特別支援学級の担任をして生徒から学んだことはたくさんある。これは彼から学んだなとはっきりしたものではなく、気がついたらそんか考え方になっていたとか、気が長くなったとか、視点が変わったとか、である。

 

いままで自分が培ってきた考え知識や経験が一切通用しないことに気づいた担任初年度の4月、とんでもない世界に入ったと真剣に思った。少なくともあと11ヶ月は辞められない。どうしよう・・・

 

数学正負の計算を30分くらいかけて説明し、ようやく「わかった」との言葉を引き出し、2問目の説明に入り、復習で1問目に戻ったときに生徒が発した言葉は一生忘れないだろう。

 

「わからない」

 

発狂寸前でなんとか抑えた。2問目の説明といってもせいぜい5分くらい。5分前のことを全く覚えていない(とそのとき解釈した)とはどういうこと!?俺の苦労はなんやったの!時間返せ!!と正直に心の中で思った。

 

いやー、あれは衝撃的すぎて忘れようがないなあ。よく叫ばなかったと褒めてやりたい笑

 

いまでは、わからないにも二通りあると思っている。

①質問の意味が「わからない」 ②答えが「わからない」

これが自分なりに割り切れただけ、ずいぶん楽になった。

 

 

 

 

学んだことはたくさんあるが、その中でも一つの言葉の意味合いが全く違うと言うこと。我々が人生で学んできた常識と思っている「意味合い」と、生徒たちが発する「意味合い」は違うことが多い。

 

言葉の定義とでも言うのかな。

 

例えば、数年前の我が家の旅行先での一コマ。私がお子ら3人を撮ろうとカメラを構えた。「おーい、もっと近づけー」と言ったら、3人ともカメラに近づいてきた。私一人でずっこけ、大爆笑!私は、カメラを構えて近づけだから3人がもっと中央に寄ると思い込んでいたところ、お子らはカメラに寄ってきた。

 

そういうことである。

 

同じ言葉でも、解釈やイメージが10人いれば10通りあると考えた方がいい。それを一つひとつ噛み砕いて、どういう意味なのか、どう思っているのかを共通理解していくことがとても大切だと痛感する。

 

さらに自立活動として、その言葉の意味や状況によって解釈が変わること等を話せたらさらにいいと思う。それができれば、生徒たちも必要のないところでストレスを抱えることは減るかもしれない。

 

 

 

正直、支援学級の担任は楽しいとは思わない。でも、人間として、教育者として学ぶことは山ほどある。それがこの仕事の魅力なのかも。