3歳の娘を保育園に送る。
前向き抱っこができるという抱っこ紐で、
トーテムポールのように顔を並べ、チャリ通するのがたまらなく好きである。
片道10分程度の道のりは、
前半は車通りの多い道。後半は住宅街の細い抜け道。
抜け道に入ると、騒音がスッと消える。
この道からは、娘と小声で会話する。
鳥の声や、タイヤが小石を跳ねる音が、よく聞こえる。
「静かにすると色んな音がするね」
楽しんでくれて嬉しいぞ、我が子よ。
トーテムポールなので顔は見えないが、爽やかな表情であろう。
その日も、保育園に向かうために、エレベーターで1階に向かう。
空調の音が聞こえてくるので、何か喋り続けている娘に提案。
「しっ!何か聞こえる…。静かにしてみよう。」
ガガーーガガーーガガーー。
空調の音は、心地よくないし、意外と音量がでかかった。
娘は爽やかに、何の音だろうね?なんて言ってくると思っていた。
「うるさいね。」と娘。
眉間に力が入っている。
「いつもは静かにしたら色んな音が聞こえてくるのになぁ」と私が笑うと、
「うるさいと静かで、静かだとうるさいんじゃない」という。
言葉は十分ではないが、
自分がうるさくしていると、周りが静かに感じて、
自分が静かにしていると、周りがうるさく感じる、ということなのだと思う。
なんだこの含蓄に富んだ、哲学のような一言は。
天才か?賢人か?
いつも何かに急かされて、自分の心の中がうるさい気がする。
周りが静かだと感じるということは、
「聞こえていない」「見えていない」ということな気がする。
きっと、多くの情報や助けが届いているだろうに、気付けていないんだろうな。
一転、「周りがうるさく」というのは、よく聞こえるということか。
自分の内面にも、対外的にも、時には静かにすべきなのだろう。
気付かぬうちに失っているものも多いのだろう。
これは今の自分には重要だ。
うむ。よくやった娘よ。
今日は、大好きな抹茶アイスを食べさせてあげよう。
ここでもやっぱり、静かに食べよう。
お母さんには内緒だから。
結局、小声で静かに、
「パパにみどりのアイスもらった。内緒だよ。」と
母親に報告する娘。
最高だぜ。

