令和5年生まれ新生女児を一人で育てるシングルファーザーです。
東京23区内で一人暮らしで、パートナー(元妻)に女児が生まれました。ただ、パートナーは、育てられないとのことで、パートナーは去り、私が育児休業を取って、ほぼ一人で育てています。ワンオペ育児奮闘模様をお届けします。
経緯13
大学病院から緊急帝王切開術を行うとの連絡を受け、私は、深夜の首都高5号池袋線を飛ばしました。病院に向かう途中、たゆたう時のなかで、なにげない、いつもの街の光を灯した風景が目前に広がり、そして飛びさりました。到着したところは、そこは静けさに包まれた街角であり、人々が安心を願い、物思いにふける日々を送っている病院がありました。
冷たくピンと凍りついた冬の空気の中で、駐車場を出て、病院の夜間非常口へとしっかりとした足取りで赴き、入館手続きを済ませました。受付で待合室を案内されて、私はひとり心待ちに時間が過ぎるのを待ちました。近所に住むパートナーの親族にも事前に知らせをしていましたが、彼らにとって初孫という大切な存在でありましたが、関心はどこか薄く、深夜の時間帯のせいか何の連絡もなく、結局、誰一人として現れませんでした。
なお、私が新たに対面する命と初めて出会えるチャンスは、手術室から新生児用病室へ移る際に通じる廊下を歩く、その間だけの少しだろうと言われていました。それ以降は、新生児室で落ち着くまで4,5日かかるとのことで、それを待つしかなくなりました。
大学病院の夜は、静寂に包まれ、ときおりピーピーという音が響いてきました。その他には、看護師さんが何度か待合室の通路を行き来し、パタパタと足音を響かせる光景もありました。
帝王切開で出産することになっていたため、自然分娩よりも早く赤ん坊が産まれるかもしれない、安全でありますように、と心から願い続けるしかありませんでした。