先日、
意思決定支援の研修をした僕の職場
昨日の記事でも書きましたが
意思決定支援とは
そもそも論は初めから
利用者をただただ人として扱えるか
その方にどんなエピソードがあろうとも
どんな障害があろうとも
どんな病気であろうとも
何か課題のある人
ではなくて
◯◯さんは⬜︎⬜︎を抱えてる人
みたいに
人が先で
特性が次で、課題がその次で
みたいに捉えられるか?
その様にケースの問題を
当然に扱えるだけの
知識と経験を有して
余裕を持って支援に臨めるか?
その支援力の雲泥が
意思決定支援の質に大きく関わる
そう思うのですよね
そう言う僕も、それ程にも
どれ程にも出来てる訳では
無いのですけども
僕の事業所の利用者さんの中には
健常者と変わらない生活能力
それを持ちながら
社会へ適応しずらい事が理由で
障害福祉の支援に収まってる方がいて
その方とじっくり話していくと
色々と忸怩たる想いがあったりして
でもそれを・・・
話せない?
いやむしろ話したい?
でも言わなかった?
言えなかった?
いや、気づいて欲しかった?
諦めさせて欲しかった?
引導を渡して欲しかった?
何とも表現できない
受動的で在りながら
それでも共感を欲するような
そんな状況の利用者さんが
まぁそれなりの数でいるのです
もう、こうなってくると
その方との会話は
如何にその方に内在する
見つけてもらいたい答えに
辿り着けるのか?
探し当てられるのか?
なんかそんな様な事なんですよね
その捜索模様は
目を閉じて、雪原に放った雪玉を
後から探しにいく様な諸行
いつもこーゆー支援は
緊張感があると言うか
一発勝負のPK戦のような
そんな張り詰めた感覚が
あるのですよね
外したらと思うと怖い
人の想いを汲み取れるのか?
それはどーしていけば
そんな事ができる支援者となれるのか?
答えは分かりませんが
僕なりに思うのは
そー言った利用者さんに出逢う度に
想像力の中で
イマジナリーにその方の人生を
生きてみる
それこそ何度も何度も
もしこーだったら、あーだったら・・・
そんな風に
幾度となくその人の人生を
想像の中でタイムリープして
そうやってその方を想像して
もしかしたらこの方の願いとは
もしかしてこの方の想っているのは
そんな風に
その人に切り込んでいく糸口を探っていく
そーゆー支援観なんじゃないかって
そう想ってるのですよね〜