(第2回)一からタク乗る
二十六歳の頃、僕は映像を扱ったマルチメディアの会社にいた。が、毎日パソコンと向き合い、クライアントや上の人のいいなりの、ロボットみたいなオペレータ仕事に嫌気がさしていた。
そういうことに耐えてこそ仕事なんだろうけど、自分としては映像アーティストを目指していたので、このままではいけないと、常々考えていた。
また、ちょうどその時期、僕は会社の美人同僚に何度もアタックしては、振られ続けていた。彼女に対し一握の望みもなくなり、われ泣きぬれたその翌日にも、毎日顔を合わすわけだから、これは辛かった。
お腹が空いているけど食べるものが何もないのと、目の前にご馳走があって美味しそうな香りがぷんぷん漂っているのに食べられないのと、どっちがしんどいか、という話である。
ということで、僕は一から出直すつもりで、転職することにした。
会社を辞めて次に僕が選んだ仕事は、タクシードライバーであった。
何ゆえそこでタクシーか?と、思う方も多いと思うが、多くの人々と出会える仕事が、自分にとって良い経験になると思ったのだ。アーティストにしろ何にしろ、想像力を豊かにするには経験が必要だ。もっと若い頃は海外に飛び出していったりもしたが、仕事として経験やネタを集めるとしたら、タクシードライバーはうってつけではないか。
一生涯をかけてタクシーという仕事に打ち込んでおられる諸先輩方からは、「なんたるけしからん」と、叱られるだろうが、とにかくそれが、当時の僕の真剣な発想であった。
さて、いざ就職情報誌を見ると、ドライバーを募集している会社は沢山あった。その時、「ふっ」と思い出した。例の美人同僚とかつて飲みに行った時、タクシーで帰ることになり、偶然拾ったのがMKだった。彼女はその時MKを見て、
「ラッキー、MKや」
と、笑顔でいった。僕はなぜMKだとラッキーなのか分からなかった。タクなんてどれでも一緒やん、と物知らずの僕は思っていた。しかし、MKを拾った時の彼女の言葉と笑顔が頭のすみに残っていたので、MKに入ることにしたのだ。なんて単純な男。
入社してみて「はっ」と気付いた。MKは他のタクシーより安かったのかぁ、だからラッキーやったんやなぁ・・・と。
MKでは予想以上に様々な経験ができた。昼勤として観光に携わったり、いい意味で地元京都に自分の根をはった気がする。アーティストに復帰するため、今はもうMKを辞めてしまったが、その時の縁で、こうしてMK新聞に文章を書いたりしているのだから、僕を振った同僚には、いろんな意味で感謝せなあかんなぁ、と思う今日この頃でした。
2001年12月1日号掲載

石川啄木
明治時代の歌人・詩人。
| 追記・・・MKに入社した理由、MK新聞を書き始めた理由を書きました。実際には当時借金があって、それを返すために、転職者が頑張りしだいで高給を取れるMKに入社しました。その部分は編集の人に省くようにいわれ、このような形になりました(笑)。 |
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