「うちの子は障害者なんだから配慮してもらわないと困ります!」

 

埼玉県で中学校教師をしている友人に聞いた話です。

 

数年前のこと。

 

特別支援学級に入級してきたある中学1年生男子。

 

そのお父さんが口癖のように使っていた言葉。

 

障害

 

「うちの子は障害があるから・・・」「障害があるからそんなことはできない!」等々をよく言われていたそうです。

 

私の数少ない経験の中では、支援級に在籍する生徒の保護者の皆さんは「みんなと同じよううに・・・」という言葉をよく使われ、どちらかというと「障害者扱いをしてほしくない」ように感じます。

 

前述のお父さんは必死に学校へ訴えてこられていたそうです。

 

なんでも、小学校での待遇が良かったようで。待遇って!

 

すべてにおいて我が子のやりやすい環境にしてくれたみたいで、それをそっくりそのまま中学校へも求めてこられたそうです。

 

友人は、できることとできないことがあると説明するけどなかなか理解してもらえなかったと苦笑いしていました。

 

我が子大事。

 

当然です。

 

でも親が必ず先に死にます。

 

順番を間違えてはいけません。

 

では、親として子どもに残してやれることは何なのか。

 

「障害があるから配慮してやってほしい」と要望するのは親の仕事です。

 

当然のことです。

 

 

 

子どもが家で愚痴ったり文句を言ったりしていたようで、それを聞いた親がその言葉そっくりそのまま学校へ伝える。

 

その内容が100%満たされるまで、事あるごとに訴えていたそうです。

 

きっと親は、それが子どものためになると信じていたんじゃないかなと思います。

 

親として子どもに残せること。それは自分が死んでも子どもが困らずに済むこと。

 

「子どもには魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えなさい」

 

子どもに魚を与えると、そのときはお腹は膨れるがそれだけ。与える人がいなくなると魚は食べられなくなり生死にかかわる。しかし、魚の釣り方を覚えると一生魚には困らずに済む。

 

つまり、短期的ではなく長期的に捉え、どちらがより子どものためになるか考えなさいという教え。

 

常に子どもが100%満足する環境を整えることが果たして子どもの成長のためになるのか。

 

目の前で子どもが辛い思いをしている姿を見るのは、やはり辛いし何とかしてやりたいと思うのが親心。

 

私も3児の父ですから十分理解できます。

 

ただ、そこで手を差し伸べてしまうのは、本当に子どもの将来のため、成長のためになるのか。

 

いち親として、いち教師として、もう一度考え直したい話でした。

 

 

 

結局、その生徒は不登校になってしまったそうです。

 

卒業後のことまでは訊きませんでした。気になるけど。

 

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました!