「奥泉光『虚史のリズム』、1091ページもあるうえに税込5280円というたいへんな書物ですが、めっちゃ読みやすくて超面白いので、夏休みをつぶして読む価値は保証します。『グランド・ミステリー』『神器』両方の続編というか戦後編だけどいきなりこっちから読んでもOK。」
(大森望さん(@nzm)が6:41 午後 on 水, 8月 14, 2024にポストしました)

 

 


 

 



 

https://www.bungei.shueisha.co.jp/interview/dadada/

▲▼『集英社文芸ステーション』より



『虚史のリズム』刊行記念対談 奥泉 光×川名 潤「長年の思いが叶った、アートな奇書!」


『虚史のリズム』(集英社)
著者:奥泉 光

定価:5,280円(10%税込)


 奥泉光さんの新刊『虚史のリズム』は、太平洋戦争敗戦後の占領期日本を舞台に、ミステリー、SFなどの要素もふんだんに取り込まれた、奥泉ワールドが全面展開された超巨編です。
 本の仕立ても、A‌5判(本文、天地二一〇ミリ×左右一四八ミリ)、一一〇四ページ、背幅五〇ミリと、重厚感たっぷり。まずカバーのdadadaという文字が目に入ってきますが、本を開くとdadada……という文字がうねるようにのたうちまわっています。このユニークな文字設計を手がけたのは装丁家の川名潤さん。
 内容的にも物量的にも規格外の本書について、誕生の背景をお二人に語っていただきました。


構成/増子信一 撮影/山口真由子




奥泉さんの熱あるプレゼンから始まった


──後半、dadada……という文字群が奔ほん流りゅうのように出てきてページを覆っていますが、これほどのスケールにしようというのは、執筆中から奥泉さんの構想にはあったのですか。


奥泉 最初にこの文字が出てくるのは、全体の三分の一を過ぎたあたりで主人公の一人である神島という元陸軍少尉が下宿の襖絵を見ているシーンです。絵の中に口を大きく開けている人物が描かれていて、その人物はあたかも母音の「a」を発話しているように見えた。でもよく見ると、それは「あ」や「ああ」ではなく、ドイツ語の「daダー――そこ」なんだと気づく。で、神島は「そこ」ってどこなんだという疑問をもつ。
 最初はそれだけのはずだったのですが、dadadadadadadadadadaという音が、いわば死者の放つ声として小説の中で独り歩きしていき、どんどんどんどんそのイメージが強くなっていったんです。
 雑誌掲載のときは単純にdadadaのフレーズを挿入するだけだったのが、川名さんと打ち合わせをしたとき、単行本ではdadada……が大蛇のようにうねったら面白いねって、ぼくがいったんですよね。



川名 作家の方が装丁の打ち合わせにいらっしゃることはたまにあるのですが、大体は編集者の隣でニコニコ頷いているという感じです。ところが奥泉さんは、dadada……についてまくし立てるようにプレゼンをされた。



奥泉 ぼくは装丁については基本的に口を出しません。こういう装丁ならいいな、というイメージはありますが、口でいってもなかなか伝わらずに、結局中途半端になってしまう。ですから、装丁は装丁家に全部任せることにしています。
 しかしdadadaについては装丁ではなく、本文に関することなのでつい熱く語ってしまった(笑)。



川名 奥泉さんからこういうことがやりたいというプレゼンを受けたのですが、あの打ち合わせのときには本文を最後まで読み終えていなくて、本が放つ空気みたいなものがまだ見えていなかったんです。それでも奥泉さんの熱量だけは伝わってきました。
 dadadaといえば「ダダイズム」がすぐ思い浮かびますが、その打ち合わせの中でもダダイズムの話も出てきました。実際ダダイズムのアーティストたちは、タイポグラフィーで詩をつくるというコンクリート・ポエトリー(具体詩)という視覚的な詩の試みをやっていますから、多分dadadaという文字を使ってそういうことをやるんだろうなという感じで話を聞いていました。



奥泉 ただダダイズムの時代と違って、今はタイポグラフィーでの遊びをやろうと思えばいくらでもできますよね。たとえば、円城塔さんの『文字渦』なども文字の角度をいろいろ変えてみたり、スティーヴ・エリクソンの『エクスタシーの湖』も斬新な本文レイアウトが試みられている。



川名 現在の組版技術なら、本当にやろうと思えばいくらでもやれますからね。



奥泉 でも、なんでもかんでも自由というのはかえって不自由だから、川名さんが御自分である条件を設定して、その制約の中でやったと伺いました。



川名 ええ。この小説の舞台である戦後すぐの時期の活版印刷の組版技術でもできる範囲内でやろうと思いました。きちんとした升目に沿ってテキストが流れていて、そのページの中でテキストが配置される場所が決まっている。そういうルールの中で絵を描いていく感じですね。いってみればアスキーアート(文字や記号を用いて描く絵)なのですが、アスキーアートをしながらdadadaをどこにどう入れていくかは、ある程度任せていただきました。



奥泉 最初にここには是非入れてほしいとメモを渡しましたけどね。



川名 dadadaメモですね。



奥泉 ぶっちゃけていうと、テキストとしての強度がいまひとつ足らない、かといって手直しは難しい箇所があって、よし、ここはdadadaで補強してもらおうというところもありました(笑)。


かわな・じゅん●装丁家。1976年生まれ。プリグラフィックスを経て、2017年に川名潤装丁事務所を設立。多数の書籍装丁、雑誌のエディトリアル・デザインを手がける。




ルビで遊びつつ、版面の外にもつながっていくdadada




川名 最初はBGMをつけるような感じで始めたんです。だから、奥泉さんのテキストが譜面としてあるのであれば、こっちはその譜面に合わせて楽器で音をつけていくみたいな感じかなと思ってやりました。特に後半は何回もゲラを読みながら、ここはなんとなく蛇の気配がするから入れてみようとか。



奥泉 そうそう、そうでしたね。



川名 現代音楽で、音符や五線譜ではなくて図形やテキストで楽譜を表す図形譜ってあるじゃないですか。蛇のようにうねっているdadadaを見ると、ジョン・ケージやヤニス・クセナキスなどの図形楽譜のように思えてくる。そう考えると、音をつけるのではなくて、楽譜づくりに参加していたのかもしれませんね。



奥泉 小説っていうのは、楽譜に近いものであるわけですね。楽譜を見ながら演奏するのは読者で、読者が活字を追っていくことによって世界を構築していく。図形譜というのはだからいい得て妙ですね。小説は、頭から読んでいって最後まで行くという、基本的には直線的な流れになっている。その直線的な流れをdadadaというノイズが入ってくることで阻害し、歪めていく。そういう意味では、小説が絵画的な方向に寄っていくんだと思います。
 この絵画的という感覚は漱石にもあって、特に初期の、新聞小説作家になる前の漱石はすごく絵画を意識している。『草枕』の中に主人公の絵描きが女性にどうやって小説を読んだらいいかを教えるシーンがあります。彼は、頭から順に最後まで読む必要はない、適当に開いたところを適当に読むのがいいんだという。確かに、我々が絵を見るとき、端から順に見ていくのではなく、全体を大摑みに見たり、さまざまな細部を見たりと、視線を動かしている。今回はそういう絵画的な方向に寄っている小説でもあるかなと思います。



川名 打ち合わせで奥泉さんと話しているうちに、dadadaの入れ方として、版はん面づらの外、文章の外からちょっと水をかけるみたいなものでは足らないだろうなと思ったので、本文の内側にまで大胆に嵌かん入にゅうさせて、さらにルビで芸をしてみようと思いつきました。ルビで芸をするというのは、さっきの円城さんの本とか、それとはちょっと違いますが、柳瀬尚紀さんが訳されたジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』もルビが非常に効果的に使われている。
 そこで、ルビで遊びつつ、なおかつ版面の外へもつながっていくような、今までとは全然違うものにしようと思ったんです。



奥泉 dadadaのルビが組み込まれたゲラが送られてきたときは、びっくりしました。なるほどルビで絵柄を描くことができるのかと。非常に新鮮に思ったし、またその入れ方もすばらしくて、それはセンスとしかいいようがないですね。
 特に最後の方で大蛇が登場するシーンでは、登場人物たちがディスカッションする会話部分にdadadaのルビが入り込んでいるのが非常に効果的でした(次頁)。



川名 あそこが一番のクライマックスだと思ったんです。ただ、そのクライマックスのところを読みづらくしてしまったかな、と少し気にはなったのですけど。



奥泉 確かに普通に読むには読みにくくはなっているけれど、もうあそこまで来れば話の流れは充分に頭に入っているから気にならず、むしろあのうねるような文字群から物語全体がある種の混沌の中にのみ込まれていこうとしている気配が強烈に伝わってきました。



川名 よかったです。いざ入れ始めると、途中で入っていないところが静かすぎる感じがして、ここは鳴ってる、、、、はずだよなと、じわじわ増えていく。だから、増やしすぎたと我に返る前にデータを送ってしまおうと。もし多すぎれば奥泉さんが何かいうだろうなと思って(笑)。



奥泉 さっきいわれたように、なぜぼくがdadadaについてあれほど熱く語ったかというと、連載でも書き下ろしでも、長いものを書いて本にする段階で、装丁ではなくて、本文に色気を出したいという気持ちが強くあるからなんです。本というのは、手に取ってパラパラめくったときに、これは面白そうだなと気配が感じられるものですから。
 今回でいえば、連載の段階では章立てはなかったんです。で、単行本にするときに改めて章に分けて、さらに章題をつけようと。たとえば大江健三郎さんは章題のつけ方がすごくうまくて、魅力があるんですよね。



川名 面白い章題がついていると、別の期待値が働いたりしますね。



奥泉 一読者として、魅惑的な章題がついている本に出合うと大変にときめく。あるいは冒頭にエピグラフを置くとか、そういう一種の色気をこの本にも施そうと思っていたんです。だけど、川名さんのdadadaを見たら、もう章題は要らないなと思いました。これで章題を入れると、むしろうるさいという気がしたんです。



川名 dadadaを入れ込むに当たって、やはり普通の四六判ではなくA 5判という大きなキャンバスを使えたのは助かりました。



奥泉 なおかつ分厚い。ぼくは厚い本が好きなので、嬉しいですね。
 もう一つの色気として、挿絵が入る本をつくりたいという気持ちも以前からあった。たとえば、昔読んだスターンの『トリストラム・シャンディ』にも挿絵や手描きのあらすじの概念図などが入っていますが、そういう遊びも小説がもっている一つの魅力だと思っています。書き手は基本的にテキストだけをつくっているのだけれど、本になる段階では何か遊びがある本、アートとしての本ができたら面白いんじゃないかと。そうした昔からの思いを、今回こういう形で実現できたことが非常に嬉しかったですね。



川名 この本の話をいただく少し前に、大田ステファニー歓人さんの『みどりいせき』の装丁を手がけていたんですけど、ゲラを見たら、LSDのシーンのところですごく面白い文字組みがされている。あのときは装丁のみでレイアウトには関わっていなかったのですが、あれを見て、悔しい、自分でやってみたかったと思いました。その悔しさが、今回の本に全部反映されています(笑)。



奥泉 川名さんにはいろいろやっていただいたわけですが、やはり小説全体のボリュームがあるから可能だったのだと思います。短い作品でやっちゃうと邪魔な感じになる可能性が高かったと思うし、さきほどもいったように、dadadaが出てくるのは後半ですから、物語の骨格がすでに出来上がっているので、持ちこたえることができる。



川名 あのヘンテコなdadadaには、そこまでの長い前振りが必要なんですね。



奥泉 最初からいきなり出てくると、ただ読みづらいだけになるかもしれないけれど、ずうっと読んできて、ついに登場、というのが効果を上げていると思います。




本文にのたうつdadadaの文字
小説は“言葉のアート”



奥泉 自分でいうのもなんですが、あの強烈なdadadaが入り込んでいくには、テキストが相当強力じゃないといけないんですね。極端なことをいえば、どこを読んでも面白くなければ駄目なんです。果たしてそうなっているかどうか不安ではありますが、それが理想なんです。



川名 でも、「何だこれは?」と興味を惹かれるまでがすごく早いですよね。読み始めて割とすぐに、なんだか様子がおかしいのが分かってくる。それはやはりテキストの力だと思います。



奥泉 きっと、視点が入れ替わっていることがそういう感じをもたせるのでしょうね。デビューした頃はもっぱら単視点で書いていたのですが、今度の小説は、最初は一人称で、途中から三人称になり、さらにまた一人称に戻ったりしている。あえて三人称と一人称の境目をなくしているんです。



川名 マジック的にすり替わっている。



奥泉 前に書いた『雪の階きざはし』という長編では、“三人称多元”の手法を用いていて、ワンセンテンスの中で視点が入れ替わる技法を使いました。結構細かくやっているのだけれど、それを読者には気がつかせないようにするのが肝心です。そうした手つきが目に付くと興醒めですから、分からないように視点を変えていく。一定の達成があったと自分では思っていたんですが、今回はそれとは違う形で、さらに自由にやっています。



川名 そうやって細かく計算、計画されているので、奇書ではあるけれど、とても綿密に計画された奇書なので、本音をいえば、装丁という仕事ではなくて、初めて読む読者として新鮮な目でこの本に出合いたかったという気持ちもあります。



奥泉 さっきもいいましたが、チャンスがあればこういう本をつくりたかった。むしろ、さまざまに遊びがあるのが小説だぐらいの気持ちですね。
 伝統的な文芸の流れでいうと、ぼくはリアリズムの作家ではなく、一応、モダニズムの作家だと思っています。モダニズムの作家というのは、訳の分からないことやりたいんですね、本当は。
 小説とは散文による言葉のアートである、というふうに捉えることができる。さきほどの『草枕』のような小説はアートとしての小説を強く意識した作品で、その流れはヨーロッパでも日本でもずうっとある。ぼくはどちらかというとその流れの作家だと自分を位置づけています。
 そういう意味でいうと、小説にいろいろな遊びがあること自体何の違和感もないし、むしろそういうことをやりたかったんですけど、なかなかやる機会がなかった。



川名 それをやる必要がある作品でないとできないですよね。
 今度の作品は、奥泉さんのこれまでの作品の人物がスターシステム的に登場してきて、「あっ、これ、あの人だったのか」みたいな感じで面白がれるし、読んでいて「奥泉祭り」を楽しんだという感じですね。



奥泉 そういっていただけるとありがたいです。





──最後にカバーについて、お話しいただけますか。



川名 カバーは最後までなかなか決まらなかったんですね。本屋さんでこの重い本を手に取って、パラパラッて開いたら、dadadaという文字が並んでいるわけじゃないですか。だったら外側でも遠慮することはない、外側からずっとdadadaっていってるほうがいいかなと思ったんですね。
 だから、カバーには本文と同じ書体でdadadaを前面に出したのですが、帯のコピーが送られてきたのを見ると、「響き続けてきた」のところに傍点がついている。そのとき、なんとなくまだdadadaが足りない気がしていたので、ここにdadadaを入れられると思って、傍点の代わりにdadadadadadadaを入れました。
 何日かかけて装丁を考えていたんですけど、バイオリズムがあって、今日はすごく入れたいと思う日と、ちょっとびびっているみたいな日があったりした。で、最終的には整合性を取ろうとして、あまり入れすぎずに隙間を増やしていくという感じになっていたんです。きっとそのことがどこかで頭に引っかかっていて、足りないというのがあったんでしょうね。



奥泉 帯のdadadaのルビもとても効いているし、分厚い背にはタイトルが大きく置いてあって、重量感がとてもいい感じで出ています。



川名 本屋さんの棚に差してあっても充分に存在感が出る厚さなので、タイトルが大きく入る形にしました。



奥泉 長年の思いが叶った、とてもいい本ができて、大変嬉しいです。


奥泉 光 著
『虚史のリズム』
発売中・単行本
定価5,280円(税込)
「青春と読書」2024年9月号転載



奥泉 光 (おくいずみ・ひかる)

1956年山形県生まれ。86年「地の鳥 天の魚群」でデビュー。93年『ノヴァーリスの引用』で野間文芸新人賞、瞠目反文学賞、94年『石の来歴』で芥川賞、2009年『神器―軍艦「橿原」殺人事件』で野間文芸賞、14年『東京自叙伝』で谷崎潤一郎賞、18年『雪の階』で柴田錬三郎賞、毎日出版文化賞を受賞。『バナールな現象』『「吾輩は猫である」殺人事件』『グランド・ミステリー』『シューマンの指』『死神の棋譜』など著書多数。




















①ROCK IN JAPAN FESTIVAL 蘇我とひたちなか合わせて十日間のヘッドライナーを務めるステージについて 


  『ただ、去年の「茅ヶ崎ライブ」もそうだったけど、自分達が演奏して自然に乗っていきやすいものというか、そういった曲が中心のセットリストにはなるかもしれないね。だから、最後にヅラを被るとか、サンバ・ダンサーが出てくるとか、もうああいうことは “絶対にやらないよ!” と(笑) 』



 ②16枚目のニューアルバムについて 


 「実は、リズムトラックはすべて録り終えているんです。あとは大量の歌詞ですね。ちょうど最近、また新たな曲の作業に移って、やっと詞が入ったところではありますけど。」


  『中身について今の時点で言えるのは、バリエーションがそれなりに多いということですかね。あとはサザンの “温故知新” というのも、次のアルバムには曲として含まれているかもしれないですね(笑)。「これまで46年分のサザンオールスターズが在りつつも、今のサザンがバランスよく同居するもの」になったらいいなと思い、作っているところです。』 


  「そして今は、アルバムを作る時間を与えられていますし、新しい曲を作り届けるということが自分達の励みになっているし、皆さんがまだ聴いたことのないものへと向かって行っていることが、存在証明になっている部分もあります。ここを頑張ることで、サザンオールスターズとして次のステップへと繋がっていくでしょうし、アルバムの完成まで、もう少しお待ちいただけたらと思っています。」 


  以上、桑田佳祐。サザンオールスターズ応援団『代官山通信167号』13頁より抜粋。











 こうして、サザンが血肉化してきた音楽史は(2005年発表14枚目のオリジナル・アルバム)『キラーストリート』に刻み込まれ、5大ドームツアーとその映像作品発表によって完結した。



 したがって、2008年にサザンオールスターズが「無期限活動休止」を発表するのは至極当然の成り行きであった。



 しかし、2010年のAKB48の本格的なブレイクと共に音楽の位置づけは、一挙に変貌を遂げた。王道のポップソング、それと表裏一体のものとしての(販売形態における)音楽のアクセサリー化、そしてAKB48の凋落と共に、良くも悪くもミュージシャンもアイドルもソロ歌手も横一線で群雄割拠する時代が到来し、無機質な音質での配信(サブスクリプション)が主流となった。すなわち、リスナーの音楽試聴選択が無限の可能性を拡げた反面、音楽パッケージの多様化ならびにその消費形態の空洞化に拍車がかかったのだった。(その反面、CDの再評価とアナログ盤レコードの音質が再評価されてもきたのが2020年代現在。)

 さらに、ついにはメディア自身が細分化し視聴形態の選別が一般化されるようになった2020年、AIDS以来、およそ数年から10年タームと推測されるCOVID-19が全世界を席巻し、国家独占資本主義はLIVE配信に延命の活路(みち)を見出そうとしている。音楽パッケージの形態も、CD・配信・MV・ライブ配信と多極化され、ライブ会場とライブ配信の同時視聴型が主流となった。これからの「アーティスト」は音源配信とLIVE配信の両方を制するかどうかにかかっている。

 さらに、本格的にライブ規制が解除された2023年以降、ライブと配信の多極化と重層化・立体化がポップ・ミュージックの柱となりつつある。



 右のような音楽配信時代への移行期に真っ向から挑んだ桑田佳祐は、術後復帰を成し遂げた2010年、ついにトータルでもランダムでも完成されたソロ名義での最高傑作『MUSICMAN』を発表した。



 その直後、2011年<3・11>東日本大震災および福島第一原発炉心熔融事故が発生する。



 苦悩の末に音楽家として完全復帰をめざす自分と被災人民の苦闘とが合一化した。それゆえに桑田佳祐は、<3・11>以後の音楽はいかにあるべきかと自問自答しつつ、ツアーに命を刻み込んだ。



 こうして、サザンオールスターズは時代的要請に応え2013年に<復活>を遂げた。そして2014年に快進撃を宣言した直後、2015年に、前作『キラーストリート』以来10年ぶり、15枚目のアルバム『葡萄』を完成させた。さらに、2017年8月23日、桑田佳祐はソロ名義で古今東西のミュージックをクロスオーバーさせた無国籍かつ多国籍なアルバム『がらくた』を発表したのだ。
 さらに、COVID-19下で、いの一番に無観客配信ライブを領導してきたサザンオールスターズならびに桑田佳祐は、2024年の今、新たな音楽的冒険を開始した。風前の灯となりつつある音楽ジャンル、オリジナル・アルバムを真っ向から突きつけ、音楽産業全般を焚きつけようではないか!、と。


 以上のことから14thアルバム『キラーストリート』はサザンの<終わりの始まり>をもたらしたばかりではない。

 今日からとらえ返すならば、時代が待望した<灼熱のサザン復活★2013>に次ぐ<進撃のサザン!2014>の序章(プロローグ)、

 そして核心的には

 2024年冬(年末年始)の完成を目指して、9年ぶりに16枚目のオリジナル・アルバムを発表しようとしている彼らサザンオールスターズにとって、


 クロスオーバー全盛の音楽配信時代への新たなる挑戦、すなわち、

<大衆的ロックバンド・サザンオールスターズ、攻めの原点回帰2024-2025>

(=46周年テーゼ)


《序曲》たる、画期的意義をもつのだ。


























▲初日251,596枚








『いわゆる「サザン」について』
小貫信昭

水鈴社(文藝春秋とも提携)

電子書籍版もあり
定価: 本体1,900円+税
発売日: 2024年8月21日

ページ数: 256ページ | 判型: 四六判 上製 カバー装
ISBN 978-4-16-401008-2 | Cコード 0095

 【桑田佳祐さんコメント】

昔々、"軽薄なノリ"が名誉であり、ヤンチャなものに対して
やや寛容な時代があった。
ついつい、調子に乗ってそれをやめそびれた我々は、
未だに「まともな音楽人」として衆人に認知されていない。

サザンオールスターズ・桑田佳祐




 

サザンオールスターズ「茅ヶ崎ライブ2023」
powered by UNIQLO
特別協力:茅ヶ崎FM(開局記念)

会場
茅ヶ崎公園野球場(神奈川県茅ヶ崎市)

日程
9月27日(水) 17:00開演
9月28日(木) 17:00開演
9月30日(土) 17:00開演 
10月1日(日) 17:00開演 
※ライブビューイングは9月30日と10月1日に実施。全国47都道府県の映画館273箇所。



 【サザンが本気(soulコブラツイスト)で聴衆を圧倒してきた!】


 「茅ヶ崎ライブ2023」にサザンオールスターズは全てを詰め込んだ。

 サザンのライブとしては短めの2時間半に、ここ茅ヶ崎から音楽を始めた桑田佳祐の45年間の歩みがファンに支えられた道のりだったこと、このことをありったけの愛とロマンと感謝を込めて、日本全国の聴衆と共に分かち合ったのだった。なんとロマンチックなライブだったろう!
 けれども、我らサザンオールスターズは決してノスタルジックなライブにはしなかった。往年の名曲から熟成された新曲まで、10月1日に一周忌を迎えられたアントニオ猪木ばりに、センチメンタルを吹っ飛ばし、あたかもコブラツイスト・卍固め・延髄斬りを連発するかのようにサザンの底力を徹底的に魅せつけ圧倒してきた。
 特筆すべきは、あの曲がないこの曲がないではなく、45周年イヤー開幕第一弾(茅ヶ崎ライブ予行演習)として8月1日に収録され8月17日と9月28日に放送されたNHK MUSIC SPECIAL「シン・日本の夏ライブ SP!!」が、曲目は緩急抜群だったが<こくみんてきろっくバンド<優等生サザン>を演じ・ややスタティックなライブだったことに対して、茅ヶ崎ライブ本番のサザンはまるで別人のように、ケタ違いの凄みを魅せつけてきたことだ。きっとここ一番で外すサザンではないと思ってはいたものの(実際そのことを明確に指摘もしたが)、想定の遥かナナメ上をこえサザンでなければ出来ない躍動感に溢れていた。あらゆる音楽ジャンルの価値境界線をブチ壊す、多彩でカラフルな究極のポップスの無限ループ的釣瓶打ち。これだけ音楽的到達点をみせつけながらも、「オレたち何一つ変わってないだろ!」と言わんばかりのやりたい放題ぶり。ついにみずからの持ち味に迷いなく立ち返ったサザン、若い世代と対等に渡り歩こうとする不埒(ふらち)な下心丸出しの<無敵のサザン>への原点回帰。そこには<昔のサザンは良かった>などという寝とぼけたセンチメンタリズムの入り込む余地はなく、26曲すべてを<現在進行形の極上で珠玉のポップス>として提示してきたのだった。「シン・日本の夏ライブ SP!!」の形式は残しながらも、その内実を全く別人のライブとして見事なまでに換骨奪胎してしまった。このことに私は心底驚いた。
 ムクちゃん、ヒロシ、毛ガニ、原坊、そしてマコっちゃんの演奏は日を追うごとにスリリングとなっていった。いつも以上にスライド・ギターソロも連発したクワタは、熱く歌う時も、静かに歌う時も、30万人の心の奥底にズドンと響く「魂の歌」で応えた。まさに楽曲を輝かせる唯一無二のクワタ節は老若男女を酔い痴れ・痺れさせた。一億人の首根っこをつかんででも音楽で楽しませ感動させる『MUSICMAN』としての業(ごう)。過剰にファンサービスする『ロックの子』=<キング>の性(さが)。茅ヶ崎の潮風にさらされたステージで、最もコンディションが悪かったであろうはずのファイナル公演に至っては、むしろ「ようこそここへクッククック」(『私の青い鳥』=聴衆)とばかりに、かすれ声などもろともせず空前絶後の<クワタ節>全開だった。
 誤解を恐れず言えば、サザンオールスターズにはヒット曲もレア曲もない、どこをどう切り取ってもすべてが<極上で珠玉のポップミュージック>なのだ。
 今回のライブがほとんどの新旧ファンを唸らせ感動を呼んだのは、聖地茅ヶ崎から全国津々浦47都道府県273館の劇場とおまけに音漏れギャラリーを含めれば全国30万人の聴衆へ向け、前人未到のキャリアを積んできた彼らが時代をこえて変わらぬ魅力、否、2023年の今だからこそひときわ輝く極上の魅力に溢れていたからだ。



【「C調言葉に御用心」「女呼んでブギ」それもフルバージョンから始めた事、これがすべてだった──サザンオールスターズ渾身の原点回帰!──他の追随を許さぬ、一曲として似た曲のない不滅の楽曲(ナンバー)の釣瓶打ち(オンパレード)!】

 ライブの一曲目は『茅ヶ崎に背を向けて』でも『チャコの海岸物語』でもなかった。直前のラジオでVICTORの小野朗が言った「サザンビーチ」、桑田佳祐が言った「昔は海水浴場って言ったんだよ」のサザンビーチのモニュメントの「C」、桑田佳祐と宮治淳一当時の「茅ヶ崎一中の野球部の帽子」の「C」、ちなみに最初のコードも「C」、ここ数年、何度か端折って選曲されてきた「C調言葉に御用心」を、それもフルバージョンで披露したたみかけてきた。

 ロマンティックで情感たっぷりのずば抜けたメロディライン・驚くほど緻密な楽曲構成・哀愁溢れるポップでありながらブルージィなロックテイストのこの曲で、「いとしのエリー」に続いてサザンオールスターズの音楽的評価が固まった記念碑的作品。
 茅ヶ崎公園野球場にこだましたうっとりするようなバンドのドゥ・ワップ風コーラスのイントロ…桑田佳祐23歳?!の歌詞の歌い出し「いつもいつもあんたに迷惑かける 俺が馬鹿です」、ロッカバラード・テイストのミディアムナンバー。「勝手にシンドバッド」「気分しだいで責めないで」「いとしのエリー」「思い過ごしも恋のうち」と来て、1979年!10月25日にリリースした(曲に思えますか?!)「C調言葉に御用心」。ミーナ「砂に消えた涙」やザ・ピーナッツやザ・カスケーズ「悲しき雨音」にオマージュを捧げるこの曲のメロディラインは、美しくも切なく、それでいて熱く、実に素晴らしい。やがてまた同時に、ザ・ビートルズやザ・ビーチ・ボーイズを経由しデレク・アンド・ザ・ドミノスへ、そしてサザンオールスターズにしかなし得ない唯一無二のサザン・サウンドに! サザンオールスターズ初期の最高傑作で間違いない。
 
 今回は演奏も歌唱も文句なし、2000年の茅ヶ崎ライブの借りは、2013年を経て、今完ぺきに返された。それも倍返しで。それほどまでに見事なテイクだった。

砂の浜辺でなにするわけじゃないの 恋などするもどかしや
乱れそうな胸を大事に風に任せているだけ

この大サビのメロディライン、歌詞の韻の踏み方、叙情性は完ぺきだ。

あ ちょいとC調言葉にだまされ
泣いた女の涙も知れず
いっそこのまま ふらちな心で
夢から醒めずわからず

これをもって、今夜の茅ヶ崎ライブは「夢から醒めずわからず」夢のようなひとときが約束されたも同然だった。

 続いて、アマチュア時代からバカ受けしデビューアルバム『熱い胸さわぎ』にも収録された、昔ながらのファンにおなじみの「女呼んでブギ」。
女 呼んで もんで 抱いて いい気持ち
夢にまで見た Rug and Roll
女なんてそんなもんさ
のサビの歌詞は余りにも有名。「シン・日本の夏ライブ SP!!」は<こくみんてきバンド優等生サザン>を気取ってない?と憂慮したことに応えて、この今どき真っ向からのコンプライアンス無視の楽曲を対置してきたのには、参りました!(笑)としか言う他ない。最近、桑田さん「女呼んでブギ」がなんたらこうたら、今は作れない絶対にオクラ入りする曲とかナンとか語っていたが、堂々と(いけしゃあしゃあと)選曲してんじゃん! ただし、この曲、モテる男の歌と思いきや、実は諸手を上げた女性讃歌「Oh! Honey, honey  やっぱり女が最高」となっており、ここの歌詞を「やっぱり茅ヶ崎 最高!」と歌ったもんだから、ぐぅの音も出ない。
 おそらく、ライブが当初3時間の予定を直前になって2時間半で終わらざるを得なかった関係で、サザン恒例オープニング3曲が2曲でMC「帰って参りました、ザ・ドリフターズでございます。荒井注です。愛とロマンを歌うサザンオールスターズでございまーす!」に入ったが、この時点で大喝采の嵐。冒頭2曲で茅ヶ崎ライブ2023は勝利を決定づけてしまった。同じくKアリーナ横浜のこけら落としとなった、ゆずの「YUZU SPECIAL LIVE 2023 HIBIKI in K-Arena Yokohama」も「神セトリ」「伝説の夜」と評判高いが、ゆずと浅からぬ縁のあるサザンもまた、新旧オーディエンスを一撃でノックアウトしてしまったのだった。


 MC後の第2ブロックは、一般的なファンをメロメロにする、ちょっぴりノスタルジックなロマンと哀愁のブロック。
 この曲の演奏・歌唱共に、今回、近年で最も出来が良かった「YOU」。私はかつて、この曲、サザンらしくないオシャレ感と泣きのメロディにどうしても触手が伸びなかった。けれども、今回ポップスの甘さと切なさが良く表されていて、聴いていてうっとりしてしまった。その場合に、この曲について以下、ひとつ触れておきたい事がある。
 1990年に発表されたこの曲はサザンというよりむしろ、前年に発表された桑田ソロの『路傍の家にて』を書き直したような曲だ。それをマーティ・バリンの『ハート悲しく』風にアレンジして料理したという所か。とはいえ、余談や先入観をいったん除けば、せつなくも激しいポップ感覚にあふれた歴史的名作だ。この曲もシングル・カットされていないにもかかわらず、ファンの誰もが口ずさめるトーチソング(失恋歌)。




波の音が遠くでCaution 鳴らす
消えゆく陽を待って涙ぐむ


もう一度だけSuperstition 廻れ
悲しいことも愛に変わるように






この2番冒頭の歌詞は天才的だ。


 「♪Superstition」とは迷信のこと。科学的根拠のない信仰・盲信にすぎないのが迷信。

 歌詞をわざわざ「♪Superstition」としているのは、スティーヴィー・ワンダーの傑作アルバム『トーキング・ブック』からシングル・カットされ、全米1位を獲得した『迷信(Superstition)』に掛けている。もともとはスティーヴィーが、世界三大ギタリスト(エリック・クラプトン、ジミー・ペイジと)の一人であるジェフ・ベックに贈る予定だった曲で、ブルース・ロック風のファンク。屈指の名曲。桑田が70年代のスティーヴィー・ワンダーの音楽をリスペクトしていることがうかがえる。


 そして、私自身もサザンの『YOU』のこの歌詞を聴くと、決まってスティーヴィーの“スーパスティション”を思い出す。

桑田が書いた歌詞「♪もう一度だけ Superstition 廻れ/悲しいことも愛に変わるよに」は、実に切ない。


 今回の茅ヶ崎ライブ2023では、30周年や35周年ライブに比してもこの曲の歌と演奏が余りにも素晴らしかったので、改めて今振り返ると、やっぱりサザンらしい曲なのだな、と感じ入ってしまった。それは前述したスティーヴィー・ワンダーへの絶妙なオマージュの音楽的な遊び、切ない情感もさることながら、改めてこの曲のCメロとサビのメロディ、歌詞、サウンドはポップスとしてずば抜けているな、ということ。「茅ヶ崎へようこそ!」のMCの後の哀愁たっぷりな「YOU」は、予想を遥かにこえてキマった。

 

 続いて、当時のビリー・ジョエル(ニューヨーク52番街、ムーヴィン・アウト、レイナ)を彷彿とさせる「My Foreplay Music」(前戯・愛撫)。ここでアクセントを加えてからの「涙のキッス」「夏をあきらめて」「Moon Light Lover」のポップバラード、ボサ・ノヴァ、ソウルミュージックの3連打! 「YOU」が夕陽が落ちてゆく時間帯を狙ったのだとしたら、いよいよ茅ヶ崎の街の陽が沈む。

 続いて、今回、ツーコーラス目をラテン歌謡風ではなく、ボブ・ディランwithザ・バンド『偉大なる復活』ばりに大胆に歌唱アレンジを改変した「栄光の男」。私的な記憶でしかないが、4日目より3日目の方がより改変が顕著だったようにみえた。フォーク・ロックのロックに力点を置いたクワタのヴォーカルは闇を切り裂いた! 

 この流れから絶妙に続く、桑田の個性的なスライド・ギターのソロから始まった、ラテン、ディスコ、ソウルミュージック、ロックンロールをごった煮した「OH!! SUMMER QUEEN ~夏の女王様~」。息つく間もなく、ベンチャーズをラテン歌謡とロックで味付けした原坊リードボーカル「そんなヒロシに騙されて」。原坊の蓮っ葉な女性を演じつつ悪女になり切れず遊ばれる女心の哀切は絶妙。このブロックのラストは「いとしのエリー」締め。なんと泣かせる曲順だろう。

 ムクちゃんことベーシストの関口和之が大活躍した<オレがアタシが>のメンバー紹介(今回はちょっと面白かった(笑))に続いて、故郷、茅ヶ崎の歌「歌えニッポンの空」。ここで初めてダンサーが登場。とてもロマンティックな演奏と歌で、改めてこの曲を見直した。
 夜の帳が下りる頃に奏でられた絶妙なイントロ、文句のつけようのないメロディラインの「君だけに夢をもう一度」(『世に万葉の花が咲くなり』収録、シュラバ★ラ★バンバのc/w)。夜が更けてゆく中、この曲をこんなに効果的な曲順で選曲するとは! 
 さらに、演出の一環として会場で配られる「えぼしライト」が美しい、声出し解禁により久々に、全員でシンガロン出来るアンセム「東京VICTORY」。♪「時が 止まったままの/あの日の My hometown/二度と 戻れぬ故郷/夢の 未来へ〜」
今回、サザンは過去の「栄光」からの訣別を誓ったようにみえた。いつまでも現役で在り続けるゾ、と。

 さて、ここで煽りブロック突入かと思いきや、導入部で繰り返し緩急をつけて来るのが近年の円熟味を増したサザン最大の特徴だ。サザンの伝家の宝刀ハチロク(6/8拍子)のリズムを刻む60年代ロッカバラードの黄金パターン「栞(しおり)のテーマ」。最終日には、ナインティナインの岡村&矢部がMCを務める「週刊ナイナイミュージック」(10/11(水)夜23時〜スタート)の

第1回目の取材でナイナイの二人と

サザンファンのファーストサマーウイカ、ももいろクローバーZの玉井詩織が潜入。玉井詩織さんのご両親が大のサザンオールスターズのファン(たぶん応援団)で、彼女の名前「しおり」はこの曲「栞のテーマ」から取ったのは余りにも有名。彼女が当日潜入取材(おそらくサザンが直に対面するのは初)それでこの曲を選曲したのは間違いないだろう。演奏・歌唱共にこの曲も素晴らしく出来が良かった。

 ここで軽快なモータウンビートの傑作「太陽は罪な奴」。

Aクラスの姐ちゃん達の放射線
悩殺にヨロめくSTAGE

あこがれた女性はなぜか
太陽のニオイがした


高気圧はVENUS達の交差点
愛欲にときめくSTAGE

あの空へしぶき上げて
太陽にKISSをしよう



恋する夏は去く
太陽は罪な奴


 一見、ハレンチ、でも繊細で愛おしい歌詞は見事だ。

 小麦色の素肌と、太陽でジリジリと焦げた香り漂う日焼けした肢体を掛けている訳だが、視覚・触覚・嗅覚を見事ワンフレーズで表現している。

 おまけに擬人法すら駆使し、太陽は小麦色の素肌を独占する罪な奴、そして、太陽に焦がされた素肌はそれ自体が罪だ、という訳だ。

 何と繊細な歌詞なのだろう。傑作だ。
 
 まだまだ、煽りつつ焦らすサザン。トドメは「真夏の果実」。どうやら海岸ではギャラリーの世代をこえる大合唱となったらしい。
 さらに、60年代フィル・スペクターの<ウォール・オブ・サウンド>をモチーフとした「LOVE AFFAIR~秘密のデート~」。
 ザ・ロネッツのBe My Baby、ザ・ビーチ・ボーイズのDon't Worry Baby、そして私も大好きなビリー・ジョエルのSay Goodbye To Hollywood(さようならハリウッド)を彷彿とさせる。個人的には、もう一つそそられないのに、本当に曲展開が上手い!といつも思ってしまう。以前は60年代ポップスより、70年代のブルース・ロックの方が好きだったせいか? 今回は真夏の果実と抱合せにした事で、会場のムードを一気にロマンスに染め上げた。
 間髪入れず、怒涛の最終盤1発目はビート・ロックの国宝級最高傑作「ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)」。鬼気迫ると言ってはなんだが、今回のミスブラはど迫力。圧巻だった。往年の桑田を想起させる<燃える闘魂>!
 いよいよ今回のハイライトとも言うべき、「盆ギリ恋歌」。これは突き抜けていたな。魔界から現世に帰還したサザンオールスターズの、ひとことで理解不能なシン・日本の夏ソングだ。これまたやんちゃにやりたい放題。


 「あの日から 何度目の夏が来ただろう」ならぬ

「古臭い恋の歌や スケベな歌を
皆様の前で歌うのが 好きなんです

世の中いろいろとあるけれど 水に流すのはどうだい

秋風が吹く中で 濡れたくはないだろう
こんなことのために 来た訳じゃないよね

でももうガマンできないんですぅ
水を 水を 
持ってきてくださいぃーーーー!」

(桑田佳祐曰く「ブルース」な都々逸風overture)


 なんと今回ノスタルジィの入り込む余地なし! 放水パフォーマンスを予期させる爆笑overtureからの「みんなのうた」。
季節柄、放水ホースをサポートする南谷成功舞台監督の首を絞めたところで一端休止。ホースなしでの桑田の久々の歌唱はど迫力だった。
そして、ライブではカットしてやらなかったり息継ぎタイムにしてしまう、この曲のキモ
熱い波が また 揺れる

ここを今回、
きーみーの カラダ
と歌い始め、何かとんでもないヤラシイ事を言おうとしてるな、このジジィ!(笑)(ゴメンね)と思ったら……
君の カラダ また 濡れる
と歌い放水パフォーマンスを再開(笑)。
まあ、今回「C調言葉に御用心」「女呼んでブギ」からスタートしたり、放水と久々にマジで「みんなのうた」を歌うわ、overtureをまたまた大胆に替え歌アレンジ替えしちゃうなど、「シン・日本の夏ライブ SP!!」は余りにも「こくみんてきろっくバンド優等生サザン」過ぎて(YMOのパクりか!)爆発力に欠けスタティックに過ぎませんか?と指摘したことに対して、その内実を換骨奪胎し大転換したサザンのダイナミズムには参りました!さすがです!としか言う他ない。まさに、スゴイものを観た!

 ここからの流れで、これは来るな!と思ったら、ザ・ローリング・ストーンズのロックス・オフだかダイスをころがせのメロディに乗せて桑田がRock'n Rollーー!と何度も絶叫し(おそらく当初みんなのうた⇒ボディースペシャル⇒のつもりだったのだろう)、伝家の宝刀「マンピーのG★SPOT」。これまたジューク・ボックス!の箇所では4日間「マンコー!の」(「まぁーこのぉー」の田中角栄の国会答弁じゃない、よっと)と絶叫。「優等生サザン」などと思われてたまるか!と言わんばかりのど派手なヤンチャぶりに、いつしか桑田自身が絶好調。これすなわち天才が帰ってきた!(笑)。額に「爺」のロゴを付けて、茅ヶ崎在住時の車のナンバープレート「相模 ち」「33−45」(サザン45周年)をくっつけ、一周忌を迎えられたアントニオ猪木オマージュの完ぺきな出で立ちで、ロックンロール色を全面化。なにやらサザン楽団全体が燃えたぎっていた。ダンサーとも入念に乳繰り合い、しまいにはかつて高視聴率だった深夜番組11PMを模した<桑田アングル>でダンサーに迫るのも厭わず(笑)。「ナニが悪いんだ! これがオレの生き様だ!」と桑田がぶっちゃけ、カオスの中で本編終了。いやはや時間限定ながら濃密に過ぎ、過去最高の「サザンオールスターズ 茅ヶ崎ライブ」となった★

 アンコールでは、桑田が「君たち手拍子もしないで自由すぎない!」とジョークで挑発し、4日目のみ「ロックンロール・スーパーマン~Rock'n Roll Superman~」を披露。茅ヶ崎でTレックスやデヴィッド・ボウイのグラム・ロックやビートルズに励まされた少年が今や日本を代表するミュージシャンになった! 今度はサザンの番だ! それにしても今回の茅ヶ崎ライブでは4日間本編とアンコールすべて異なるビートルズのTシャツを身に着け、ロックンロール色全開だった。
「Ya Ya(あの時代 (とき)を忘れない)」
「希望の轍」
「勝手にシンドバッド」とこれゾ!サザンオールスターズと言うべき必勝リレーに全国聴衆は一体化した。エンドロールでは今回披露できなかった「Relay〜杜の詩」。この曲をライブステージで披露出来る日はそう遠くないに違いない。
 有吉弘行、橋本環奈、浜辺美波と高瀬耕造アナが司会を務める今年の紅白に出演するのか、はたまた永ちゃん(矢沢永吉)に続くその後の予定が空白となっている横浜アリーナで年越しライブをするのかは定かではない。また、11月には洋楽を和訳詞で歌うライブをしてみたいと言っていた桑田ソロのカバーライブをするのか?
 しかし、何れにせよさらなるロックンロールの新曲を引っ提げて、サザンオールスターズは新たなステージに立つだろう。
 かくして、茅ヶ崎ライブ2023は記憶に残る素晴らしいライブコンサートとなった。最高の形で45周年イヤーの火ぶたは切って落とされた★★★★★



サザンオールスターズ「茅ヶ崎ライブ2023」
powered by UNIQLO
特別協力:茅ヶ崎FM(開局記念)

会場
茅ヶ崎公園野球場(神奈川県茅ヶ崎市)

日程
9月27日(水) 17:00開演
9月28日(木) 17:00開演
9月30日(土) 17:00開演 
10月1日(日) 17:00開演 
※ライブビューイングは9月30日と10月1日に実施。全国47都道府県の映画館273箇所。

【SETLIST】

SE:夕陽は赤く〜君といつまでも(加山雄三)

01.C調言葉に御用心
02.女呼んでブギ

MC

03.YOU
04.My Foreplay Music
05.涙のキッス
06.夏をあきらめて
07.Moon Light Lover
08.栄光の男
09.OH!! SUMMER QUEEN ~夏の女王様~
10.そんなヒロシに騙されて
11.いとしのエリー

MC

12.歌えニッポンの空
13.君だけに夢をもう一度 
14.東京VICTORY
15.栞(しおり)のテーマ
16.太陽は罪な奴
17.真夏の果実
18.LOVE AFFAIR~秘密のデート~
〜Be My Baby(ザ・ロネッツ)
19.ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)
20.盆ギリ恋歌〜五木の子守唄
21.overture〜みんなのうた(放水プレイ)
22.Tumbling Dice(ダイスをころがせ)(ザ・ローリング・ストーンズ)
〜マンピーのG★SPOT


【Encore】
En1. ロックンロール・スーパーマン~Rock'n Roll Superman~
(10月1日のみ)
En2. Ya Ya(あの時代 (とき)を忘れない)

MC

En3. 希望の轍
En4. 勝手にシンドバッド

END.Relay〜杜の詩



【MUSICIANS】

〔サザンオールスターズ〕
桑田佳祐:Vocal & Guitar
関口和之:Bass & Chorus
原由子:Keyboards & Chorus
松田弘:Drums & Chorus
野沢秀行:Percussion

〔SUPPORT MEMBERS〕
斎藤誠:Guitar & Chorus
片山敦夫:Piano & Keyboards
TIGER :Chorus
山本拓夫:Saxophone & Chorus
吉田治:Saxophone
菅坡雅彦:Trumpet
角谷仁宣:Synth & Programming
エバトダンシングチーム:DANCERS
南谷成功舞台監督とサザンオールスターズ茅ヶ崎ライブ2023スタッフ一同


AMUSE
Executive Manager:中西正樹
Chief Manager:木村剛
Manager:杉山尚樹・岡野桜子・吉原雅彦
Assistant Manager:宇仁隆人
Management Support:渡邉未希子