成感につながったことは確かであるが、かえって身の丈にそぐわない居心地の悪さをもたらしてしまったことも否めない。
 プロである限り、ただただ好きな音楽をコピーしたり・身内の反響がいいわずかなオリジナル曲を思い切りギグして楽しむことを生業(なりわい)とする訳にもいかない。
 大学音研サークルの原点から脱皮し羽化して、人気にみあった実力をわがものとする以外、プロのバンドであり続ける道は残されていなかった。

 サザンは前作で世間から形作られた<シンドバッドのサザン>そして<エリーのサザン>という形容詞(イメージ)を敢然と拒否し、不断に新作で勝負する茨の道を選んだ! 
 サザンの流儀<否定の否定>──卑俗に言えば、否定的なものを根底から(ラディカルに)含みかつ否定し、新たな次元に高める(止揚する)こと──<歴史創造の立場>


 こうして、サザンオールスターズは1980年初頭よりスタジオ・レコーディング活動の長い潜伏期に入る。

 48周年の今日からとらえ返せば、大衆的な規模と形態で革新的なロックアルバムをリリースし、不断にメジャー・シーンの第一線でたたかい続ける〈否定のサザン〉──すなわち、《歴史創造のサザン》の決定的な区切りを成したのである。














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https://x.com/i/status/2069391779569586517

 

バンド演奏シーン
山内薫(Ba.)
TIGER(Cho.)
クラッシャー木村(Vn.)
スペシャルゲスト:
緑黄色社会の 小林壱誓(Gt.)
ゲスの極み乙女の ほないこか(Dr.)

謎の女性役:
俳優・モデルの 佐藤菫(SUMIRE。CHARAと浅野忠信との間に生まれた長女)




 



▲『悲しみはブギの彼方に』
  1st album『熱い胸さわぎ』未収録
16th album『THANK YOU SO MUCH』収録




サザンオールスターズ 1st album 
『熱い胸さわぎ』
(1978.8.25)

年間--
最高-16位



A面
M1.勝手にシンドバッド
M2.別れ話は最後に

M3.当って砕けろ

M4.恋はお熱く
M5.茅ヶ崎に背を向けて

B面
M6.瞳の中にレインボウ
M7.女呼んでブギ
M8.レゲエに首ったけ
M9.いとしのフィート
M10.今宵あなたに




 デビューから2ヶ月を経た1978年8月25日──

『勝手にシンドバッド』が爆発的にヒットしつつあった矢先、絶妙なタイミングでリリースされたデビュー・アルバムが『熱い胸さわぎ』だ。



 このアルバムには、サザンオールスターズの全てがこめられていると共に、『別れ話は最後に』『茅ヶ崎に背を向けて』『女呼んでブギ』など、当時のレパートリーを出し尽くす形で、誕生した。


 【デビュー当時のサザンは演奏はやや危うかったが、音楽サークルの横のつながりを生かし・サクラを配置したライブパフォーマンスに、当時のレパートリーのすごみも手伝って、異様な迫力とエネルギッシュさで、他の追随を寄せつけなかった。プロの登竜門のアマチュア・バンド・コンテストで入賞さらにVo.の桑田佳祐がベストボーカル賞を受賞したことにも示されている。】


 ほとんどの曲調がブギにもかかわらず、桑田が当時愛したブルース・ロックも、ラテン・ロックも、ボサノ・ヴァもあり、レゲエもあり、と……音楽ジャンルの壁を感じさせない、“ごった煮”的味わいが満載のファースト・アルバムだ。
 しかも、デビュー当時の桑田佳祐のダミ声巻き舌ヴォーカルは、実にブルージィではないか。

 だが、このデビュー・アルバムの素晴らしさは本質的に、当時の大学音研サークルのノリや趣味趣向が満開であるのみならず、メンバーが音楽することを心から楽しみ、ギグできた作品であったことだ。演奏はそこそこかも知れないが、これほど荒削りな迫力、音楽愛と、魅力に富んだデビュー・アルバムには未だにお目にかかれたことがない。

 まさに、ジャパニーズ・ロックバンドとして文句のつけようのない抜群なデビュー・アルバムのタイトル──『熱い胸さわぎ』なのだ。



 そもそも、サザンオールスターズというバンド名自体が、アマチュア時代桑田の親友・宮治淳一によって、当時来日が話題となっていたファニア・オールスターズと、ニール・ヤングの『サザン・マン』にひっかけて、ひらめき的に命名された。
 このことからも明らかなように、ことの始めからサザンは、70年代当時洋楽マニアの注目を集めていた、アメリカ南部を中心としたサザン・ロックやブルース・ロックさらにサザン・ソウルを志向する泥臭いバンドとして醸成してきた。そこに桑田好みのメランコリックな歌謡曲やラテン・ミュージック、さらにブギのノリを含みかつ止揚し・発酵してきた。したがって、ついに日本ロック史上初の、サザン・ロックを基調としつつ、荒削りでジャンルごえの<ごった煮的デビューアルバム>が、ここに産声を上げたのだ。

 今日、ロックという記号にこだわる場合、得てして典型的なそれに過ぎず、そのほとんどがロックンロールか、音圧が高めか、ただ叫ぶだけか、激しいプレイ・スタイルを指すばかりで、実は中身がスカスカな訳だが、このアルバムこそ泥臭い南部ロックの魂が刻みつけられている。したがって、日本のポップミュージック(大衆音楽)一大転回の号砲としての画期的な意義をもつ。

 それではアルバムに収録された曲を順番にみてゆこう。


M1.『勝手にシンドバッド』(以下①と表記)


 時代的背景やサウンドの特徴は前回述べた通り。その上で、この曲について、もうひとつ掘り下げてみよう。

 実はこの曲はサマー・リゾート・ポップスではない。
 桑田の本意からしても、「茅ヶ崎」「湘南」「江ノ島」というワードが、これほど誤解を招いた曲もないのではないか。




砂まじりの茅ヶ崎 人も波も消えて

夏の日の思い出は ちょいと瞳の中に消えたほどに


それにしても涙が 止まらないどうしよう

うぶな女みたいに ちょっと今夜は熱く胸焦がす




 当時の桑田の原風景は1960年代に高級リゾート地だったのが1970年代には廃れてしまったセピア色の湘南のイメージだったのであり、どこか儚く切ない。「胸騒ぎ」に駆られるほど「お熱い」けれども、あの夏のみじめな恋が脳裏をよぎり「涙」がこぼれ「吐息」=溜め息がもれる、場所なのだ。
 この切なさや思いを遂げられない距離感が叙情を醸し出しているのであり、ラテン歌謡として見事に成立している。そう、ザ・ピーナッツ『恋のバカンス』へのオマージュが込められているのだ。そして、このアルバムを通じて、「茅ヶ崎」や「湘南」は、青春期の夏の終わりの心象風景として描かれている。
 そして桑田は<夏の終わり……>にこだわってきた作家なのだ。




今 何時? そうね だいたいね

今 何時? ちょっと 待ってて

今 何時? まだ早い

不思議なものね あんたを見れば

胸騒ぎの腰つき・・・



 携帯電話(スマホ)もない時代、女は男を焦(じ)らすように伺い、男は女の気を引き留めようと躍起になる。女の肢体に「胸騒ぎ」し、焦燥感を持て甘す男。ピンク・レディーの『渚のシンドバッド』のようにカラッとしていないし、沢田研二の『勝手にしやがれ』のようにニヒルにもなりきれない。その意味で、この曲『勝手にシンドバッド』は、『恋のバカンス』に憧憬した桑田佳祐による返歌なのである。

 次の曲『別れ話は最後に』とどちらをデビュー曲にするか紛糾したとか、「胸さわぎの腰つき……」という歌詞を変更するよう迫られたと言われるのが定説だが、けれども、バンドのグルーヴ感覚豊かにアップテンポにアレンジし直されたこの曲は、巻き舌で速射砲のようなダミ声のブルースロックヴォーカルとも相まって、日本歌謡曲史にその名を刻み込んだ。

 余談だが、ポップス史上、画期的なイントロとして、ボブ・ディラン『ライク・ア・ローリング・ストーン』『やせっぽちのバラッド』、レイ・チャールズ『ホワッド・アイ・セイ』、クリーム『ホワイト・ルーム』、ローリング・ストーンズ『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』、ロバート・ジョンソン『クロスロード』と並んでこの曲『勝手にシンドバッド』と『ヨシ子さん』のイントロを挙げたい。






伝道師たちが不吉な運命を伝道し
教師たちは知識は後回しにされていると教え
100ドルの皿にありつくことができ
美徳は門の陰に隠れている
でもたとえアメリカ合衆国の大統領でさえ
時には裸で立ち尽くさなければならない
(中川五郎対訳)
⇒(このライブでは)2コーラス目終盤の「大統領でさえ裸で立たなくてはならない」という歌詞が、(のちに米大統領(ニクソン)が初めて任期中に解任された)時のウォーターゲート事件を思わせたのか、この部分で聴衆の歓声が湧き起こるのが聞こえる。


 この①のファンキーな狂気乱舞に続いては、



②『別れ話は最後に』のリリシズムあふれるボサノバが流れる。デビュー曲は『勝手にシンドバッド』の選択で間違いないものの、この曲も味わい深く本当に良い曲だ。

 セルジオ・メンデス&ブラジル’66の風情の曲だが、サビの

雨の Sunshine Road

は、やはり全盛期スティーヴィー・ワンダーの名盤『トーキング・ブック』 (Talking Book)からシングルカットされた代表曲「サンシャイン(You Are the Sunshine of My Life)」をも想起させる。





一転、③『当って砕けろ』のファンクなブギから




④『恋はお熱く』では夜風に寄せては返す波の音で始まるムーディーな歌謡ロックに、




さらに⑤の『茅ヶ崎に背を向けて』では、エリック・クラプトンばりのギターソロが印象的なブルース、ロッカ・バラードで終わる。このA面の原由子のピアノソロやヴォーカルは実にブルージィで素晴らしい。実はこのアルバムは良質なラブソング・アルバム、トーチソング(失恋歌)・アルバムでもあるのだ。

 当時の桑田佳祐のポップミュージックへのアプローチは、まさに『Love Letters in the Sand(砂に書いたラブレター)』(パット・ブーン)のイメージだったのだろう。桑田佳祐のアナーキックな側面に対極する甘くメランコリックな側面はデビュー時からすでに完成されていた。
 だからこそ、このサザン1stアルバム『熱い胸さわぎ』はまさに<良質なLove songとTorch songのAlbum>なのだ。



 アルバム「B面」はどれもひとくせもふたくせもあるラブソングが連なってゆく。ザ・ビートルズと共にリトル・フィートをイメージした6人編成のサザンのルーツの一つでもある⑨『いとしのフィート』。さらに、⑥『瞳の中にレインボウ』、⑩『今宵あなたに』はその吠えるヴォーカルと言い、紛れもなくクワタ・ブルーズの原点であり宝庫である。




中でも⑥の『瞳の中にレインボウ』では、ザ・ビーチ・ボーイズの『ドゥ・ユー・ワナ・ダンス』のフレーズを駆使しつつ、実はビリー・ジョエルの『踊りたい』をモチーフとしたニューヨーク的リリシズムをアメリカ南部ロック風に表現したりしている。この時期、桑田佳祐にとって、ビートルズになれなかった世代の共振として、ビリーの傑作アルバム『ニューヨーク物語(Turnstiles)』への共感が色濃く滲んでいる。
 同時に、ディープ・パープルに在籍していたリッチー・ブラックモアが結成したレインボーの1stアルバム『銀嶺の覇者(Ritchie Blackmore's Rainbow)』から『虹をつかもう(Catch The Rainbow)』や、エリック・クラプトンのライブアルバム『レインボー・コンサート』から刺激を受けたブルース・ロック的アプローチがサウンド全体にタメをつくってさえいる。
 おまけにこの曲『瞳の中にレインボウ』は、ジャズとサザンソウル的味わいが絶妙な隠し味ともなっていることを聴き逃すことなかれ。










⑦『女呼んでブギ』は当時のライブに絶対欠かせない必殺レパートリー。こんな歌が出来たと桑田が紹介した瞬間に当時のメンバーが大爆笑したとか。その後、この曲はアマチュア・バンド・コンテストで桑田のヴォーカルと共に大絶賛される。
 桑田が呪文のように唱える(歌詞カードにも表記されていない)サビの、でたらめスキャットがとてつもなく斬新。
 2025年アルバム『THANK YOU SO MUCH』のプロモーションの一環として「林修の初耳学」に出演した時のインタビューで桑田曰く、ここ未だに歌詞が決まってないの(笑)。
 こんな“はちゃめちゃマジメ”なバンド、今は絶滅危惧種だな、とつくづく思う。

 そして、当時22歳?!ダミ声時代の若き桑田佳祐の、ヴォーカリストとしての煌めく才能はこの頃から個性的にして天才的だった。一言で桑田は<歌に魂を注ぎ込み、楽曲そのもの>を輝かせるヴォーカリストなのだ。
 良い音楽・良い歌手は本質的にはカラオケルームやパソコンでは生まれない。ヴォーカリストを目指す者はぜひ一度はこの曲『女呼んでブギ』のオリジナルを聴くべきだ。
 サザンオールスターズ「茅ヶ崎ライブ2023」ではオープニングの『C調言葉に御用心』に続いて、この曲『女呼んでブギ』が熱狂的に演奏されたのは記憶に新しい。さらに翌年、「サザン最後の夏フェス出演」と銘打ったROCK IN JAPAN FESTIVAL IN HITACHINAKAでも披露! 




⑧の『レゲエに首ったけ』は、ボブ・マーリーに共鳴した『461オーシャン・ブールヴァード』のエリック・クラプトンのスタイルだ。






一見、陽気で、その実、不器用な,ワルに成り切れない不埒(ふらち)な男子学生の、酒と女と音楽と……




特にラストの⑩『今宵あなたに』で、桑田佳祐が青春の咆哮ででもあるかのように無我夢中でシャウトする幕切れは、何にもまして比類なきロックでありブルーズなのだ。

 トータル・アルバムは一つの交響曲であり、サブスク配信時代のシングルの聴き方のように「どの曲が好きか?」あまり関心がないのだが、このアルバムは特に、グッと来る曲が、その時々で変わってきた。

 けれども、原坊の実家の横浜関内駅前の「天ぷら屋」(『天吉』)が出てくる⑩の『今宵あなたに』だけは一貫して飽きたことがない。これぞデビュー初期サザン最高傑作!



寄る年波に恥じらいさえも忘れそうなほど

凍てついた夜に間違いさえも起こしそうな恋


寄せて返す波のように

枯葉みたいな声が

耳についてて離れはしないわ


思い出はなにもかもあなただけ







という歌詞だったか。デビュー当時の桑田佳祐21歳〜22歳が紡いだ擬似私小説風《歌詩》とでも呼ぶべきクワタワールドに魅せられる。クワタ音楽メタ言語が構築するサザンの世界観は、すでにデビュー当時から発酵しているのである。




 そして、ついにこの肌触り、この匂いのまま昇華させたプロのアルバム『MUSICMAN』を桑田佳祐はソロ名義で2011年に完成させたのである。さらに、2015年、「大衆音楽の粋」を極める15thアルバム『葡萄』をサザンオールスターズとして発表した。

 2015年の発売から二ヶ月余り、“今、歌いたい歌”だけを集めその比類なき完成度の高さのみで、50万枚を突破したサザン37年目の音楽的境地『葡萄』は、まさに「サザンオールスターズから日本音楽界に対する回答だ」。


2015年は、新旧ベテラン二大ロック・バンドが手がけたオリジナル・アルバム、

サザンオールスターズ『葡萄』
Mr.Children『REFLECTION』{Naked}
 の年となった。


 37年後の最新作が21世紀日本の<大衆音楽>を代表するとは、実に驚くべきことである。最新作がつねに最高傑作であり、時代的制約性を受けつつも時代をこえる普遍性をもつ、これこそ稀代の大衆音楽家・桑田佳祐の不断の営易と比類なき才能なのである。







 この只中で宇多田ヒカルは翌年

2016年に 6th album『Fantôme』(ファントーム)を
2018年に 7th album『初恋』

(さらに、2022年キャリア最高傑作 8th album『BADモード』も)

リリースし、母なるミュージシャンとして見事カムバックを果たした。


2018年6月27日付け拙稿-
【宇多田ヒカル7th Album『初恋』★前作をこえる名盤、〈ウタダ・ブルー〉への螺旋的回帰!】


 前作6th album『Fantôme』(ファントーム)も復帰作にして素晴らしい傑作だった。だが、何故だろう。何か引っ掛かるものがあった、何か借り物のような。だが、デビューアルバムのタイトルを彷彿とさせる今回のニューアルバム『初恋』は桁違いの傑作だ。宇多田ヒカルにしかなしえない音楽(ミュージック)、全編に溢れる〈ウタダ・ブルー〉、この哀しみ・切なさ・憂い・勇気・希望・喜び、これに優しさとあたたかみが加わったトーンこそが宇多田ヒカルの真骨頂なのだ。これしかない!
 アルバムは「パクチーの唄」を起点として転回し感動的なフィナーレを迎える。
 まさに〈ウタダ・ブルー〉への螺旋的回帰! 

 要するに、宇多田ヒカルは〈ウタダ・ブルー〉とでも呼ぶべき、その時々の感情のうつろいを、愛と哀しみを、決め細やかにほろ苦い 「flavor」 で料理するのだ。

 だからこそ、宇多田ヒカルのキャリアの画期的意義は、ただに日本型R&Bの先駆者たる訳では全くない。中島みゆきが桑田が椎名林檎がそうであるように、良い歌にジャンルなどないのである。このことに気付いたヒッキーが歌うことの原点に回帰し、更なる地平を切り拓かんとする武器。
 この独自性が〈ウタダ・ブルー〉なのだ。

 すなわち、自由への意志にかられる身を悶えるようなどうしようもない   “せつなさ” に、“愛と哀しみ”と、かててくわえて “優しさ” と"あたたかみ"がそなわったこと

 このトーンこそが、歌謡曲からも遠く離れ外観のみR&Bだが実はただの電子音の集合体にすぎない、日本大衆音楽シーンに燦然と輝く宇多田ヒカルの独自性をなす。

 歌謡曲に足場を置きつつもあらゆるジャンルの楽曲に共通する魂の叫びが宇多田ヒカルの音楽には脈打っている。

 ヒッキーが独自性ウタダ・ブルーを武器に全キャリアを通し、苦闘しつつ切り拓いてきた画期的地平。それは<音楽的感動>である。


「ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。その感情はあまりにも自分のことにかまけ、利己主義な感情であり、私はそれをほとんど恥じている。ところが、悲しみはいつも高尚なもののように思われていたのだから。私はこれまで悲しみというものを知らなかった。けれども、ものうさ、悔恨、そして稀には良心の呵責も知っていた。今は、絹のようにいらだたしく、やわらかい何かが私に蔽いかぶさって、私をほかの人たちから離れさせる。」
フランソワーズ・サガン (朝吹登水子訳)
『Bonjour Tristesse』(悲しみよ こんにちは)


もう一度言おう。
Bonjour Tristesse-お帰りなさい。

▼2022年2月23日にはCOVID-19下で制作してきたニュー・アルバム『BADモード』を発表。この上なく美しく深遠な傑作だ。


▼そして、2024年4月10日に、キャリア初となるオールタイム・ベストアルバム

『SCIENCE FICTION』(サイエンス フィクション)を
エピックレコードジャパンよりフィジカル、ユニバーサルミュージックより配信としてそれぞれ発表。






 それから2年後の、2017年、ソロ名義での活動開始から30周年を迎えた桑田佳祐は、ありとあらゆるジャンルの楽曲が何の力みなく併存する、稀代の大衆音楽絵巻にして今昔・夢の音楽おもちゃ箱『がらくた』を発表した。この『がらくた』をひっさげた「桑田佳祐」ソロ名義での史上初の5大ドーム&アリーナツアーは、音楽の楽しさに満ち溢れた〈クワタワールド〉全開の記念碑的ライブとなった。

 かててくわえて、2020年1月24日、「COVID-19」が世界的に猛威をふるおうとしていたこの只中で、桑田佳祐は『SMILE~晴れ渡る空のように~』を発表した。チャイナ音階が隠し味となったアジアン・ポップスのこのミドルテンポのナンバーは、今を生きるすべての人びとへの、桑田佳祐のささやかなシンパシーが率直に伝わってくる。これすなわち、ポップミュージックの粋ではないか。


▲2021年9月15日、「桑田佳祐」名義での4年ぶりの新作『ごはん味噌汁海苔お漬物卵焼き feat. 梅干し』=通称“ごはんEP”をリリース。有観客での全国ツアー

『桑田佳祐LIVE TOUR 2021「BIG MOUTH, NO GUTS!!」』を開催した。


▼──世界中のどこかで今日も悲しみの声がする2022年──いきなり発表し、並みいるロックファンを瞠目させた
桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎の名義による
『時代遅れのRock'n'Roll Band』


 かくして、サザンオールスターズは時代に負けなかった。まさに<無敵のサザン>としての矜持を示したのだ。

▲2025年発表 『THANK YOU SO MUCH』収録『ミツコとカンジ』














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