先日、兵庫県立歴史博物館に行ってきました。

 

桂米朝展と一門会がありましたので、そちらも一緒に観てきました。

(寄席は「観る」っていうんだっけ?)

 

米朝師匠のファンになってからかれこれ25年以上が過ぎ、いまだに気分転換に聴くことも

多く、趣味と訊かれれば落語鑑賞と答える・・・かな?(^^;

 

寄席に行っていつも思うのは、同じ演目でも噺家が違うとこうも違うもんなのかということ。

 

同じ内容なのに言葉のイントネーションや間や声の大きさ等で印象が全く変わってしまう。

 

落ちさえも変わってしまう。

 

落語の奥の深さなのかもしれません。

 

 

 

そう考えると、、、

 

そもそも、「自分の意図するところを言葉だけで100%完璧に伝えられるもの」と考えることは、大変おこがましいことなのかも。

 

話すことを商売にしている噺家さんでも難しいことなのに、自分のような一般市民が簡単にできるわけがない。今までは伝えられてる思ってたけど、実は勘違いだったような気がしてきた(--;;

 

つまり、、、

 

落語でも、何回も聴いてようやく落ちの意味や話の展開が理解できてくるように、

「何回言わせるんだ!」と思いながらでも繰り返し伝えようとすることが大切で、それができる我慢強さが指導者には求められるってことでしょうね。

 

効果的な練習メニューを組んだり新しい戦術を学んできても、それを伝えることができなかったら何の意味もないことになります。

 

「伝える」ってことに注目して掘り下げていけば、また違った世界が見えるかもしれませんね。

 

伝えるってホントに難しい(--;