今日は12月30日(晦日)ですね
1年は本当に早い・・・
今年は何だか
考えるばかりで、
形にはならなかった歳かなぁ
あ、ちなみに皆さんは
大晦日の語源
知ってますか?
もともと旧暦では
月末の三十日(みそか)を表す言葉
1年の最終の晦日
つまりは
晦日のラスボスが大晦日
今年の紅白はどんな感じだろう
日本語は、なにかと
「大」の字を使います
大決算
大成功
大失敗
大都会
大問題
なにか物凄いこと
そのボリューム感を表す時に
言葉の頭に大を付けますよね
ほぼMAXと同義のこの使い方
この言葉を考える時に思う事
それは・・・
グラデーションの最大値が「大」
ピンキリのピンの方
つまりは上もあり下もある
「そうでもない」みたいなレベルを
内包する可能性を示唆している感
これが「大」の含まれる言葉の
スケール感だと思うのです
これって
ある事象を
1本のスケールで測った上で
ピンからキリまで順位化して
その最上級・最大級に対して
大の字をつける
いわばオリンピックの金メダル的な
物事の捉え方なんだと思うんです
こう言った物事の考え方を
競争主義だとか
差別を助長するとか
色々とよく思わない方々もいるかと思います
僕もそう言った懸念は抱くタイプですが
しかし良く考えてみれば
そもそも同じ物差しの上で測られる事は
状況によっては悪い事とも限らんなと
例えばこの
同じ物差しで測る
をしてもらえないのが
障害者と健常者の区別問題です
仮に
物凄く仕事が出来ても
下手こけば障害者雇用になる訳です
仮に
めちゃめちゃ人付き合いが苦手でも
健常者ならば内弁慶くらいで済むんです
僕が何を言っているかというと・・・
同じ土俵では図られていない
土俵の上には様々な奇則があるのです
障害者の間で
特に障害の程度が重い方を掴まえて
大障害
なんて言いませんよね?
逆に健常者の中で
よく出来た人間を称えて
大健常者
なんて言いませんでしょ?
そもそも健常者の中には
障害者の最高峰が
健常者のスタートラインだ
なんて言う方までいるのですから
何となく、解かってもらえてきました?
僕が先ほど
同じスケールで測られることは
競争や差別による不利益とは
また違った捉えが出来るかもしれない
といった理由が
お互いに生きる世界を分けて
知らない世界同士になって
遠くから腫れ物に触るように
お互いの世界を見つめ合う・・・
朱に交われば赤くなる
他方の世界に飛び込めば
いかに他世界が入りづらいかわかるし
それが分かれば
自世界の入りやすさにも
意識が向くじゃないですか?
それにはそれで
それなりの長さの時間が必要なのですがね
鮭はふるさとの川に帰る際に
海水と淡水が混じり合う河口付近で
しばらく過ごして体を慣らすんだそうです
健常者の世界は
障害者にとっては塩気が強すぎるのですよ
逆に健常者の皆さんは
塩抜きしてからでないと
障害者の世界を見つめられないでしょうね・・・
どちらにも
慣れ交わるための
猶予期間が必要なのでしょうね