認知症の症状としてよく挙げられる徘徊。母にもやってきた。

徘徊とは:家の中や外を歩き回る行為。

どうして認知症の方は徘徊してしまうのか?

ある方から聞いたのは、体の中のエネルギーを発散する場がなくて、地にそのエネルギーを返すがごとく歩き回るのだそうだ。
なるほど。なんとなくしっくりきた言葉だった。日々何をすることもなく、でも体は元気ならエネルギーを発散させたい気持ちもよくわかる。

母の徘徊は可愛いものだった。
遠くには行かないで、マンションの下まで行って戻ってくるのだ。(よく耳にする症状は、家を出たはいいが、目的地はどこなのかわからなくなりあてもなく歩いて行ってしまったり、家までの帰り道が全く分からなくなったりするのだそうだが)うちはまだエレベーターで登り降りしているくらいなので、可愛い物だった。だから私はこれを”母のプチ徘徊”と呼んでいたのです。

でも次第に、ごみ一つ見つけても出ていくようになり、バナナの皮を握り締めて出て行ったり。そのうち義務感なのか?なんらかのルーティーンになってしまったのか?ティッシュ一枚でもごみとなると外に出ていくようになってしまった。時には、靴が見つけられずに裸足で出ていったり、ほとんど下着のかっこで出ていってしまったり・・・。こうなると私も止めに行くのだが、追いかける・叫んで止めたりするのはまったくの逆効果なのである!! 「お母さん、裸足だよ、靴履いて行こうよ」といっても、母は逆キレして、私の手をはらって逃げるように走っていくのである。だから(下着の時には無理やりにも止めたけど)とにかく声はかけずに、後ろから見守ることを続けました。

どうして徘徊してしまうのか? 
わたしが思ったのは、母にもなんらかの目的があったのです。

きっとわたしの“お手伝い”をしてくれていたのだと 今はそう思えるんです。食事もつくれなくなり、買い物もできない。私が唯一お願いしていたのは、お洗濯とそれを干す事。(干すことは、背筋も伸ばせるので運動になって○ですよ。母は死ぬまで背筋がピンとしてましたから)でも洗濯なんてたったの1時間ごときのことで終わってしまう(これも悪化していくにつれ時間はかかることになり、二枚も干したらもう洗濯のことなんて忘れちゃう)のだから、きっと私が毎日走り回っているのを横目に、何かしてあげよう・しなきゃとおもったのだとおもうんです。

しかし、母のお手伝い?!行為であった徘徊は、やはり度を増していきました。管理人さんから、「お母さんがごみ置き場のバケツの中でおしっこしようとしてるの」って・・・叫び。驚愕でした。きっとトイレに行きたくなったんだけど、そうしていいかわからなくなって、バケツに入ったのでしょうね。

そんなこんなしていたら、ある日ついにプチ徘徊はリアル徘徊になってしまったんです。

夜10時ころ、わたしがお風呂に入っていたら玄関をガシャガシャする音がして!いかん!と思ったのだけど、私もマッ裸であります。夜遅いとはいえ、どうせプチ徘徊だろうからすぐにもどるでしょうと追いかけず、とりあえず服を着たときには母は戻ってきたのです。でもその何時間か後、私も寝ていたのですが、なんとなく変な空気を感じて飛び起きました。そうしたら玄関のドアがワイドオープンになっているではありませんか!!! ん? お母さん? お母さんが居ないドクロ

時間は朝の3時。そんな時間にウロウロするなんておかしい。すぐに家の周りをみてまわった。
だれも歩いていない街。居たのは新聞配達の方と意味ありげな人だけ。聞いてはみたけれど、みんな見てないと言う。1時間近く探したけど、家にももどっていないし、どこの隙間からも出てこない・・・。

はじめて警察に捜索願を出した。
夜の10時に出ていってしまったとき、Tシャツに薄いパジャマパンツだったのを思い出し、そう警察にお伝えした。この時、季節は秋だったのだけど、朝3時はとにかく寒くかった。あんな薄着で。。。もう靴は一人では履けないので、スリッポン。これで長距離は歩けないはずなのに。

朝5時すぎ、あかるくなってまた探してはみたけれど、ダメだ~、ほんとに消えちゃったよ~しょぼん
時を同じくして、新聞には『徘徊による認知症行方不明者数 1万人超え』という記事・・・。
ついに母も1万分の一人になってしまったのだ。

もう今は何もできない。もう一人の認知症のお父さんも起きてくるから、とにかくじたばたせずに朝ごはんを作り始めた。朝8時、2つほど離れた町の警察から電話がきた。

「お母さん見つかりましたよ!」もう涙なみだ。
なんと私の足で 50分はかかるほど遠いところで見つかったのだ!お母さんの体力・スリッポンを考えると、2時間以上はかかる距離だ。でも私が居ないのを確認してから5時間くらい失踪していたのだから、もしかしたらずっと歩いていたのかもしれないよねしょぼん

お母さんは川べりでお花を摘んでいただそうだ。警察の車からでてきたお母さんの手には摘んだお花、そして満面の笑顔だった。あんなに寒かったのに・・・、足も痛かっただろうに。戻ってきてくれてありがとう、警察のおまわりさん ありがとう!って思った。

驚異のお母さんはまったく疲れも見せず、よく食べ元気モリモリであった。たくさん発散させたかったエネルギーを自然に返したのかもしれませんね!でも後日母の足をみて、涙がでました。そこには青くなってしまった足の爪・・・。スリッポンなんかでたくさん歩いた証拠でした。

どうして、夜中に出ていったりしたのだろう?

ずっと考えていたのだけど、もしかしたら?!というSTORYがその日あったのです。
朝、認知症の二人はお出かけをしようとしていました。したいことはダメとは言わずなんでもやらせるようにしていたので、今日も後ろからじっと見ていました。二人は仲良く手を繋いでテクテク歩いていましたが、(ある程度の距離で引き換えさせないと歩き疲れて動けなくなってしまうので)声をかけました。「どこ行くの?」

「3人でお寿司を食べようと思ってスーパーにね」という父。でもそのスーパー、たまたま工事中でやっていなかったので、そう伝えてお家にもどることにした。お母さんの手には、財布のようにみえる縦長の日記帳・・・、これじゃお金払えんよ! →①お出かけ失敗という事実

②この時期、父は玄関の鍵がしまっているかをとにかく心配しており、1日中気にして母に鍵はしまっているか確認をしていた。特に夜は何度も聞くため、母はよくうるさい!とキレていた。母はキレると外に出ていってしまう(これもこの時期の傾向だった)。きっと夜10時にもこのやり取りがあり、キレて外にでていったのであろう →②キレるとプチ徘徊

③きっと母は寝ていて、①と②をなんとなく思いおこしたのでしょう。そのまま時間の感覚もなく着の身着のまま外に出てしまって引き返せなくなってしまったのだとおもうのです。母が見つかった場所とスーパーは同じ方位にあったのです。

すべて私の頭の中の仮説ではあるのだけど、徘徊をしてしまうのは、その人なりの“目的”が絶対にあるのです。迷惑をかけたくて出ていくのではないのです。

認知症の方とのコミュニケーションは本当に難しいのです。
何を聞いても、答えは返ってこないのです。思いのままを言葉で伝えることができなくなってしまうのです。それが認知症の現実なんです。

どうして外にでていったのかだけでなく、なにが食べたいのか、何がしたいのか・してほしいのか、何が嫌でぐずるのか? 暑いのか寒いのか、嬉しそうに笑っているけどなにがそんなに嬉しいのか? 言葉にして伝えられなくなってしまうんです。これは性格がなすことではありません!脳の収縮が原因なんです。

だからみなさん、お父さんやお母さんが認知症になり、徘徊をしてしまったら、その裏にある彼らの出かけた目的を想像してみてあげてください。何かしらの心配事があって・気になって動き回るのです。 

自分自身のことだって人間100%理解できることなんてないよね!(なんでこんなダメ男好きになってるんだろう~?、なんでお金もないのに着ないかもしれない服買っちゃったんだろ~?ってね)そうなんです。自分のことも100%理解できないんだから、親とはいえ100%理解している訳ないんです。理解できるなんて無理なんです。だから、なんでも否定してしまわず、やらせて・見守ることのできる大きな心をあなた自身が持つようにしましょう。

なーんて、かっこいいことを言ってますが、私だっていつもできていたわけではありません。
毎回失敗して・反省して。そんなうちに大きな見守る心と、心から笑える力がついてきました。これはご両親・認知症の方又は神様があなたにくれる大きな贈り物なんだと思います。今まだ私も介護を続けていますが、この贈り物に感謝しつつ毎日笑顔で過ごしています。